2004/10/6 水曜日

老の嗜み

Filed under: 家族 — patra @ 22:15:16

京都の老舗料亭が東京進出に賭けたドキュメンタリーを情熱大陸で見ていると、大女将が
「息子に一切、任せてますけど、資金は出してぉへん、なんと言うても歳を取ってからお金がのうなるのは切ないもんでっしゃろ・・・」とTVで語っていた。

それは確かにそうだろう。こんないかにも大金持ちのお人だって、晩年に具えご自分のお財布の紐をおしめになる。ところが我が家ではどうか・・・御葬式はしなくて良いから・・・と母達が急に言いはじめた頃からちょっと様子が変わってきた。お花なんか買うと怒ったほどの情緒音痴だったのに最近は率先して花も飾る。「生きてるうちに花だって見なきゃねぇ」とか。「仏壇に飾ってもらっても食べられないんじゃぁ」と言いつつ御団子を頬張る。「毎年下ろしても後10枚も着れないから・・」と、箪笥のこやしだったよそ行きをどんどん普段使いにしはじめた。
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雨の夕暮れ・・・

Filed under: 日々雑感 — patra @ 1:44:15

いままでの靴は何だったのだ、という軽さに驚いた私だったが、届いたよ、という息子からのメールにも

>凄い別次元の軽さ!
>細かい工夫が随所に施された、作り手の真心が感じられる仕上がりでした。
>これを作った松井さんは凄く優しい人に違いない。
>もう一生ここで作ってもらうよ、手紙を書いとこう。

障害者用の靴を作ってくれた松井さん、私からもお礼をいいます。

ひととき昨日は雨のざんざん降る中、ちょうど東京に来ていたみさちんが寄ってくれた。雨降りの中をごくろうさま。良い子たちを育てながら気持ちを全開にして絵を描いている、じつに逞しく真摯な人だ。頂いたお花、なんと黄色のバリエーションで事務所のカウンターにピッタリだった。写真を写したけどフォトローダーに問題ありなので載せられないのが残念だな〜。
新幹線の時間まで二人でワインを開けて子育て論・・・じゃない密約。それは冗談だけど世界中、日本中の子供たちが自由で伸び伸びと、てきとうに遊び、てきとうに勉強し、てきとうに苦労し、こども時代を思い出すとき満面に笑顔が浮かぶような、逞しい人に育ってほしいものだね、我々みたいにと握手して別れた。
ふたりで2枚のパンを小さく切ってパテ・ド・フォアを塗り、冷蔵庫に置き忘れたグランドローズ(葡萄)のすっかり皺のよった皮の肌触りに哀愁を感じながらも、その感動する甘さを味わい、仕上げはチョコレートケーキとウイスキーという超いい加減な組み合わせ、あり合わせの極意みたいなひとときを午後3時〜5時半まで。ワインでまたもや急激な眠気が襲いしばし曝睡。


2004/10/5 火曜日

みつけた

Filed under: 感想 — patra @ 1:17:03

さいきん見つけて気になる何処の誰だか知らないけれど運ぶ空気がくせもの・・・論客かもしれない。(笑)

ここの名言集に有る、ハンフリーボガ−トとココ・シャネル、それにジンジャ−・ロジャースというよりサン・テグジュペリの言葉、これ昔息子が私に教えてくれたな〜

ココ・シャネルの言葉につづきをつけるとしたら何を加えましょうか?ほら、長寿国になったから50歳過ぎた女の顔は自分の功績だとして60過ぎたら?
孔子は60にして化す・・・だった。70歳でわきまえろ!、だから女子はこれかな?

さっき、ジョージ秋山の漫画「武士道とは死ぬことと見つけたり」読みました。
「葉隠」から96の箴言を選んで彼流に漫画にしてます、どうも独特の解釈だわね、原文を読んでいると若干違うけど、秋山氏、練り上げる時間が足らなかったように思うのは私だけかな〜。カバーを外しました。題字だけが良かった。「伝習録」とか「葉隠」いちどは原文がおすすめ。

作家、山川健一さんの『幕末武士道、若きサムライ達』サブタイトルが「武士道とは愛することと見つけたり、日本人が失った大切なもの」が届くのを待っています。今度は近所の本屋さんで注文します。いよいよ赤い本も手に入れ『赤青』揃い踏みになるわけです。
読む時、カバーを外すほうが良いかも。


2004/10/4 月曜日

ごしょうかい。

Filed under: 未分類 — patra @ 0:18:13

私のココです。うしろは年金マッチョに出て来るショーンの写真の一部。ぶふふ。ココにゃんは美猫でしたよ、堂々として...。あんこが好きでした。
そんなことはどうでもよいけど若き日の森山大道さんのお話もここから読めます。
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2004/10/3 日曜日

ココにゃんが届く

Filed under: 友人 タグ: , , — patra @ 7:08:56

みさちんが描いてくれたココ 
愛する猫を亡くしてから元気が無い私は、ちょっと本気でめげていたんだと想う。
今までのように人と熱心に会話する、という事が億劫になっている。
去年の12月初め頃から父が退院するこの2月末までは気が張っていたのに、5月のココにゃんの1周期が過ぎても全然立ち直れていない自分を発見して更にメゲる。しかもここ数年で多くの友人を亡くしているから、一層の寂寞感がつのるのかもしれない。とくに高校の頃の頼りにしていた友人が亡くなって以来、約束だった残された奥様を電話で励まそうと受話器を取る度、ダイアルを回す前に涙が出てしまい、とても励ますどころでは無い。
猫ちゃんの死でも辛いのだ、まして御主人を亡くされているのなら、なまじな慰めなどかえって失礼だし、電話をするほうが泣いててどうする!と何時もクヨクヨと受話器を置いてしまう。あの励ましじょうずな私がこれだ...。
「夫の死後、まだ立ち直れずにおります。カナダへの散骨は無事にすませましたが・・・」ハガキの文字にもそう書いてある。暫くはそっとしておくほうが良いのだろうか。ぐずぐずしている内にとうとう半年も過ぎちゃった・・・。

そこへ昨日、大好きなネットフレンドからメールの絵が送られてきた。
私の昔のエッセイにあったココにゃんがピッタリと背中にはりついているベッドの上でマックに向かっているどうやら髪のまだ長かった頃の私だ!。お尻が台形になってます〜。

あぁ、こうした励まし方もあるんだな〜〜。
理由をつけて億劫になっている私だった。本来の私らしさ、まるで無くしているこの頃、そう気づかせてくれる絵だった。ありがとうみさちん。すごく嬉しかった。
今はちゃんと机に向かってココ椅子に座ってマックに向かっています。
髪は短いけど今風です(笑)両側にクララが椅子、チップがベッドにおさまっています。
繋がっていますねモニターのこちらと向こう。


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