ここの和室は天井に葦(ヨシ)が貼られています。昭和36年当時のまま枯れ切った葦はよい風合いで趣きがある。客間だったココを本来の姿に戻したいのですが、家族が少なくなった今でも1階のこの部屋が客間に戻ることがない。いつに成ることか・・・
天窓から下がっている一枚板は、父の意匠では床の間のつもりらしく,新築当時は床の溝には玉砂利が敷き詰められ藤の花の大鉢が置いてありました。玉砂利を水で洗い敷き直すのは私が嫁に行くまでの役目でした。炉を切る予定で炉縁も用意されていましたが、いつも誰かの避難場所になってしまう部屋で、今は私の寝室です。天井の葦にあわせ両側に葦戸をつくれば完成するはずの部屋・・・あるべき姿に戻るのは何時のことでしょうか。黒い壁と天井は私の指示で20数年前に塗ってもらいましたが、ふしぎに落ち着く部屋になっています。結婚するまでは息子の勉強部屋でした。
避難場所といえば安保闘争の大昔、警察に追われ,家の駐車場に逃げ込んで車の陰に踞っていた女性が居た。母に助けられ泊まっていった部屋もココ。学生運動の闘志だったのだろうが、どこの誰かも名乗らず朝には姿を消した件の女性は、50過ぎの貫禄おばさんになっているはずである。今はどんな天井の下で安眠しているのだろうか。
後で報告を聞き、驚いた私は母をたしなめた。世間は母のように素直で呑気な人ばかりとは限らない事を。ご主人の元から家出してきた遠縁の御婦人も、長い間、居候していたことがあり家族が非常に迷惑をした事もあった。 どんな時代もこの葦の貼ってある天井は、姿を変える事なくそのままだった。
浄玻璃というモノがあるとしたら,私にはこの葦がその鏡に思えるのです。我が家の喜びも哀しみも人の心、すべてを映し出す閻魔大王の鏡、浄玻璃に似た天井。暗がりで目をみはり葦の声に耳澄ますこと何回も・・・映し出されることなど何も無いけれど、父が自分の母親のために用意した部屋だが。なぜ葦を天井に貼ったのか?きいておけば面白かったのにざんねん。