2005/12/2 金曜日

昔のカメラ・・キャノン

Filed under: ネコ,友人 — patra @ 3:09:13

猫グッズ
古いカメラで写しておいた猫ママさんのお土産・・赤く転んじゃった。

今日カシオが戻ってきた。が中の映像が見事に消えてしまったので
結局このキャノンの一枚が辛うじて残りました。
接続の端子さえ柔でなければ凄く使い勝手はいいのだけど、これで2度の部品交歓でした。


2005/12/1 木曜日

食の見直し

Filed under: 料理 — patra @ 0:46:23

美味しいのに・・誰も食べない

店屋物が嫌いな私は普段は
干物や納豆が多いのですが、時々どうしてか
ステーキを食べたくなります。
ついつい
いい気になって食べていたら29日、後頭部に激しい痛み、血栓でも出来たかな・・・
未体験の痛みに驚きました。
何もかも油断のできない年齢に終になったのでしょう。
血栓を溶かすと言う小児用バファリンを飲んでお水を2リットル
運動できないのも悪いので極力小食を心がけます。
しばらく様子をみるとします。
古いカメラで写真を取り込んだのだけど・・・
何処かへ?ま、あんまり良く写せなかったのでお蔵入り。

料理写真は地味なので暫くお休みとします。


2005/11/30 水曜日

母の鑑

Filed under: 感想 — patra @ 6:52:56

帰国早々仕事漬けの息子が夕食に降りて来た時「大学の先輩が本を出したのが評判が良いらしいので買ったんだけど、忙しくて中々読めないから良かったら先に読む?」と一冊の地味だけど品の良い本をかざし私を見た。
「え、先輩って誰?」と聞くと「リリーフランキーさん、武蔵美の音楽仲間の先輩」に私とお婆ちゃんは「きゃ〜〜」と同時に叫んで手を差し出した。

今評判のベストセラー本の作者が息子の先輩だなんて吃驚、かねて疑問の「何故リリーって妙な名前なの?」と聞くと、由来は定かでないけど大学でかなり人気なバンドを作っていたそうでその時代からのあだ名とバンド名かららしく当時からリリーさんと呼ばれていたそうだ。

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

清潔な、それでいて実に美しく華やかな装丁の本、まず私が先に読ませていただくことになりました。

そしたら途中でとめることが出来なくなって泣きながら最後まで読みました。果たして息子はこの本を冷静に読めるのだろうか?貸してくれるとき「僕はとってもこんなに書けませんから今からお断りしておきますね」と言うので何の冗談言ってるのか?と思ったけどとんでも無い本になるような生き方どころか・・・。

そんな事より何よりこのオカンのような尊い心がけで子を育てたか?こんな覚悟を持って人を愛したか?問われたら私は意気地なく項垂れるだろう。

自分は何かとてつも無く鈍い生き物オバンとなってしまって、しっかりと両目をあけて物事を見ようとしていなかった事にリリーさんの本は気づかせてくれる、とんでもなく恥ずかしい気持ちと・・・恵まれている所も山ほどあるのに、それを有り難く思う気持ちより不満を探すのに熱心な分厚い猛母に、しっかりとなっている。

リリーさんは年老いたお母さんを苦労して我が身をすり減らして小さくなった消しゴムに例えなさった。母上の死後、日記に挟まれていた「詩」のような言葉のメモに全ての母の気持ちが表れています。ただ愚かな事に思っていてもそれを実践できる賢い母は稀、リリーさんのオカンはその希有な方だったのだろう。
皆さんに多く読んでほしいというリリー・フランキーさんの言葉があります。  


2005/11/28 月曜日

義経「安宅の関」

Filed under: 大河義経 — patra @ 2:19:07

ありがとう、石橋蓮司さん!
観終わって叫んだ私に息子夫婦が笑いながら「脇で随分助かっているよね、良かったよ!」と言ってくれました。
久しぶりの夕食を一緒に下で食べるには「義経」が始る前に椅子に座ってね、と内線電話をしたくらい最後の追い込みです(笑)。が今朝の夢では黛さんが「今日は僕ではありません」と言ってらしたのでその事をフミちゃんに次いでに話すと「あ、ほんとだ」とタイトルを観て笑いました。

だから気楽に中華風豚と野菜の炒めもの、胡瓜とワカメの中華スープ、白菜の漬け物などで義経ディナー、でも静かに画面に注目・・・

いよいよ逃げ行く先は北陸道、すっかり汚れた山伏姿の郎党・・焦りと窶れがみえます。義経主従の動きもどうやら鎌倉殿には読まれている模様、さらに厳しい道のりが待っています。

一夜の宿を頼んだ猟師の所で何と巴に遭遇する義経さん、猟師に助けられ子を産み母の顔の穏やかな巴はモヨと称し「今生きていて、しみじみ良かったと・・・私を生きさせたのは貴方さま」・・・
「私も少しはお役に立ったのか、ならば良かった」と答える義経さん。
「諦めぬことじゃ、さすれば道はありましょう」この別れの言葉を伝えるモエは昔の巴のようにキリリとした瞳・・このエピソードは義経さんの優しさを現す意味で悪く無いと思うが、郎党の夢の語らいには苦笑も無きにしもだが、人間、苦境や極限の時に全くユーモアが無いか?と言うとそんな事は無く、かえって自らを振るい立たせるが毎くハシャグものだ。危険がせまる中の一時の夢想はかえってリアルな郎党達の胸中だと思う。

そして安宅の関へ・・・ずずっと引き込まれて観終わって、改めて石橋蓮司さんの演技にお礼を言いたい気持ちで一杯でした。
歌舞伎でもこの「勧進帳」のシーンは大袈裟なもので、もっとも有名、さてどうなるか?と思いましたが、冨樫とのやりとりで「何か?」と言いつつ弁慶の肩がジリッと義経さんを隠す辺りから・・隠居、目が弁慶と冨樫に釘付け。

切迫した問答の末、ついに勧進帳を空で読む件、冨樫にも嘘か判断つきかねる辺りの演技が実に素晴らしいったら無い。
「泉坊の不審あり!」懐の笛を咎められ「そなた真に山伏か・・?」

進退極まった弁慶、咄嗟に義経の懐から笛掴み叩き捨て六根棒で義経さんを思いきり叩きのめします。「まだ盗み癖が直らぬか」泣きながら笛も踏みにじり尚も腰を叩く弁慶の余りの勢いに冨樫泰家・・・この時の目の演技を観ることが出来ただけでも満足でした。
泣いているんです、ホントに・・・。
「先達殿! もう良い。」
「笛のいきさつ得心いたした」
家来に渡された酒の瓢箪と共に義経の側に来た冨樫の「したたかに打たれ今宵は痛さで眠れぬやも・・・其の時は酒で痛みを和らげるが良い。 盗みは致すなよ」
「・・・・」義経じっと冨樫を視る。

冨樫の目に多分一番鳥肌がたったであろう人は滝沢義経さんであるまいか。

「久郎殿・・」

昔から大好きな役者さん石橋蓮司さんに感謝した夜。この冨樫の目だけで統べての了見を察知する演技、並大抵では無い。とてもじゃないが軽いものになってしまったであろうからこの冨樫役、引き受けてくださった演出家としても優れている役者、石橋蓮司さんに配役を振ったスタッフにも敬意を表したい。
歌舞伎ならば蹴れんで引っ込む大見得の所をジワジワと涙ぐみながら鑑賞しました。
関を抜けた所で弁慶の大泣き・・
「弁慶、手をあげよ、そちの苦しみは我が苦しみ、そして皆の苦しみじゃ」
答える義経さんの顔も良かったです。


2005/11/27 日曜日

女のドラマ

Filed under: 感想 — patra @ 5:29:39

日本に着いても色々と仕事の息子、上にいるのに2日も一緒にご飯を食べてません。
時差で苦しむフミちゃんに鰺の干物やビーツの茹で汁を利用した牛筋肉のスープを差し入れて、そっとして置く・・

お陰で、かねてから興味のあった3夜連続のTVドラマ「女の一代記」の最後まで堪能、杉村春子さんまでを観る。

全部観たあとの感想は、なぜか一番、難しいと思った宮澤りえさんの演じた瀬戸内晴海さん、いや寂聴さんのドラマが一番面白かった。まだ現存していらっしゃる寂聴さんの生き方・・「出家する事は生きながら死ぬこと」と説法で語る寂聴さんに充分な生命の輝きがあるからだろうが・・・テーマが明確なうえに女優としてりえさんの覚悟が見事だった。

りえさんは婚約破棄のあと色々事件があった直後の玉三郎演出、パルコの舞台、連日楽屋に届けられるバラ1倫の話しは有名で当時ヘアを担当していた私の友人に良く聞いていたエピソードだが、そのバラの贈り主の息子さんと恋人同志で競演する姿にも、りえさんの女優として辿る運命を強く感じてしまいドキドキが複雑に重なってスリルでした。

大昔、演劇やコンサートの会場で良く瀬戸内さんを目撃する偶然があったのだが、あのように売れっ子の作家さんがお連れも無く一人、毅然と立っていらした姿は非常に目立ったものだ。綺麗な着物の立ち姿が寂しそうだったが「秘める恋」は決して幸せとは成らない事を寂聴さんのドラマでさえ立証している。
それがどうだろう!今は沢山の信者に囲まれた墨染めの法依姿、その明るい笑顔、張りのあるお声、どこにも陰りが無い寂聴さんの現在。長く生きて初めて解る人生の不思議をつくづくと見せて頂きました。
「それでも人を愛しなさい。」大いなる矛盾説法に思わず拍手。思い出は、そりゃあるほうが良いにきまってるもの。
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