2007/8/28 火曜日

猛暑が育てる葡萄

Filed under: 友人,日々雑感 — patra @ 5:18:12

グランドローズ
年上の先輩、小島先生からいつもの様にグランドローズという甘い葡萄が送られてきた。母が居たらさぞ喜ぶことでしょう!と思いながら箱から取り出し冷蔵庫へ・・・
明日にでも病院へ持っていってもらいましょう!と考えながら・・・。
そこへヘルパーさんが戻ってきて母のメモを手渡してくれました。なんと叔母(母の妹)が私の姉(彼女も入院中)から聞いて早速お見舞いに来てくれたらしく、お土産が甘い葡萄だった!と書いてありました。クスっと思わず笑ってしまった。
おいしい葡萄までが集まる日だなんて・・・
何を言いたいか?というと我が家はどうも何でも一極集中する運気のようです。息子に続き私がやっと退院になった途端,姉が入院,母が入院のようにね(笑)
「すごく元気でしたよ〜」
ヘルパーさんが報告してくれる。タヒチアンノニジュースと葡萄母も姉もタヒチアン・ノニを愛飲しているので私の入院中もせっせと送ってきてくれてました。
皮肉なものでこの猛暑が育てた葡萄も暑いタヒチ島のノニも身体中をリフレッシュする力が凄い果物です。
猛暑の力を、自然の摂理で考えると、うんざりするより有り難いことと考える方が良いのかもしれない。
お礼の電話で骨折した報告をしご無沙汰をお詫びしました。お元気そうなお声の先生はフランス人のお孫さんが遊びに来ている忙しい夏だそうです。亡くなった息子さんの血脈がしっかりと繋がっているのを知って嬉しかった。

長い人生には色々な事が起こるものだけど若くしてご子息に先立たれると言う逆運にもメゲズ美しく生きていらっしゃる小島先生の優しさを葡萄に重ねて、がんばるぞ!とつぶやきながら嬉しく味わいました。


2007/8/26 日曜日

モーニングサンドイッチ

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 5:39:11

まちがいの多い私ですが昔のローストビーフのサンドウイッチをつくろうが検索に良くでます。美味しそうだからじゃなく表記違いの為みたい(笑)。サンドウイッチとなってますが、これって間違いですね。昔から何故かそう覚えこんでしまった。
ピメントソーセージミもレットと食パン病院でカロリーを気にするようになったので朝は食パン8枚切りをたったの1枚・・・
大好きなサンドイッチを作れません。バターも止めたしジャムも無し・・・
ピメント入りソーセージとミモレットの薄切りだけをチシャレタスにのせてヨーグルトで味つけです。

のせてできあがりくるっと折ってそのままお口へ・・・ホラ,サンドイッチができあがり、これが結構美味しいのです。

ポテトサラダバージョンと共に超簡単な朝サンド♪こぼさないで食べる名人になっちゃった。足のためにはもう少し体重を落としたいのですが・・ちなみに目下1日2食とお八つを1400カロリーに抑えています。サプリメントやアミノコラーゲンまで計算に入れないと正確ではないそうで結構たいへん。

百回よ〜く噛みます。脳には目が無いので噛んだ回数でお腹が一杯になった!と判断するのですって!知ってた??

しかしサンドイッチは野蛮なくらいの作り方が一番うまい。


2007/8/24 金曜日

しっかり食べる・・・

Filed under: 家族,日々雑感 — patra @ 22:16:18

ごはん
何故か最近,白いごはん・・おいしい

鯵と..私の入院先では白ちゃけた、焼き色の無い鯵で情けなかったので早速塩焼き・・・。
こうじゃなくちゃ〜誰も大根おろしてくれないけど要君のおろし醤油です。
両手を使ってご飯を作る作業が私の立つリハビリ、代わり映えしない献立だけど
昨日よりも今日の方が足腰がしっかりしてます。

和風ブロッコリー葉酸を補給するため何時も食べるブロッコリー
和風のおカズの時は辛しと練り胡麻にお味噌を入れて酢で溶かして,味噌風味で頂きます。コンニャクの炒り煮と相変わらずのモズク。ピンがブレルのはまだ足が確りしてないせいでしょう?(笑)

火曜日に緊急入院した老母は元気です。
入院先のご飯が大層、気に入ったと大満足の様子らしい・・・
けれど今度はクーラーが利きすぎて「寒いからカーディガンが欲しい・・」との事、ヘルパーさんが慌てて戻ってきました。
入院すると介護保険は使えません、自費です。1時間3千円くらい・・私が動け無いので、こんな時の自宅近くの病院は何かと便利です。
息子も心配しわざわざフランスから問い合わせ電話を病院にしてくれたそうですが,たとえ家族でも電話で所見を述べてはいけない決まりだそうで・・・今の所検査はまだ、やっぱり暑さに負け水の飲み過ぎが代謝できずに心臓に負担がかかったのかな〜?と私。

偶然に入った病院に昔の主治医がいらしてて、それも大喜び!母は何時もなんとなく病院に関して運が良いようにおもいます。
留守の間、こんどは私がしっかりとお留守番。


2007/8/22 水曜日

山口小夜子さん

Filed under: 人物,時代 — patra @ 5:16:07

この春以来、沢山の知り合いの訃報を入院ベッドの上でききました。みな或る意味戦友です。そして昨日は山口小夜子さん・・・70年代80年代,世界に認められた日本の美を代表するモデル、いえアーティストだった方です。

長く資生堂のモデルも努めていられたので、広告に是非!と願ってもなかなかご一緒する機会がなかった私ですが、或る時、30年代の衣装をまとった美女たちを写す企画があり、高嶺の華と知りつつ思い切って当時の敏腕マネジャーモトキさん(故人)へお電話を入れたことがありました。
化粧品やキャンペーンものを選んでいらっしゃる世界の小夜子さん!、ダメでも、どうしても小さい仕事ながらギャッツビー風衣装の美女達にドラマを織り込ませるには小夜子さん・・・そう思ったからです。

当時人気の出口モニークやキャロ小宮を押さえ、あと一息グレードアップさせるには小夜子さんが不可欠です!電話口で熱心にモトキさんに訴えると「衣装はドナタのを使うのですか?小夜子も其の時代の衣装や小物を沢山もっていますので・・」と好意的なお返事でした。その時の衣装は確かビギ=稲葉佳江さんのオーガンジーにビーズ刺繍のプレタを貸して頂く予定でしたから、そうお伝えすると「あ、稲葉さんのドレスはいいですね〜では確かにお引き受けしました。当日は一人で伺わせますので宜しく・・・」

その時のカメラマンは大変喜びました。
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2007/8/18 土曜日

人間の尊厳は

Filed under: エッセイ,骨折日記 — patra @ 1:18:23

病室で書いていたメモを見ると電動ベッド(上下に加え頭、足部分等が稼動する音声つき)が届いたのは2月20日になっています。リハビリ室へ行ってる留守の間に取り替えてあったようで、<これで日中自由に自分でベッドを起こし座っていられる・・・>とありました。それまでは手動でベッドの上げ下げをしてもらっていたので遠慮していたのだろう?

メモによると手術の翌日15日にベッドから車椅子へ乗り移る練習の為にリハビリ室から2人の男女先生が来ています。包帯に巻かれた両足を伸ばしたままの私を一体どうするのか?見ていたら・・女先生が黒いカーボン状の撓る板をベッドと車椅子の手すりを跳ね上げた座面に渡してその上を滑るようにして乗り移るのだ!と説明してくださる。ひゃ〜滑り台ね!成る程。
パジャマのズボンの後ろを持上げてボードへ乗せてくださる・・・女先生に両足を持っていただき自分でもズリズリと滑ってみると簡単に車椅子へと乗り移れました。両足は車椅子から突き出した長い板に乗せたまま・・。
ちょうど見舞いに来ていた姉がすっかり感心する手際の良さです。
反対に車椅子からベッドは高さが逆でちょっと大変でした。

閃いた私はベッドを車椅子の座面より低くしていただき、やっぱり高い位置から低い位置へ・・・滑り台の原理を利用して試みたら楽勝で成功!。一々ベッドを手動で動かすのは人手も労力も大変なので電動ベッドが欲しかったのですが、思ったより取り替えていただくまでに時間がかかっていたのですね〜。機械で膝を曲げる運動も15日から午前と午後2回、1時間づつ忙しい日々がはじまりました。

16日からは昼食の後1階のリハビリ室まで看護師さんに連行?されながら何人かの患者さんたちとカルガモの行列のように並んで長い廊下を行進です。必死で車椅子を漕ぎながら皆で渡れば怖く無い♪状態は妙にかわいい行進です。
若い子や老人もみな仲間、同病合憐れむとばかり、すぐに仲良くなりました。

リハビリは広い部屋のそれぞれの台の上やマットの上で障害の程度に合わせた運動をするのです。私は端ッコのピンク色のチルドシートが定席の場所。
ピクリとも動かない両足にロープを掛け天井から下がった滑車を利用し自分の脚を上下させる運動から始め、ボールを膝に挟んで押し付けたり、三角の台を膝下に入れ足を片方づつ上げる?といった地味な運動を8種類くらい1時間ほど繰返すのを骨がつくまで続けたわけです。ちなみに痛み止めはこのリハビリの前に飲むだけに自分の意志で止めました。

17日のメモには部長先生が夕方「リハビリの先生に聞いたけどもっと手で身体を支える運動をしなきゃダメ!覚悟しないと!」と宣告される。身体を支える為の手の運動をするとアっと言う間に甲に内出血してしまう軟弱さに我ながら情けないが全くお尻が上に持ち上げられない。リハビリの先生は誉めてくれたのにどうやらお世辞だったか・・・とがっくりする。その夜問題が・・・。

2月21日ダイブ動けるようになったがまだお尻が持ち上げられない・・
2月22日今日洗髪していただく・・とある。入院12日目にやっと洗髪とは情けない。

ドライシャンプーやアルコールで自分でメンテナンスを試みていたが限界もあったのだろう必要最低限の要望です!というメモが残っていて当時の辛さが蘇ります。

(1)毎朝起きたらすぐに歯を磨きたいので顔拭きの時、水飲みに水を入れベッドを起こして欲しい。歯磨きの水は食後3度3度交換して欲しい。

(2)トイレは自分の意志では働かないのでそちら側で必ず時間を取って欲しい、レシカルボンを必ず用意して欲しい。

と書いてあった。電動ベッドが来るまでの10日間、慣れない入院生活に随分遠慮もあった私だが看護側から人間の尊厳にたいする配慮がなされていずに17日に大爆発して怒ってしまってからは、やっと整形の看護師全員が注意深く優しくなったのは事実である。後に親しくなった看護師さんは「患者さんが遠慮して言い出せないなんて考えもしませんでした。イチダさんの抗議はとても勉強になりました」と言われ反って驚く始末。授業と実際とでは違うのだろうが、すべての看護師が自分がもし患者の立場だったら・・・と考えていただければ解決する問題だ。
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