セーフスという超音波をかけている間はベッドの上に釘付けなので毎朝、早くから右太ももと左臑に20分づつ計40分機械をかけていました。振動も何も感じないので果たして骨はどうなっているのでしょう。終わったあとがいくらかダルイくらい・・・。
「その内、効いてくるよ!♪」担当医の嬉しそうな笑顔に、アレ!?先生が笑ってる?入院以来はじめての経験でした。「な〜〜んだ!、笑えるならもっと笑顔でいればいいのに・・・」とか密かにおもう私も然り、この時期になって、やっと表情が柔らかくなってきたのが自分でも解りました(笑)つまり睨みあってた路上の猫同士だったかも。
部屋は4人部屋で私が入院して以来4人ほど入れ替わりました。
目の前のベッドには母と同じ年齢の老婆が一番古株で、やはり家で転倒、治り難い部分を骨折してらしたが、「痛い、痛い」と念仏のように呟くばかりです。お身内か?と思っていたお見舞いは日替わりのヘルパーさん達で、一人暮らしの老人だと分かりました。しっかり受け答えが出来ていたのが、在る時から言動がおかしくなりました。日々痴ほうが進んできてるように話しの辻褄が合わなくなっているのです。このヘルパーさん達は特筆すべき優秀な人達ばかりで、病室に入るなり新聞の見出しを見せ日付けを認識させ、散歩にも連れ出す等を、短い洗濯の時間を利用してお婆さんを励ましてました。
担当の看護師さんは16人交代で、申し送りをしても、細かい事は伝わりづらく毎日、目の前で様子を見ていた私が、何時のまにかお婆さんの事情に精通してしまいました。
お婆さんは初めから身寄りが無いわけでは無く、夫と娘さんに先立たれた後、介護保険を利用し気丈に独り暮らしが出来ていたのに、廊下で滑って骨折したそうです。
[誰か,廊下に何か塗ったのよ!」と想像力逞しく話すお婆さん。
そのお婆さんを他人事とは思えず、ベッドから乗り出したり、足を冊に挟まれたりする度に呼び鈴を押し、看護師さんに知らせてあげていました。
忙しい看護師さんたちは「痛い痛い」と頻繁に騒ぐだけでどう痛いか説明できない老人を段々相手にしなくなったからです。
救急で入院し銀行預金を当人じゃないと引き出せない・・といった最近のシステムもあり、転院の話が病院から出された当りで妄想や疑心暗鬼にかられ、物を投げたりベッドから落ちたり、呼び鈴をハサミで切ったりと、危険になってきました。
何が一番心配なの?とお婆さんにベッドから声をかけると看護師さんが車椅子で私のベッドまで連れて来てくれるようになりました。
「留守の間に家が病院に乗っ取られたのよ、私の部屋なのに襖もタンスも改造されちゃった。貯金通帳まで盗まれたのよ」と真顔で訴えるのです。
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