2009/4/27 月曜日

食欲が戻った母

Filed under: 料理 — patra @ 2:09:33

日曜ディナースナックえんどうと茄子と舞茸と豚のぴりから蕪とソウセージの野菜たっぷりスープ

じっくりと煮込んでおいた野菜たっぷりスープ。鍋が小さかったので蕪とジャガ芋人参タマネギ椎茸を入れたら 切ってしまった茄子3個が入らないまま萎びそう。油は使いたく無かったので日本酒と味醂で蒸し煮にし茄子の味噌炒め風にしてみましたらこれがいい感じ。舞茸を加えたせいか味醂のせいか味噌味がいいかんじです。

母の食欲が戻り豚肉の 続きを読む…


2009/4/26 日曜日

お茶会

Filed under: 友人 — patra @ 22:20:43

お茶会しました焼き菓子と苺ラム酒入り焼き菓子

前々から約束していたお方がお見舞いにきてくださることになって冷凍しておいたドライフルーツ入り焼き菓子しかなかったので苺も添えてみました。ま、3時のお八つタイムでも殿方はお口が奇麗だからこれでもあまるくらいでした。不自由な生活をすごく心配くださったのに元気な私で申し訳ないくらい・・・。有意義な時間でした。

昨日もお客様だったのでひとりご飯がつづく母に、おかえりになった後、大急ぎで用意してあったスープに火・・まだお客様と食事するには足が戻っていないのがざんねん。


婚活をする前に

Filed under: 日々雑感 — patra @ 2:19:10

定番

いつまでも若いと思っているとあっと言う間に婚活してもお相手が見つからない中途半端な年令になってしまいますよ!さてどうしましょう!!と言うような講義をしてました。きれいでスタイルの良い素敵なお嬢さんに欠けているのは日常茶飯事のもっともたいせつな家事の習慣です。

三十路ちかくなって未だお母さんに朝晩ご飯をつくってもらっているだけでは結婚は遠のくばかり。ふだんから練習しておかないといざとなっても上手に手ぬきも出来ないものです。人生は何事も予習復習。練習が大事だってことですね。

年頃の娘さんを持ったお母さんの責任も重いのです。嫌われるくらい煩く家事を躾けるのは小学生高学年くらいで始めないと遅いくらいだと私は考えています。

男親の責任は正しい怒られ方、を男子に教える事。潔く謝る。それと正しい酒の飲み方を教える事。酒品。これは遺伝ですからちょっとやそっと学んでも身につくものではない。飲む時間の長さにも美意識をこめる事、のんべんだらりと長々飲むのは見苦しいぞ、大人が手本になるべきだ。というような事を今は誰も教えてくれないのだろうか?で私めが長々講義した夜。晩ご飯が遅れて大手抜きのお粗末。


2009/4/25 土曜日

残り香淡き八重桜

Filed under: 家族, — patra @ 1:24:22

落ちた八重桜水に浮かべてみました。

抗ガン剤を受けに駒込病院まで通っている姉が、きのうは検査数値が悪かったのか其の侭何もせずに帰る途中に寄ってくれました。素敵なジャケットを着ていたので誉めるとお友達に頂いたアルマーニよ!でもちょっとキツいからウエストボタンを外すの・・・とニッコリ。姉はお友達の多い社交家です。

一緒に姉が買ってきてくれたスタバのサンドイッチとコーヒを母も交えて頂く。姉の住んでいる世田谷から駒込病院まで来るには5時くらいに起きないと8時までに着かないそうで「Kyoクン達の留守の3階に泊めてもらえると嬉しいけど・・」もちろん母にはずっと提案していた事なので何時でもどうぞ、と伝えると嬉しそうでした。忙しいご主人に、治療の都度、車で送ってもらうのに忍びないのだそうです。 お互いがお互いを思い遣る余裕がでてきたのでしょう。

去年姉が持ってきてくれた唐辛子のリースを見て「私も今年買おうかな!赤くて元気そうで唐辛子っていいわねぇ〜」と珍しく私の好みを認めてくれたような発言でした。なにもかもあまりにも接点のない姉妹なのですが。

帰りがけに、そうそう・・とバッグの中から八重桜のお花を一つ取り出して渡してくれました。病院のそばの道にいっぱい落ちていたそうで、しみじみ見たことないでしょう?と。早速お水に浮かべてみました。母がすっかり元気そうなので安心したようで「連休は八ヶ岳だけど母の日にはお花を贈るわ」と又風のように帰っていきました。

八重の桜をしみじみ視てみました。 どれどれ・・・母も器ごと手に取ってしみじみしていましたよ。


2009/4/24 金曜日

可哀想な事・・・

Filed under: 日々雑感 — patra @ 0:12:42

易を看る者の観点から言うと清水由貴子さんも草薙さんも可哀想でした。運気というものは永遠に同じということは無く必ず抜け出せる時期が来るものです。そんな正しい易を知り自分の今をしっかりと把握していたら防げたとおもうからです。草薙さんは走りつづけに走っていたので本人は気がつかなくとも相当に疲労やストレスが蓄積していたのだとおもう。

いわゆる記憶を無くすまで飲んでしまうブラックアウトが起きたのでしょう。ある日突然同じ量でも前後不覚になって記憶をなくす許容量の限界を越えちゃったのですね。酒に強い人こそ陥るブラックアウト記憶喪失は誰もが大なり小なり経験し自分の弱さを知ってゆくのだとおもう。ほんとにお酒って飲まれると恐いものです。絶好調の時こそ忍び寄る魔を充分に知っておかないと命をおとしかねないものですが来年から草薙さんは寅卯の空亡なので今この時期に事件を起こして良かったと思います。32歳は天国33歳は絶好調34歳は地獄の年令の落とし穴どうり・・・この経験から学んで立ち直って欲しい。本人が一番動揺しているのでしょうから。

さて、昨日母は午前中に東大病院へ行き午後に近所の内科へヘルパーさんに連れていってもらいました。 相変わらず炎症の傷が塞がったまま、先生がメスでほじっても黴菌状の血液はでてきません。身体の中で菌が暴れないように抗性物質を飲んでるせいでしょうか?炎症が消えたわけでは無いらしい。

ならば何故もっと早い段階で内服薬を使わなかったのか?それは母が高齢だったからだそうですが何か納得がいかない説明でした。こんな不毛な治療、ただ傷口を消毒するだけを7年も続けてきたわけだが傷が塞がると、普通は直ったと理解するのだがこれがイコール=しない事や手探りでのまま挌たる方法を見つけられない病院も母も可哀想。

手探りの今の状態が暫く続きます。ただ内科の先生は来月胃カメラで調べて吐き気の原因は探ってくださるらしい。


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