人間の尊厳は
病室で書いていたメモを見ると電動ベッド(上下に加え頭、足部分等が稼動する音声つき)が届いたのは2月20日になっています。リハビリ室へ行ってる留守の間に取り替えてあったようで、<これで日中自由に自分でベッドを起こし座っていられる・・・>とありました。それまでは手動でベッドの上げ下げをしてもらっていたので遠慮していたのだろう?
メモによると手術の翌日15日にベッドから車椅子へ乗り移る練習の為にリハビリ室から2人の男女先生が来ています。包帯に巻かれた両足を伸ばしたままの私を一体どうするのか?見ていたら・・女先生が黒いカーボン状の撓る板をベッドと車椅子の手すりを跳ね上げた座面に渡してその上を滑るようにして乗り移るのだ!と説明してくださる。ひゃ〜滑り台ね!成る程。
パジャマのズボンの後ろを持上げてボードへ乗せてくださる・・・女先生に両足を持っていただき自分でもズリズリと滑ってみると簡単に車椅子へと乗り移れました。両足は車椅子から突き出した長い板に乗せたまま・・。
ちょうど見舞いに来ていた姉がすっかり感心する手際の良さです。
反対に車椅子からベッドは高さが逆でちょっと大変でした。
閃いた私はベッドを車椅子の座面より低くしていただき、やっぱり高い位置から低い位置へ・・・滑り台の原理を利用して試みたら楽勝で成功!。一々ベッドを手動で動かすのは人手も労力も大変なので電動ベッドが欲しかったのですが、思ったより取り替えていただくまでに時間がかかっていたのですね〜。機械で膝を曲げる運動も15日から午前と午後2回、1時間づつ忙しい日々がはじまりました。
16日からは昼食の後1階のリハビリ室まで看護師さんに連行?されながら何人かの患者さんたちとカルガモの行列のように並んで長い廊下を行進です。必死で車椅子を漕ぎながら皆で渡れば怖く無い♪状態は妙にかわいい行進です。
若い子や老人もみな仲間、同病合憐れむとばかり、すぐに仲良くなりました。
リハビリは広い部屋のそれぞれの台の上やマットの上で障害の程度に合わせた運動をするのです。私は端ッコのピンク色のチルドシートが定席の場所。
ピクリとも動かない両足にロープを掛け天井から下がった滑車を利用し自分の脚を上下させる運動から始め、ボールを膝に挟んで押し付けたり、三角の台を膝下に入れ足を片方づつ上げる?といった地味な運動を8種類くらい1時間ほど繰返すのを骨がつくまで続けたわけです。ちなみに痛み止めはこのリハビリの前に飲むだけに自分の意志で止めました。
17日のメモには部長先生が夕方「リハビリの先生に聞いたけどもっと手で身体を支える運動をしなきゃダメ!覚悟しないと!」と宣告される。身体を支える為の手の運動をするとアっと言う間に甲に内出血してしまう軟弱さに我ながら情けないが全くお尻が上に持ち上げられない。リハビリの先生は誉めてくれたのにどうやらお世辞だったか・・・とがっくりする。その夜問題が・・・。
2月21日ダイブ動けるようになったがまだお尻が持ち上げられない・・
2月22日今日洗髪していただく・・とある。入院12日目にやっと洗髪とは情けない。
ドライシャンプーやアルコールで自分でメンテナンスを試みていたが限界もあったのだろう必要最低限の要望です!というメモが残っていて当時の辛さが蘇ります。
(1)毎朝起きたらすぐに歯を磨きたいので顔拭きの時、水飲みに水を入れベッドを起こして欲しい。歯磨きの水は食後3度3度交換して欲しい。
(2)トイレは自分の意志では働かないのでそちら側で必ず時間を取って欲しい、レシカルボンを必ず用意して欲しい。
と書いてあった。電動ベッドが来るまでの10日間、慣れない入院生活に随分遠慮もあった私だが看護側から人間の尊厳にたいする配慮がなされていずに17日に大爆発して怒ってしまってからは、やっと整形の看護師全員が注意深く優しくなったのは事実である。後に親しくなった看護師さんは「患者さんが遠慮して言い出せないなんて考えもしませんでした。イチダさんの抗議はとても勉強になりました」と言われ反って驚く始末。授業と実際とでは違うのだろうが、すべての看護師が自分がもし患者の立場だったら・・・と考えていただければ解決する問題だ。
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