2004/10/17 日曜日

休日なので他力です。

Filed under: 日々雑感 — patra @ 4:09:56

ジーコ様、もう殿、と呼んでもいいくらい熱烈声援を送りたいのです!私。

ほら、ほんとに誠実でしょう?、あんなに緊張した試合前と後にもこうして更新するファンサービス
それに目下話題のキング・カズと中山ゴンらベテラン功労者召集の噂、本気なら泣いちゃう。というのも三浦カズに対してのサッカー界の対応、仕打ちに義憤だらけの私だったからです。ここに詳しく載っています、彼の展開する話題も常日頃、なんだか良いよな〜と隠居は秘かに気に入ってるのでご紹介です。どうよ、もしも夢が叶ったらジーコ様こそ侍魂、大和魂の持ち主ですよね。

それともう一つ鬼平犯科帳ファン必見サイト
コピーライターの西尾忠久さん監修で、池波正太郎ファンにもお薦めです。


2004/10/16 土曜日

『猫時計』と牡蠣ごはん

Filed under: 料理 — patra @ 4:48:41

「サライ」という雑誌が好きで時々、これは!という特集だけを購入するのだが、
(其のわけは、雑誌でも本でもとにかく増えるのがいやなのだ、捨てるのはもっと往生するから大事な特集だけ買うのですね)
池波正太郎さんの表紙につられて10/21号を求めると・・・・
巻頭のページに 私たちはこれからも『サライ』を応援します。
とあって今まで気になっている諸先輩、各氏のお歳が明記された、応援メッセージが載っていておぉ!と引き込まれた。思ったより若い人なのに老人風。え、もうこんなお年?それにしてはお若い!石津謙介氏とか様々だがしかし日本を支えてこられた文化人、みなさんこんなにお元気なのだ。尤も既に亡くなられた方のコメントも載っているのが紛らわしいが・・・・今のうちに、もっともっとお話を伺っておかないと損失かもしれない、と思われる方が沢山。9/8日に亡くなられた水上勉氏がマックに向かっているお姿も残っていて貴重。

脚本家の早坂暁さんが応援のことばに「猫時計」の事を話されているので抜粋すると
・・・・・
「アメリカに『猫時計』というものがあるそうだが、それは時間を数字ではなく<食う・寝る・遊ぶ>とうい言葉で区切っています。しかし、そこには<働く>という言葉がない。
<食う・寝る・遊ぶ>は人間が生活する上で最も基本的なことで、文化ということばでも表現できます。『サライ』は猫時計のような雑誌だと思いますね・・・。

すてきだな〜。早坂暁さん。

文化としての昨日のご飯は出色だったので記します。
牡蠣のまぜご飯。
細く切った針生姜、日本酒と薄口醤油を煮立て牡蠣をサッと煮ておく。炊き込みご飯は酒と醤油と昆布茶で普通に焚き、蒸らし終わったら煮ておいた牡蠣をざっくり混ぜ、針生姜をちらす。
豆腐と三つ葉のお汁椀、キュウリの糟漬け物(今が最高)箸休めの煮豆。

牡蠣を入れて炊き込むとしつこいけれど、こうして煮た牡蠣を混ぜる茶めし、ショウガの香りが至福のひととき。
松茸ご飯より、老人は喜びますので「猫時計」しか持たぬ私も嬉しい。


2004/10/15 金曜日

この人は?

Filed under: 日々雑感 — patra @ 4:35:10

女性も気軽に着物を着るのが流行っている今だから、もっと本格的な時代劇をTVで流さないかしら、トレンディーは現実生活でも十分だし・・・似たような役者ばかり出る日本のドラマがつまらない。

幕末武士道、新選組のあんでる泉さんの表紙の絵の想像力に、ほんとに驚いた。全然強そうじゃないけど、ありそうな感じの日本人。まいった。

そしたら朝、普段見ない「大河ドラマ」に、なんとも変な顔の(失礼)役者が徳川慶喜を演じていて更にびっくりした。徳川300年を潰すわけには行かず、あらゆる苦悩と卑怯と恥を選択しても生き永らえるとしたら、多分あんなお顔に成るでしょう!という感じ。
ピッタリのキャスティングだった。この「大河ドラマ」実年齢に近い若者を揃えたことが良かったみたい。

来年の大河は友人の演出なんだけど、春風社の三浦さんが情報を載せてくださっています。スターばかりのキャステイングだ。普通にならない事を、心から祈るばかり・・・。

しかし顔って適材適所で生きるものだな〜ぁ。徳川慶喜さん、君は誰?
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2004/10/14 木曜日

六本木スペイン村

Filed under: 時代 — patra @ 2:43:23

ついでにキャンティの横の道を下りていくと、くぼ地のようになった突き当りの所にスペイン村と呼ばれる西洋長家の一角があった。私の記憶していた頃、1973年代初めころまでは順番待ちで空室になるのを待つ入居希望者のリストで一杯だった。外観は白い漆喰壁も傷み建物事態はメゾネットタイプや一軒家等が点在、その窪地全体がどことなく異国的なのだ。

手入れをすれば、もっと童話的な美しい街の一角になるだろう、と想像力をかきたたせるのに十分なほど魅力的な集合住宅だった。「兼高かおる、世界の旅」という人気TV番組のレポーター兼高かおるさんも一時期住まわれていた場所だ。六本木、飯倉界隈を思い出すたびにキャンティ、、ジュン・ロペの2階にあった美容室田中親(パリで客死)の店と共に思い出す場所である。スペイン村ほんとうにお洒落がわかる人々の建物だった。ここへカメラマンの林宏樹氏が順番待ちをして短期間だけだが、念願の入居をされた。その情報を聞き付けるとお宅へ仕事にかこつけて訪問したことがある。

一目、伝説のスペイン村の内部、見たかったのが正直な所だった。外ドアを開けて急な階段を昇るとメインのドアがある。開けると別世界が広がっている。縦長の居間につづく濃い色の床板は頑丈で、壁紙の白い壁。天井から下がるアンテークのガレの照明。どっしりとしたドレッシングチェスト。ヴィクトリアンスタイルの長椅子・・・ゴブラン織りのカーテンどれを取っても溜め息がでるような、小物で飾られた部屋には何百万もするフランス人形が座っている。縦型の窓のせいでほの暗い印象を除けば、あの70年代に急激に流行り始めた、モダンなマンションより数段、私には魅力的だった。不便さまでがほんとにおしゃれだった。
アンテークコレクターとしても有名だった林氏は私のスタイリストの恩師でもあった。あらゆる美意識を、それこそ手取り足取り、氏から教えていただいたように思う。私の好奇心を察知されてか、右手のコレクションルームのドアも開けてくださった。一歩、中に入るなり私と助手の阿部ちゃんは目を見張った。小さい部屋なのに丸ごと展示室になっていた。
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2004/10/13 水曜日

バジリコ・スパゲッティ

Filed under: 時代 — patra @ 5:37:46

キャンティ物語』を読んで当時の雰囲気を思い出せる人は業界の人々が多いだろう。特殊な職業の人々のサロンという感じ。あの、お店の醸し出す独特な空気は上質な大人っぽさと、ある種の意地悪さを併せ持ち常連のみを大切にしているようなお店だったから素人は入りづらかった。豪華と言うほどでは無いのに入店する前に、なぜか胸がドキドキする。文化人御用達のせいだろうと思う。
学生時代、東京のイタリアンは庶民的な『シシリア』が出来、次が『ニコラス』、この両店へはよく遊びに行ったが、1960年に出来た『キャンティ』へは行くチャンスが無いまま家庭に落ち着いた。1965年からは子育てが始まり、夙に有名になっていくのを雑誌で読むだけ、反対にシシリアは寂れ、いつしか完全に消えていった。
1970年代に仕事をするようになって、当時の売れっ子カメラマンやデザイナーに連れてゆかれたキャンティで、何故かバジリコのスパゲッティを頼むのが粋らしく、皆が一様に「バジリコ!」と言うのでつられて頼んでみる。
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