2006/8/23 水曜日

また杏色の靴をはこう

Filed under: 人物,時代 タグ: — patra @ 1:00:50

また杏色の靴をはこう
検索から城夏子さんで私のエッセイにご訪問くださった方、早川茉莉さんの編集された夏子さんの本が届いたので早速読み返す。題名は早川さんのセンスで選び、今回は変わっていますが80年代に読んだ時は確か「薔薇の小匣」という題だったが「箱」の文字が変換できませんがあのパンドラの箱と同じ竹冠に匡と書く文字だった。
1999年から読んでくださっている方はご存知の私のエッセイ「アザミとひまわりの間」実は・・・木瓜の花!と鋭く切り返してくれた 車掌さんの今は削除された日記がより面白楽しく年齢差を強調してくれたお話が出てくるエッセイです。

人生で初体験した作家との出会いの主人公が城さんでした。城夏子さんは愛すべき、老女とはまだ、とても言えない永遠の17才でしたが昭和36年当時の社会では50、60過ぎの女性は立派に老女だったのです。とんでもない事でした。

あらためて読み直すと孤独と書いて城夏子・・と、自ら例える胸に迫る部分もあるには在るのですが悉くが素晴らしく明るいのです。

私が城さんにお会いできたのは美青年だった元夫に曳航されたお陰です。黒い紅型の蝶の柄の一越縮緬だった・・とエッセイに書いたのに黒は嫌いだったと?おや!?記憶を辿りながら読み進めて行くと確かにお嫌いなはずだった黒地の着物をお持ちだったらしい記述もしっかりと1行、出てきます。
寂しくなるとタンスを開けて・・・と言う所に紅型の着物・・そうこの紅型が私と夫を迎え入れてくださる時にお召しになっていた黒地に派手な蝶々のお高い紅型・・

ご本人も仰っていますが「今が一番好き」そうお書きになる頃は82才・・・「20才のころより今が一番きれい」とも!
素晴らしいことですね。だいじな事です

母に洋服を選ぶとき、何となく夏子さんなら喜びそう!と思って組み合わせてあげるのですが何から何まで先駆けだった人、夏子さんの示してくださった勇気には足下にも及ばないけれど「何でも楽しくかんがえましょう」は大ファンだった母にはしっかり伝わっているのかな・・。

またいつか書いてみたいのにたった1度の出会いがざんねんですけど上回る強烈な印象を宝物のように抱きしめていたい私です。


  1. こんにちは。本の表紙写真をアップして下さりありがとうございます。また、城さんとの素敵な思い出も! 城さんのタンスの中にしまってあった紅型小紋・・・その着物をご存知なのですね。
    寂しくなるとタンスを開けて、部屋の中を足の踏み場もないほどきもので埋めて、着たり脱いだり──そして一番愉しそうに見せてくれたきものを籐の椅子にのばしてそこにゆったりと身をうずめる。城さんらしい孤独の紛らわせ方ですね。

    ところで昭和36年という単語に反応したのですが、その頃のダイヤ氷、あるいは氷を入れるジャーなどをご存知でしょうか? もしご存知でしたら教えてくださいませ。

    コメント by Marie — 2006/8/23 水曜日 @ 17:09:50

  2. お返事遅れてごめんなさい。

    えっと、古い記憶をたぐっていますが、私が夏子さんにお会いした時は19か20才でしたが真っ黒のチューブラインのワンピースを着て全身黒ずくめ、髪は松本ヒロ子さんと同じおカッパで相当に生意気でした。作家は原田康子さんの「挽歌」が大人気な時代でお茶の水山の上ホテルのテラスでお茶している姿も目撃したお洒落に夢中な学生でした・・・

    その時の夏子さんも黒地の着物が紅型だったので良く覚えているのですが藍地だったとは?。すごく小さい華奢な方で髪の毛は沢山在りました(笑)やっぱりおカッパでしたが少しカール。
    まだ目を直す前だったので凄い度の強い眼鏡をしてらして・・・ほほ紅の印象が強くのこっていますが人なつこい笑顔がすごくチャーミングな方でしたよ。

    コメント by patra — 2006/8/23 水曜日 @ 20:14:22

  3. s40年以降のファッション、パンタロンやミニ、ウイッグや濃いメーク、トンボ眼鏡が流行しそのファッションが当時60代の夏子さんのキャラクターとピッタリとフィットして、後の可愛い夏子キャラが完成したのだと思っております。

    お尋ねのダイヤアイスは日常的に氷と一緒に届けてもらってました。電気冷蔵庫になったのは昭和29年かな?31年頃かな?我が家では・・
    氷を入れる大きめの円筒系で蓋のついたジャーはもちろん愛用してました。
    ラミネート加工された人造大理石模様や木目調のダサイのです(笑)蓋はアルミの金属で両側にも輪の取手がついてたかな?

    小さい卓上の父の晩酌用のジャーも未だにありますが、ダイヤアイスの会社から出していたのとは違います。名称もダイヤ氷だったのか?
    タイガ−ジャーに聞けば分かるかもしれません。

    思い出したら、冷蔵庫から氷が出来るようになっても実家にはジャーがありました。

    コメント by patra — 2006/8/23 水曜日 @ 20:28:16

  4. いろいろ教えてくださってありがとうございます。ダイヤ氷は森茉莉さんの『貧乏サヴァラン』の中に出てくるのでずっと気になっていたのです。何年か前、「昭和30年代の暮らし」というサイトを見つけたので、「ダイヤ氷」の情報を探しています、と掲示板に載せてもらったことがあるのですが、これといった情報は得られませんでした。
    実際にジャーをお使いになっていたのですね。『貧乏サヴァラン』の中に、「買い忘れた氷というのは、ダイヤ氷と称する、大きな角砂糖位に切った、ポリエチレンの袋入りで一袋二十円のもので・・・」「ジャーの蓋を開けて、北極を空想するような角砂糖氷の堆積の中から・・・・」というような記述があるのです。

    それから城夏子さんの更なる情報をどうもありがとうございました。これからもいろいろとご教授下さいませ。

    コメント by Marie — 2006/8/24 木曜日 @ 13:37:53

  5. 察するにmarieさんのお母様は生まれた時からTVがあって冷蔵庫があった幸せ世代ですね(笑)
    日本は戦後東京電力が昭和26年に発足するまで貧しく冷蔵庫は氷を使ってました。
    東京でも石炭ストーブ!貧しかったのです。

    森茉莉さんの「貧乏サヴァラン」も「贅沢貧乏」も読みましたが茉莉さん独特の魔法の言葉で日常がメルヘンチックに変貌するのですね(笑)
    冷蔵庫が我が家にやってきてもクーラーは恐ろしく高く、父は寝室に氷の柱を立て(洗面器に)凉を取っていました。氷屋さんが鈎でひっかけた氷を届けるのが夏の日課。

    コメント by patra — 2006/8/25 金曜日 @ 0:53:26

  6. オンザロックにする氷は銀座や酒場用でお高くて,私たちには中々分けてもらえません(笑)大きい氷をぶっ欠きにしてジャーに貯めました。多分茉莉さんは南極探検隊が持ち帰って話題だった氷山の氷をイメージしながらアイスティーを、そのオンザロック用に売られていた割高の氷を愛用することでダイヤ氷に重ねたのでしょうか。あるいは下北沢の方ではそんな名前で売られていたのかも?作家の想像力だったかもですね!
    袋にはダイヤ氷となっていたかの記憶は無いのですが・・注文するとき私も母も水割り用を下さい!と注文してました。
    クーラが父の事務所にだけ入ったのも34年、GE社製で当時でも24万くらいでした。

    今の家も台所の作り付け戸棚も新築した34年、其の時のまま・・・家はきっと時計の針が止まったままなのでしょう(汗)

    コメント by つづき — 2006/8/25 金曜日 @ 1:02:34

  7. 氷の情報、どうもありがとうございました。
    いえいえ、母は小学生で戦後を迎えた世代なのでいろいろなことを知っているはずなのですが、あまり情緒的な人ではないので、何にも覚えていないのです。虫を捕る網で人魂を捕まえたことがあるとか、そういうことは覚えているようなのですが(笑)。
    ダイヤ氷ですが、「ダイヤ氷あります」というホーロー看板が今も残っているところがあるようです(ただ看板だけだと思いますが)。

    そういえば、先日書いた『新・東海道五十三次』は、武田泰淳さんと百合子さんの珍道中記です。かなり楽しめました。

    コメント by Marie — 2006/8/25 金曜日 @ 9:09:31

  8. わ、しつれいしました!

    「ダイヤ氷あります」の看板、裏の元氷屋さんも越してしまって確認できませんでした。

    本を読むのが好きな母もお二人の「新、東海道5十三次」は全く知らなかったようです。

    膝栗毛の作者一九の本名が父と同じなのですが,駿河の出ではなく浅草なので一九が大阪から江戸にでてきてから後のルーツに関わりがあったら面白いね、と親類達と話してましたので「エ?」っとビックリしたのです。父のルーツは浅草の芝居茶屋だった所まで分かっているのですが。ご先祖について庶民は家系図がのこっていないので今の内にと聞き書き中だったので・・・。

    ヘンテコなお返事をしてしまって誠に恐縮です。

    コメント by patra — 2006/8/25 金曜日 @ 11:56:56

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