2004/11/10 水曜日

阿吽

Filed under: 家族 — patra @ 3:22:25

首が痛い・・・と言ってた殿老人、やっぱり寝違えたのだろうか、医者から貰ったハリ薬が利いたらしく大人しい。それでもきっと寝ながら見るTVの位置もあるだろう、と姉が来てくれて去年設置した場所を代え、足元に工夫して置いてくれた。これならベッドから真直ぐに見る事ができるから首は捩じれませんね、と一安心。そして二日たった今日、夕食に降りてくるなり「新しいTVを買ってくれ・・どうもあれは、音が悪い」と宣った。どうやら耳の横から足元分、音が遠のいたらしい。「去年買ったばかりでしょうに、」と顔を見ると「あれは安物だ!」という。

流行りの薄型ハイビジョンが欲しくなったらしい。毎日TVを見るせいかやたらに情報通だ。地震でTVが飛ぶのも怖いにちがいない。「変なの買ちゃだめだよ」と息子に予々、言われていたので、「もうちょっと我慢できない?」と聞くと金ならあるよ・・と直ぐに言う。それはそうだろうが、僅かなもんだ。去年の入院騒ぎの時の「空き部屋がありませんので個室へ・・」と言われ1日4万5千円なりと聞いた時のショックがまだ覚めやらぬ私は、もう何の購買意欲も起きませぬ。食堂のTVだって、買い替えるはずだったのに、物は試しと接触部分ハンダ付けしてお直ししてもらったら綺麗に映る・・・。

ぐずぐずと文句を言う殿老人に「今は非常時でしょうに」と言っても「そんなの、知らん」もう丸っきり喉元過ぎればの我が儘に、何を思ったか母「耳が悪いのに新しいTVでもやっぱり聴こえなかったら大損でしょう。病院で使っていたイヤホーンを先ず、試してからでも遅く無いわよ」ピシャリと一言。「そりゃそうだ・・・な」素直な父。ヨカッタ〜、と目で言うと「この人、置いて死ねないわよ、なんとしても先きに見送るからね」と胸を叩いた。絶対無敵なコンビ!この二人が若かかりしころ喧嘩ばかりだったなんて信じられません。


  1. 「年を重ねてゆく」ということを考えてしまいました。
    年が少ない頃は自分が苦しいばかりだったのですが、年令を重ねてゆくうちに生きるのが楽になってきました。
    今が幸せであればそれでいいと想うのですが、時には未来のことを考えてしまいます。
    やはり苦しいのはイヤなので、できるだけ健康で居られるようにと考えて習慣を作るようにしています。
    これからどうなるのか考えなくてはいけないと想いつつも、先のことは分からないとつぶやいたりもします。
    パトラさんの記事を読みながら、そんなことを想ってしまいました。

    コメント by 変人 — 2004/11/10 水曜日 @ 12:41:33

  2. >変人さん♪
    私は昔から、父の母、つまり私の祖母の話相手を13才くらいからしてます。
    なので老人と若者の溝、疑問点、沢山質問しながら活学してきたので
    基本的に年寄り好きなんだろう、と思っていますが悪くないですよー歳を取るって

    基本的には「晩節を重んじよ」これに尽きます。
    先の事は分からないけど今を大事にする君ならば、もちろん穏やかな晩節は約束されています。徐々に、ほら階段!君も言ってましたね。

    その階段の途中で見えてくる景色を兎に角、心に刻もう。

    え、大急ぎのコメントは文字見間違えますね。御無礼しました。
    掃除、一段落。

    コメント by patra — 2004/11/10 水曜日 @ 21:53:52

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