2007/10/8 月曜日

ハミルトン,ノーポイントの夜中

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 0:54:47

一皿芋の葉とお皿

ローストビーフ

入院している間に劇的に変化したのは政治よりも、全く予測しなかった新人が
F1のレースに登場していた事、ルイス・ハミルトン。
その名前を知らなかった。

熱心に見ていたら、残念,優勝候補だったらしいハミルトンがリタイア・・
上海は雨、大荒れのレース展開らしい。
粘れるかライコネン・・・・

いよいよ母が11日に退院するのでもう夜中のレースなんか見ていられないかもしれない。
あと数日で終る一人暮らし、最高だった・・・。

野菜がいっぱいのデイナーを一皿盛りにしました。

ローストビーフは冷凍してあった、母が入院する前に焼いたもの、冷蔵庫整理をしておかないと・・
で、食べ過ぎたので,腹ごなしに夜中まで起きててF1みながらカーテンの金具つけ・・


2007/10/7 日曜日

武士の一分を見る

Filed under: 感想,料理 — patra @ 0:09:38

鶏牛蒡質素極まりない、芋がらの煮付けがお膳に乗って出ましたね、一口含んで気がつく新之丞、さいごが泣かせます。
でも途中3回、あくびをしてしまった私です。

決して退屈なわけじゃないけど・・・
足の裏がきれい、しぐさがきれい、加世に見惚れました。

芋がらが加世の味なら、鶏牛蒡が私のかな・・なんて冗談はどうでも良いけど明日も休まずに追い込みで職人さんが来てくれるので早寝しないと。

気がついた事、職人さんは左官やの親方にしても大工さんにしても皆、一分をお持ちの様で,面構えがいい。


2007/10/6 土曜日

時々食べたくなるチキン

Filed under: 料理 — patra @ 11:06:58

ケンタッキー香味醤油チキンチキン

工事中でガスが止まったり水道が止まるので落ち着いてご飯が作れない日々です。
そんな時は自転車で行ける範囲のお店でお惣菜を買ってきてもらいますが、もう飽きちゃったので、TVのCMに釣られてケンタッキーまで行ってもらいました。さっきTVで見たらエジプトではスフィンクスの目線の先にケンタッキ−・フライドチキンのお店があるそうですね。絵として笑えました。

この前のご山椒チキンも、こんどの香味醤油チキンもCMを見るなり買ってもらいました。若者のハンバーガーと一緒でケンタッキーは時々無性に食べたくなる世代なのです。

パリっと香ばしい一口は最高!ところがである、ホンの微かにだが石鹸みたいな味がする・・私の舌がへんなのか、やっぱり晒されたような鶏の味。消毒をしすぎた鶏を使ってないかしら?人工的なものを感じとってしまうのでした。
鶏インフルエンザ対策に慎重に消毒、あるいは洗った味けない鶏を、香辛料で味つけし工夫をしているのかな?
シンプルに地べたで育った鶏の味がやっぱり美味しいかも・・・
ちょっと鮮度の落ちたレタスをナンプラーで炒めたものと一緒にランチ

でもこんな物のほうが美味しいから家ご飯は止められない。世間では野菜料理のバイキングまであるらしい外食フィーバだというのに(笑)いいかげんサンド朝ご飯


2007/10/5 金曜日

見積もり・・

Filed under: 日々雑感 — patra @ 1:02:23

ウサギのライダーなるべく安く!と値切ったら、とんでもなく生な色のペンキを塗られてしまった。

ショック、と伝えたら塗り直してくださるとの事、でも其の分もしっかり追加予算を取られてしまうのだけど・・・。

昨年、水道タンク撤去を計画し見積もりを取り寄せたが、あまりの高さに二の足を踏んでいた件を、その時の水道屋さんではなく、この間ケアマネジャーさんから紹介頂いた、トイレに上下電動ウオシュレットを付けてくださった水道屋さんにお願いした見積もりは、以前の壊すだけの値段よりも安い、しかも迅速工事でアッという間にポンプも撤去し直結にしてもらえました。。朝からお昼まで水が使えなかっただけなので感激・・・。現場を見て必要最低限の方法を提案してくださったのだ。

前の水道屋さんは”タンクが鉄の塊だし,重いから,壊すだけでも高いよ!”と散々脅かされた事をお話すると「水を抜けば軽いよ、鉄はタンクのフレームだけだしね」と事も無げに言う誠実ぶり・・・
どうしてこう職人さんで違うのでしょうか?、去年はその見積もりが納得行かず1年待った甲斐がありました。

リホームは希望を言う度毎に値段が上がるのが曲者だが、面倒な壊し作業が多く、全然儲けにならないだろうに、と済まない気持ちになってしまうが、良い職人さんとは誠実である事が次ぎに繋がる一番のポイントだと思う。

全員,良い職人さん達でホっとしました。
「ご自分のお母さんに親孝行するつもりで宜しくお願いしま〜す」と,最初の私の一言も利いたかも。図々しくも言えちゃう年齢に成って来たってことです。


2007/10/4 木曜日

旧制水戸高時代の英語

Filed under: 時代 — patra @ 8:11:46

1931年英語の日記
父の残した二竿の洋服ダンスを解体してもらい、沢山の和服と背広を数点のみ残し処分をした。何だか数度しか着用してない物もあったがほとんどが似た色ばかり,結局長い人生に於いて彼の選ぶ色は濃いグレイ系ばかりが目立つ。重いし型は古いしで全部処分。

書きかけの英語の原稿も思い切って捨てた。生前、もう捨ててもいいぞ!と言われていた民俗学や気象の資料など、躊躇していた本と一緒に本棚ごときれいさっぱり・・・「死んだら・・万事終わり」

但しこの1931年・・という父が19才?頃の英語で綴った日記は大事にしようとおもう。きれいな文字に几帳面だった性格を忍びながら,文面はたわいもない蒼き青年の日常だが,帝国大学を一浪したあたりまで英語で熱心に書き綴ってあった。
大学に入ってからは遊んだみたい・・・どうりで勉強しろ!とは言われなかったな。


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