2008/5/6 火曜日

外は五月晴れ

Filed under: ネコ タグ: — patra @ 11:20:51

クララクララ天窓から陽が入ると夏日のはじまりだ・・・ 続きを読む…


2008/5/5 月曜日

付け合わせを大事にする一皿です。

Filed under: 家族,料理 — patra @ 19:55:26

パプリカのマリネ付け合わせのマリネを仕込む子供の日なので老母にディナーの用意、付け合わせのパプリカのマリネを久しぶりに仕込む。これがないとpatraの料理とは言えないから(笑)熱湯で5分茹で冷水に晒し皮を剥く。ツルリと剥ける瞬間が好き・・ニンニクとロリエ,赤い唐辛子,塩,胡椒,セージを酢とオリーブオイルでマリネ液にして・・・作り立てはフルーティでプリプリ感がおいしい定番のマリネです。

きれいな彩りの付け合わせポークソテーポークソテーの付け合わせは紅玉林檎の甘く煮たバター風味がとても合うので欠かせません。茹でてからソテーしたインゲンも塩、胡椒とバターでしあげ・・・この日ばかりはカロリーは忘れて。でもお肉のグラムをすこしだけ控えめの120g。「残す?」と聞いたら母、あわてて首を振ってました。そしてスープは明日用の丸ごとキャベツとトマトの具無しスープだけ、バクチーを添えてサッパリ風味がいい感じ。マンゴーをデザートにしたら満腹でした。ワインに見えるのはいつものノニジュース。
姉からも電話でマンゴーのお礼が母にあったそうです、忘れた頃に届いたマンゴー、これはすごく成功したお取り寄せでした。洋食風にすると一番よろこぶ母、パン半切れでお皿をきれいに完食。

トマトとキャベツのスープタイ王室菜園のマンゴー


浅蜊を採るって大変なんだ・・

Filed under: 料理 — patra @ 8:07:27

茄子アサリのみそ汁と茄子の糠漬け子供の日、といっても、もう家には息子も居ないので兜は飾らないことにして・・。老人の味覚を鍛えるための亜鉛を補給する浅蜊のみそ汁で朝ご飯,昨日のTVで見たアサリ漁の漁師さん夫婦、大変な重労働なんですね。
腰に結わえた紐の先に結んだ金属の駕篭で砂地を引っ掻くように獲る浅蜊、クイクイッとツイストしながら船の上で4時間も腰を振り続けながらの収穫なんですって。今朝の浅蜊は大きくて中々でしたので有り難く,そんな労働の賜物を頂く。茄子の色が今イチきれいに漬からないのは錆び釘が無いからです。釣りの錘も糠どこを仕舞う時どっかへ無くしたらしい。だから紫色が冴えないのですが忘れずに釘や錘をガーゼに包んで糠味噌に沈めましょう。

ところでEMS郵便について 続きを読む…


クララがネズミに殴られかけた日

Filed under: ネコ タグ: , — patra @ 0:56:36

クララクララ実は小ネズミがここ何週も同居していました。職人さんがドアを開け放して仕事をする際、迷い込んだネズミと目が合ってしまった私、大声で叫んだらクララもチップも飛んでは来たのですが、ネズミが大ジャンプして威嚇する姿が勇ましく思わず笑ってしまい取り逃がしてしまいました。おっかなびっくり覗き込んでいたクララの鼻先をジャンプしまくるネズミはすごく小さいヤツでした。あんなに威嚇する姿を初めて見ました。でも捕まえないと困るし、頼りない家の猫ちゃん達は追いかけては見るものの捕獲にちっとも真剣ではありません。一緒に遊んでる感じ・・。困ったな〜業者を入れないとダメかな〜と思った次ぎの瞬間用意しおいたネズミ取りに自分から逃げ込んくれたネズミちゃん。万事窮す。一巻の終わり。けれど窮鼠,猫を噛む・・と言った大ジャンプを初めて見ました。飛び込んだ箱ごと見ないようにしてゴミとして出しましたがディズニーの漫画みたいで目が可愛くて何か憎めなかった・・・。 続きを読む…


2008/5/4 日曜日

思い出すと胸が痛む

Filed under: 時代,骨折日記 — patra @ 1:01:57

入院中、いちばん印象に残っている話を未だ書いていなかった。それはある親孝行な青年の事。親孝行と括る言い方さえ青年の心中を察すると軽々しく言えないが・・・。ある日同室の御婦人が部屋にもどってくるなり「偉い人を見たわよ。お母さんの髪を洗ってあげてる、感心しちゃった」と教えてくれたので閑を持て余していた私はドレドレと早速その青年をみにゆきました。廊下の洗面台でお母さんらしき人の髪を洗ってあげていた人は毎日のようにお見舞いに来ていた、無口な青年で顔見知りでした。お母さんは車椅子で何処がお悪いのかはわかりませんが多少認知症も患ってらしてニコニコするだけでお口を利きません。ある日などあまりに忙しい看護師さん達に小1時間もトイレに置き忘られた事もありました。そんな時でもニコニコ・・ホッペの赤いまだ充分に若い50代過ぎのお母さんをその青年一人が熱心に見舞っていたのです。洗濯から洗髪、トイレの介護まで黙々と静かにこなす青年に病室のおばさん雀連中は皆,口々に感心するばかりです。私がもっとも心配した事は、果たして仕事と介護の両立がこの先出来るのだろうか?という疑問でした。ちょうど去年の今頃のことです。だんだんお母さんの表情が暗くなり息子さんに車椅子を押されていても下ばかり向きはじめたのです。「どうですか?」と声をかけても「一進、一退でどうも良くありません」息子さんが答えます。病室雀のおばさん達は全員、その孝行息子さんのファンなので影ながら心配していました。ある日廊下で胸部外科の担当医と青年が思い詰めたような表情で立ち話をしています。どうやら急救治療が終わり,後期医療のための転院が決まったようでした。今、騒がれている直る見込みがない患者は(長期療養の療養病床で入院する70歳以上の患者は、食費や光熱費など居住に必要な費用が原則、自己負担となる。)つまり自費、療養型病院へ転院を義務ずけられたのです。もし母子二人だけの家庭で仕事をしながら認知症の親を見て行かなくてはならないとしたら・・・彼がどんなに優しい親孝行な青年でも任が重すぎます。お母さんは心でその青年の困惑を察知したのでしょうか、どんどん暗くなって顔を俯けるばかり。「医療相談を受けなさいね、」と伝えようと思い注意していたのですが2度と廊下で逢えないまま,親子は姿を消しました。65才より若かったように見えたお母さんは介護保険を、きっと未だ使えません。医療の狭間で何の援助も受けられないこうした家族がいっぱい居るのだと思います。「彼のために祈ろう!!」我々はそう呟いたものです。自分たちで身を護るしかない医療制度が後期医療制度なのです。ぼんやりとはしてられません。


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