骨折日記が途中で尻切れトンボになってしまったのは,母の部屋と木戸通路をリホームしていたせいで時間がなかったのですが、もうさしてお伝えする事件が無いのでした。
当時の日記には両足の骨が完全についたよ!と先生に言われたのは6月4日、部長回診で「骨がついたのでリハビリを,限界までやるように」と言われた!とある。
この時、部長先生は「もう駄目かと思ったら嬉しい誤算だったね、もし付かなかったらもう一度骨移植を考えなくちゃならなかったんだよ〜」と元気な声で嬉しそうにお話くださる。もちろん私もうれしいので早速息子達に報告する。
ピックアップ歩行器で歩く練習をしすぎてアキレス腱炎になってしまったのは、この直後だが、先生からは「痛み止めを使ってでも頑張ってください」と言われて焦った。
父の妹、叔母が死んだのも丁度その頃、6月10日、これで父の兄妹10人は全員この世から居なくなってしまったのか。私の姉が実に良く面倒をみてあげていた。娘を持たない叔母は何かと姉を頼りにしていたが大往生と聞きホっとする。
入院中,沢山の知り合いの不幸が,重なったが成す術なし、ひたすら冥福を祈るばかりだ。
6/11日
待っていた靴の仮合わせに看護師さんが4、5人見学に来て驚いたが、皆の期待も虚しく足先が,逆ハの字に外側を向いてしまいガ二股になってしまう。例によって外側が低く内側が高い、どうしてこうなるの?という代物だった。踵を計ってみても,左右に狂いがあった。暗澹となる。踵を貼り直していないまま、ただ細身に削ってあるだけなので・・もちろんやり直しをお願いした。
私の失望を知ってか看護師さんたちは何も言わず側から離れていきました。
6/19日渋谷のスパで爆発事故発生・・・はじめはテロか?と驚いた。恐いわね〜と部屋の患者さん達とTVに釘づけ、それにしても入院以来、事故が多かったように思う。春には神楽坂で火事があり、きな臭い風がリハビリ室まで漂ってきたりした事があったり・・・
6/20日ノリが大きい花束を持って見舞いにきてくれたが,母が心不全だと教えてくれる。一人留守番が限界なのだろうと急に不安になる。
6/24アビリティーズの人が家に来て車椅子が入るか調べに来たそうだが、車椅子など使うつもりが全く無いので焦る。家の構造も広さも絶対に無理だしね。建築家と一緒に来て散々首をヒネって帰ったと母が報告するのを聞き不快になる。
歩くつもりでいる私です。歩行器でリハビリ室を3周するが、肩に力が入りすぎ頭が痛くなる。
看護学校の生徒さんが又ついてくれる事になり、若くて熱心ゆえ、私が歩く練習時にサンダルが脱げないように一々包帯を巻いているのを視て、色々と工夫してゴムやサポーターを利用し簡単着脱を考えてくれました。
残念ながら,車椅子に乗って足を上げ自分で取り付けるには包帯が一番易しいので、これを超えるアイディアはさいごまで出てこなかったけど、その研究してくれる気持ちが凄くうれしかった。
6/27日
足がダルいと伝えたら暖めたタオルでマッサージをしてくれたのも生徒さん。若い希望に燃える看護師の卵さんがず〜っと希望に燃える職場であるには大変な仕事である。
7/2日
部長先生が「靴が出来たら家に帰れるかい?」と聞かれたので「大丈夫です」、と答える。自分の中では既に退院を決めているのだから・・・
部長先生曰く政府の補助金が出る範囲でしか靴を作れないので,私の理想のようには出来ない、あれが限界かな?という事をしきりに口になさる。
「君の言う靴はとんでもない値段になっちゃうよ」
でもそれは業者さんと、初めに話が済んでいる事だった。もし予算オーバーしても全額前払いなので靴屋さんには何も迷惑はかからないし,良い靴が出来さえしたら自費でも構わないと思っているのだから・・・。
不具合なのは単に職人と中間に立つ装具屋さんの無能だと思う、と言ったら部長先生,本気で怒っていました。「優秀な人なんだよ、ここでは」
「じゃ靴は諦めましょう、もう外には出るつもりもないし,病院には迷惑をおかけしません」と私。
4日,レントゲン室に降りた時,今までは抱えて台に上げていただいているので
自分で立って乗ってみたら「オ〜動けるようになったんだねー」と技師さん達が喜んでくださった。実に5ヶ月もかかったわけだ。
この頃,手がしびれるので担当医に話すと首のレントゲンを指示してくださる。ところが「首の神経は太いし軟骨も減っていないので大丈夫!」との事。
でも1番心配なのは脳・・リハビリ室に多くの脳梗塞の患者さんが来て機能回復の運動をしているけれど手足に麻痺が残るせいで,皆さん大変なのです。
万一、脳の障害まで起きたらそれこそ再起不能なので脳のMRIを退院前に受けておきたいとお願いすると脳外科の部長先生で副院長先生の予約をとってくださった。
「名医をお願い!」と私が悪ふざけしたら本気になってくださったのだが、歯科も皮膚科も全部,部長先生クラスを紹介していただけたのは整形の主治医が部長先生だったお陰だと思うとラッキーでした。
わざわざベッドまで私の様子を聞きに来てくださった脳外科の副院長先生を一目みて誰かに似てるな〜と思いながらお話してるうちに「アッ、野口英世博士に似てる」嬉しくなる永遠のミーハーぶり・・・
退院前にMRIを撮りましょう!と優しい笑顔でお答えになる先生はやはりお名前も野口先生・・お髭までそっくり。
やさしさは患者をとても安心させてくれる,医者の重要な資質だとおもいました。
整形の部長先生はカリスマ性があり周囲を明るくする力があります。きっともう手術はなさらないのでしょうが,先生が回診に見えると患者は皆元気を貰えるような気持ちになり嬉しそうに笑います。
私がつけたあだ名はデコイ先生・・・、(水辺でカモを引き寄せるデコイ・・・)実力のある先生だと思います。患者を引きつける魅力があるのですから。患者を鴨に見立てるのもナンですが病院経営は接客商売とも言えます。
ただ実際に手術するのは若い医者ですから若い医者はひたすら技術を実戦で磨くのが使命でしょう。
そう考えると私の担当医だって一生懸命,実戦しているのに違いなく、忙しくとも真面目に懸命に・・
ある日,私は担当医に
「先生は間違っています!なぜ先生は何時も、何も変わりありませんね!!とエクスクラメーション・マークでお尋ねになるんですか?どうして何か変わりは、ありませんか?とクエッション・マークで聞いてくださらないのでしょう?断定されるように何もありませんね!と言われたら我々患者は何か質問したくとも、何も言えません」
びっくりしたようなお顔をなさってから部屋を出ていかれた担当医は翌朝、部屋に入るなり「何も変わりありませんか?」
私は嬉しくなって「先生、ありませんか?と聞いてくださいましたね?ありがとうございます、何も変わりありません」
退院の間際になって,我々は小さな歩み寄りが出来たのでした。