2006/2/5 日曜日

花森安治氏の「暮らしの手帳」展

Filed under: 日々雑感 — patra @ 6:37:18

戦後23年に創刊されてから日本人にこれほど愛された雑誌も類をみないだろう。
その軌跡をたどる展覧会が世田谷文学館 で4日から始まっている。

広告を全く入れずに常に公平な視点で日本人に質素で堅実な生活を提案して来た家庭雑誌は戦後、花森氏曰く「自分の暮らしを大切にする考えがなさすぎた事が戦争への道を突き進んだ」と反省し「暮らしの手帳」を立ち上げた動機だといわれる。

今現役で編集に携っている方々では実際の花森氏に御会いになった方は、もうほとんどいらっしゃらないとおもう。
1911に生まれ1978年には60才後半で亡くなられている。

その花森氏に私は中学3年生の夏に御会いする!・・・という貴重な体験をしている。ハンドバッグ職人だった祖母、なをの1代記の取材にわざわざ千葉の勝山鋸南町に借りていた夏だけの家、煮干し臭い漁師長家にお見えいただき、同席できたのだ(団扇がかり)。

当時、先生は長髪を後ろで束ねスカートをはいている、そんな奇行が週刊誌でも有名だった方でお写真は厳つく、どれも怖そうだった。

当時83才だった祖母が驚かないか心配だったが、大橋鎮子?さんとカメラマンと3人で見えた花森先生は気を使ってか、髪を後ろで束ねて帽子をかぶりズボン姿だった。

頬骨の高いお顔はお写真よりもずっと立派でむしろ精悍、声音も優しい一目で素晴らしい紳士だ・・そう感じられ少女心にも立派な大人とは何と物静かで良い目をしているのだろう!と興奮した記憶があります。
廊下に四角くなって座る団扇係りの私達姉妹を振り返って優しく「扇がなくともよいです。」とも言っていただいた。

手弁当持参で朝から夕方まで取材なさる先生のきちんと揃えたお膝、クーラーなんかまだ無い真夏の葦の日影と窓の側を走る列車の轟音と共に今も目に焼き付いています。

「りっぱな方だ、たいした方だ。」無学文盲の祖母はすっかり花森先生に参ってしまい、お帰りになった後、何度も呟いていた。

祖母の話をテープに取り取材した記事は名文で、その後、読売出版大賞を取られた「一銭五厘の旗」にも収録され今だに復刊されている。

私のスローライフな暮らしかた、日常を少しでも豊かに彩ろうとする姿勢は「暮らしの手帳」の薫陶によるものですが何より私の母が花森先生のファンで姑の1代記を投書した事が切っ掛けだったのも懐かしい思いでです。

今編集に携る若い人や子育て真っ最中のお母さんにもぜひ見て欲しい展覧会だとおもいました。


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