2009/3/19 木曜日

台所の鍵が不具合になって

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 1:22:54

亡父の好物の海老フライ桜道を見ながらビール依存?

ヘルパ−さん達に台所の鍵を一つ渡してあるのですが遂に一昨日から鍵がかからなくなってしまいました。

中からも硬くて回りません。裏の工事のためじゃないかと話合い早速抗議しました。どんな工事をしてるのかも見えないのも不安。つぃでに工事進行表と工事の場所の見取り図も請求しました。

小さい薄い見えないような鉛筆で「ご迷惑おかけしてます」と書かれた名刺が添えられてポストに入ってます。最近の人はどうしてこんなに消えいりそうな小さい字を書くのか不思議。昔、息子も字が小さかったのをビシビシ言って直させたのだが・・・

図面を見ると一応こちら側の敷地にこれ以上響かないような工夫も微かにしてあります。ふむふむ。

午後にサッシ屋さんと共にドアを見にきてくれた工事監督は名刺の字のように大人しすぎるような人。最近の現場は昔とは様変わりして女性の仕事師も居るからでしょうか一応皆さん建築現場に不似合いな程、穏やか。

怒ってるつもりの私、一人拍子抜け。その時桜の話が出て,良い時期を見て移動する事も考えているとの事。銀杏と柿と桜が近過ぎて根の成分が銀杏に吸い取られているのでは?と私と同じ意見だった。

木を残す方向で皆さん動いてくれているようで30年前に木を残してくれた社長さんはもう居ないのに受け継がれているものが同じであるとしたら これは嬉しい。泰山木さえ切らなかったら拍手だったのに。

鍵は我が家の既存のゆがみもひびいているらしく工事のせいとばかりは言えないらしい。怒りの矛先が鈍るも江戸っ子はいつも口だけ威勢がいいからこまっちゃう。


2009/3/18 水曜日

私の小さい桜の話

Filed under: エッセイ,時代 — patra @ 2:25:59

息子たちの帰国で静になった我が家、用心のために夕方から全ての鍵をかけ門灯をつけてまわる。1階の階段下から2階の小窓を見上げると桜が私を覗くように咲いているのが見える。枝ぶりの見窄らしく成ってしまった延命の桜だ。「今年も誕生日前から咲いてくれてありがとう」そう声をかけ、そうだ今夜は佐藤良二のさくら道がドラマ でやる日だな!と思う。

冷凍庫の整理がてら早めに夕飯を済ませ裏の敷地に残してもらった桜のためにもドラマを見ました。バスの運転手の佐藤さんが桜街道を作りあげようと努力しているニュースを知った頃、私は息子の育児の真っ最中だった。木が大好きだった私はその頃の経堂の陋屋が木に囲まれているのが何より気に入り住んでいた。

実家だった、今現在は私の所有する此処は昭和26年から父が住んでいたのだが元は江戸時代から続く味噌問屋さんの地所だった所を安く購入したのだ。その地主さんの屋敷は重い瓦屋根に潰されそうな平屋で陰気な雰囲気だったのは鬱蒼とした大きな庭の木々のせいだった。

池もあり古井戸もありお稲荷さんの社も誰も手入れをしないせいで朽ちかけていた。時代についていけずに 没落していく様子が子供心にも強く印象に残る無惨な庭だった。どんな人が住んでいるのかもお隣なのに地主のお爺さんしか目に入らなかったが結構大人数の家族が住んでいたようだった。ある時から家に隣接したニワトリ小屋に裸電気を引き勉強部屋にする学生さんが現れて増々暗い様相を醸し始めていた庭だった。

木の好きな私はお嫁に行くまで隣の木々の雨に濡れて艶やかに蘇る様や木枯らしに丸はだかになる様を具に観察 しては木に語りかけ励まさずにはいられなかった。日がな木を眺めていたので夜中の火事も発見し2階の窓から大声で地主さんを起こしてあげたこともありました。幼少の頃からの癖だったのでしょう。大袈裟に言うと木の声が聞こえていたのかもしれない。

70年代後半になって出戻った私に隣の木々はなお鬱蒼と茂り我が家の屋根に触れんばかりに枝を伸ばしていました。既に地主さんも亡くなり終に土地は売られジャングルのような絡みあった陰気な庭が 取り壊される寸前に私は受話器を握り敷地の端っこの桜と銀杏,柿にローリエと泰山木の延命を裏の会社に直訴するため電話をしたのでした。

忍びなかった。木々が切られその土地の歴史が跡形もなく消え去るのを見過ごすなんて絶対に。ローリエ(月桂樹)は切られ泰山木は桜とともに残されました。嬉しかった。

それからです。早咲きの品種だったのでしょうか?3月のはじめには咲いてしまう桜。年に何回も見事な白い花を咲かせる泰山木。あれから30年、先日、泰山木がついに切られてしまいました。

日当りと栄養不足の桜は哀れなくらい弱っています。去年は私の誕生日には間にあいませんでした。今年は危機感からか・・・窓から覗く桜は色こそ褪せた白にちかい花を必死に咲かせてくれています。新社屋建設のために取り壊された敷地に取り残された桜と1軒だけの我が家。人間が植え育て人間が残酷に木々を切る。

ドラマの中で実生の種を桜が一杯落とすシーンに泣きました。なぜなら10年程前に裏の延命の桜,この実生の種をいっぱい降り注ぐように落としたことがあったのになぜか解らなかったからです。不出来な桜んぼ?と。無知でしたが私個人ではどうしようもないことと諦めていたのでした。企業がせめて木々を土地の歴史として残すくらいの度量が あれば・・・・虚飾の繁栄ではない真の受け継ぐべき繁栄につながりはしないか?さくら切ってはならない。

諦めなかったのが佐藤良二のさくら道、この地球上に彼のような人こそ必要だった。


2009/3/17 火曜日

チェロキーが戻る

Filed under: 日々雑感 — patra @ 2:33:08

息子達の滞在中に故障が直ったにも拘らず車庫には成田で借りた車が鎮座していたのでそのまま預かってもらっていた車が夕方届いた。いつもバッテリーの線を外しておいてもらいます。こんどは車体を車庫の右側に出来るだけ寄せて駐車してもらえました。フミちゃんからきっちり代金を入れた封筒を預かっていたのでお支払いする。

息子からは昨日の夜中、”無事着きましたぜ”とメールもありました。昨日のパリは天気が良くて暖かい・・・そうです。ミモザの咲くころですかね、あちらは。

寂しいかと思ったら全く気のせいで何時もの日常が戻っておばあちゃんもケロっとしてて少しホっとしました。


2009/3/16 月曜日

無事にフランスへ

Filed under: 家族 — patra @ 1:53:20

菜の花

3時間ほど寝て朝8時頃に成田までレンタカーで向かったので道中が無事か?しんぱいだったけど10時過ぎに空港から電話・・・空いていたのですぐ着いたと電話がありました。何度きいても日ズケが逆戻りするのでパリの到着時間が未だに理解できないわたしです。たぶんこちらの夜中?パリは日曜の夜になるのでしょうか?

今回は二人も相当に疲れたんじゃないかな。色々と力になってくれてごくろうさまでした。


2009/3/15 日曜日

さいごの夜

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 1:48:39

お昼にはお招きされて出かけた土曜、今夜は息子達がおばあちゃんと一緒に食卓を囲める最後なんだけどお招きいただいたお昼が大ご馳走だったらしく夜八時に戻った二人・・・「お腹が空いてない」

おや!では待ちくたびれたおばあちゃんだけが食欲旺盛なのかしら。 残してもいいから兎に角おつきあいしてあげて・・・

そう言いながら囲んだテーブル、あれれ、気がついたら全員きれいにお皿を平らげてました。野菜もお肉もジャガ芋のグラタンもほんとに美味しかった。今回、あまりにも沢山、お呼ばれされた息子たちに 献立が重複したらと考え過ぎて結局老母と私の好きなステーキが再度登場してしまいました。
今年はもう1度帰れるらしいのです。
お別れディナーオードブルジャガ芋のグラタンこんがり熱々ランプステーキヴィラデストのワイン


老母の嬉しそうな顔、誕生日より30gも多いお肉を奇麗に平らげてました。3月は毎日がご馳走みたいで一番喜ぶのが母・・・

明日から又カロリー計算をしっかりとやらねばね。

息子たちは空港でお鮨を食べるから朝は要らないといいます。レンタカーを返すので早めに家をでるそうですがバレエのマノンを見たりたのしかった。


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