2008/5/4 日曜日

思い出すと胸が痛む

Filed under: 時代,骨折日記 — patra @ 1:01:57

入院中、いちばん印象に残っている話を未だ書いていなかった。それはある親孝行な青年の事。親孝行と括る言い方さえ青年の心中を察すると軽々しく言えないが・・・。ある日同室の御婦人が部屋にもどってくるなり「偉い人を見たわよ。お母さんの髪を洗ってあげてる、感心しちゃった」と教えてくれたので閑を持て余していた私はドレドレと早速その青年をみにゆきました。廊下の洗面台でお母さんらしき人の髪を洗ってあげていた人は毎日のようにお見舞いに来ていた、無口な青年で顔見知りでした。お母さんは車椅子で何処がお悪いのかはわかりませんが多少認知症も患ってらしてニコニコするだけでお口を利きません。ある日などあまりに忙しい看護師さん達に小1時間もトイレに置き忘られた事もありました。そんな時でもニコニコ・・ホッペの赤いまだ充分に若い50代過ぎのお母さんをその青年一人が熱心に見舞っていたのです。洗濯から洗髪、トイレの介護まで黙々と静かにこなす青年に病室のおばさん雀連中は皆,口々に感心するばかりです。私がもっとも心配した事は、果たして仕事と介護の両立がこの先出来るのだろうか?という疑問でした。ちょうど去年の今頃のことです。だんだんお母さんの表情が暗くなり息子さんに車椅子を押されていても下ばかり向きはじめたのです。「どうですか?」と声をかけても「一進、一退でどうも良くありません」息子さんが答えます。病室雀のおばさん達は全員、その孝行息子さんのファンなので影ながら心配していました。ある日廊下で胸部外科の担当医と青年が思い詰めたような表情で立ち話をしています。どうやら急救治療が終わり,後期医療のための転院が決まったようでした。今、騒がれている直る見込みがない患者は(長期療養の療養病床で入院する70歳以上の患者は、食費や光熱費など居住に必要な費用が原則、自己負担となる。)つまり自費、療養型病院へ転院を義務ずけられたのです。もし母子二人だけの家庭で仕事をしながら認知症の親を見て行かなくてはならないとしたら・・・彼がどんなに優しい親孝行な青年でも任が重すぎます。お母さんは心でその青年の困惑を察知したのでしょうか、どんどん暗くなって顔を俯けるばかり。「医療相談を受けなさいね、」と伝えようと思い注意していたのですが2度と廊下で逢えないまま,親子は姿を消しました。65才より若かったように見えたお母さんは介護保険を、きっと未だ使えません。医療の狭間で何の援助も受けられないこうした家族がいっぱい居るのだと思います。「彼のために祈ろう!!」我々はそう呟いたものです。自分たちで身を護るしかない医療制度が後期医療制度なのです。ぼんやりとはしてられません。


  1. なんだか辛いですね。

    うちも父・母が70代になりました。

    今はまだ気力・体力とも充分に元気なんですが
    老いというのは、万人に訪れるものなんで
    お互いに元気で楽しく暮らしたいねと言っています。

    父は山歩き、母はお散歩を日課にがんばっています。

    ぱとらさんもお母様も、お体お大事に!

    コメント by うい — 2008/5/4 日曜日 @ 14:28:13

  2. ういちゃん
    辛く哀しい話を書いてしまいましたが、きっとその青年の周りにも良い風が吹いてくれると信じましょう。

    認知症は防ぎようが無いのが、かなしいですね。

    70代はまだお若いですよ、ご両親には元気で長生きしていただきましょう。

    私も骨折した事で踏ん切りがついたというか、はずみがついたというか
    兎に角自宅で老母を看取る万全の体制を整えつつあります。
    訪問医師、訪問看護士、ヘルパーさん、皆さんの力を借りながら楽しく小鳥さんのお迎えを待ちます。

    食べ物を注意してるせいか内蔵は丈夫なのが何よりです。
    いつも応援、ありがとう♪
    七夕が楽しみな今年です。

    コメント by patra — 2008/5/4 日曜日 @ 23:47:49

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