2004/11/5 金曜日

質素を伴に

Filed under: 料理 — patra @ 0:54:02

何時になく気が塞ぐ朝だった。なんだかブッシュを再選したアメリカを容認出来ない気持ちが私の中にあるのだ。何も無かったように日常だけが過ぎてゆくのが、兎に角気持ちがわるい。なのでかねて疑問のまま打ち捨てていた問題、(家具の配置や地震対策諸々)バリバリ点検して脳裏から尽く不安を消してみた。いやな国になる予感が至る所に充満してるというのに・・・食欲だけはある老人達と一緒にひさしぶりの朝ご飯。

数日前、寒さが急に襲って来た日、ストーブをがんがん熱し初オデンにしたら老父が「なんだ、新潟では地震で外に寝て、震えているのに家ではスト−ヴと熱いオデンか!」とポツリと言われたことも気になることだ。

それいらい申し訳ないような気分だったので適当に質素だったご飯、しっかり食べようと
鶏のスープ(味噌汁仕立て)に蕪の糠漬け、蕪の葉を茹でて微塵切りを辛子醤油であえた一品、ブリの照焼きと牛蒡の笹掻きを老人用に皮剥き器で薄く切り、簡単きんぴら煮にして、さて、とニコニコ食べはじめたら余震のニュ−スが再び・・・がっっくりと3人共首うなだれました。

もちろん震災の寄付もし、気持ちだけでも被災者に添わせるように暮らす日々なのに家を無くし追い討ちのように降る雨や余震に怯える人々を我々東京の老人はただ黙ってTV画面から眺めるだけしか能がないのだ。ならば現地レポは暫く中止し、美しいピアノ等のコンサートを流し、寄付呼び掛けるテロップだけは静かに流す等の、大人の対応がソロソロ出来ないといかんだろう?

あいまいな笑みを浮かべる自国の総理がブッシュ政権に益々前のめりしてゆく発言など聞くと嫌な気分が募るばかりでTVを消した。
静寂の中にポリポリと漬け物を噛み、サラサラと老人たちの箸つかいだけが響く部屋。気がついたらTVを消した朝食は初体験だった。壊される浸水した家を眺めていた被災地の御夫婦の映像を思うと、借家人の空いた家作の改造などどうでも良いように思いはじめ、入らなかったら被災地のひとに貸してあげればいいとまで思った。


  1. 寒さ厳しくなってきて、心の具合を悪くして無くなる方もでて、ほんとうに心が痛みます。
    そんな中でも、強く前を向いていらっしゃる方々もたくさん。
    「どんな事が起こっても、自分の気持ちで良いことに変えられる」辛いときも、そう信じて来ました。
    身内が治らないと言われている難しい病気を患っていますが、
    一昨日も「医者の私が言うから間違いありません。」と希望ある提案を切り捨てられ、
    今日は別のお医者様に意見を聞きにいきます。病状も二転三転。
    でも病気の本人は言いました。今、とても幸せだと。
    気がつかなかったことをいっぱい知って、より深まる人とのつながりを喜んでいます。

    困難が大きい時、本人は「何事も自分で変えられる」という強さを持てたら
    少しでも希望が持てるのじゃないかと、それを願っています。
    毎日の中に良いことがみつけられますように。

    そして現実的なお手伝いとして、ぱとらさんと同じく寄付をして。

    さあ、今日も気を引き締めて、精一杯。
    楽しく、元気に、ちゃんと生きよう。

    そう思ったみさちんでした。

    コメント by みさちん — 2004/11/5 金曜日 @ 10:52:14

  2. おはようございます。秋晴れですね。

    大統領選は、確かにイヤな結果となってしまったのですが。
    でも、あの、ものすごい自己肯定の国にあって、半分の人がブッシュじゃないほうに行った、ということは、正直言って、少し、ほっとしました。
    議会も共和党優勢らしいので、もしそれが本当だとしたら、ますますヤな感じになることは避けられないでしょうが。

    でも、どこの国でもきっと、国民の大半は国際情勢よりも自分の身の回りが安全で豊かであることに大切さを感じるのだろうし、昔ながらの考え方を一番とする人たちが多いのだと思います。州ごとの選挙結果図を見て、そう思いました。そしてそれは、いいとか悪いとかで論じることではないのでしょう。

    でも、小さな日本人が地道に頑張りつづけ、そして、公平なopen arms をもって受け入れる国でもあるわけで。

    日本の総理も、国民の直接投票にすればいいのにね。
    あれ、めちゃくちゃ単純でわかりやすいもん。 日本の人の政治的関心も高まるんじゃないかなあ。

    週末もお天気よさそうですね。いっぱい働いて、心を洗濯しようと思います。

    コメント by たばた。 — 2004/11/5 金曜日 @ 11:08:24

  3. 追伸です。

    きょうの「あのくさ、こればい!」読まれましたか?
    こんな考え方もあるのか!とちょっと気分が持ち直しました。へへ。

    http://www.1101.com/torigoe/index.html

    コメント by たばた。 — 2004/11/5 金曜日 @ 11:28:43

  4. みさちんさん、難病のお身内の方の、今とても幸せだという境地、素晴らしいと思います。
    医師の言うことをただ真に受けるのでなく、積極的に調べ質問しセカンド・オピニオンを求めていく姿勢は大事ですよね。
    希望、意志の力はときとしてどんな治療より効果があるかもしれません。
    みさちんさんやご家族のサポートがきっとその方の勇気になると思います。
     
    たばたさん、そうなんですよ!
    ヒラリー婦人が女性で最初の合衆国大統領になる!と、うち的には信じて期待しています。
    そうなるまでに、大都市部の人々のみならずレッドネック達も呆れる程(それは所詮無理な国なのかもしれませんが)ブッシュが馬鹿やりまくるんだろうなぁ、と。
    これからアメリカはひどい時期を経験するのでしょうね。そうなってみないとわからないというのは残念ですが、しょうがないですね。
     
    以上、横入り失礼しました!

    コメント by kyo — 2004/11/5 金曜日 @ 12:42:12

  5. こんにちは patraさん。

    新潟で報道に携わる人たちの傍若無人ぶりが、モンダイになってますよね。
    被害にあった人たちの気持ちになってほしいものだと思います。
    どこかのニュースに書いてありましたが、なぜか新潟では神戸と違って芸能人がボランティアした、とかいう話も効きませんよねぇ 何でだろう??死んだ人が少ないから?
     まあ余震がつづいているっていうのがいいわけでしょうけどね。

    あ、余談?ですが、先日夕方のニュースにさとなおさんが出てらっしゃいましたね。お顔は隠してありましたけど、ちらっとホームページが写ったので思わず「あ」といってしまいました。
    震災の経験者としてお話してらしたようです。

    コメント by rosemary — 2004/11/5 金曜日 @ 16:27:00

  6. 今日の午後、不動産屋さんの美人社員さんが来てくださって、湿っぽい欠点を検討してくれるために、現場へ向かってくださいました。
    古くとも住みやすいスペース、勿体無いです!との事でした。地続きで駐車場へはとにかく便利ですよね〜。1、2階で一軒です。

    >みさちん
    この前、おはなしを聞いてた時も、あなたのなさる支援の素晴らしさに絶句、おもわずジっと貴女を凝視してしまいました。尊いことです。
    本当ならば、血のつながりも無い方に注ぐ、貴女の友情こそ大いなる霊性だと思えました。
    貴女がむしろ私に檄を飛ばす立場になりましたね〜、とてもうれしい。オシ!と自分も気合をいれました。すべての陰徳がかならず未来のお子たちに降り注ぐと信じる隠居です。

    コメント by patra — 2004/11/5 金曜日 @ 18:11:19

  7. さっき長い文で書いていたら消えてしまい焦りました。もう一度トライ。
    >たばたさん
    ここぞ、にいつもコメントありがとう。
    田臥君の事はほんとに、彼自身もすばらしい努力ですが、受け皿があってこそです。アメリカの自由、公平なopen arms、まさにそのとうりです。
    勇太、という名前も偶然ですかね?新潟の坊やも勇太君。なんだか嬉しかったです。
    「あのくさ、こればい」教えていただいて読みました。おぉ、たのもしいぞヒラリ−!♪、なんだか希望もでてきましたね。
    日本の国民がせいぜい賢くなってあと4年、いかに戦争回避するかに全力でたちむかうかですね。

    >kyo,ありがとう。
    日常は、笑いぱなしの連続ですからね、安心してね。今日のお爺ちゃんも傑作だったけど・・可笑し過ぎで書き切れませぬ。

    >rosemaryさん
    そうなのよね、さとなおさんです。彼はまだ私も尊顔を拝してはおりません。
    何か喋っていた声の記憶しか、TVはつけてあったのですが見そびれました。日記を読んで残念でした。奥様も見逃したし(花まるTV)。

    新潟のボランティア、大好きなボブ・サップと武蔵や曙が、行かれたようですよ♪。ちゃんこサービスに。
    徐々に解禁になるのでは?区役所の人員の方々の疲労も激しいらしいので総てに
    自力で応援できるなら歓迎されるのでしょうか?

    神戸もだいぶ後からの芸能活動だったように記憶してますが、涙声がするのでTVの画面を振り返ったら友人の電通社員がお風呂の順番整理に必死の涙声でした。みな頑張って復興をめざしたのでしたね。
    3〜5年はかかったと記憶しています。忘れないことが大事なんでしょうね。

    コメント by つづき — 2004/11/5 金曜日 @ 18:41:28

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