’しずやしず・・’
正直に言います。隠居、今回は泣きました。黛さんの辛抱の演出が実ったからです。
先週のどうにも感想を書けない理由は脚本は言うに及ばずそれ以上に演出の緩さ、緊張感の無さに絶望した事もあるのです。隙間だらけ。
吉次の納屋へ身を隠くす境遇の義経郎党どもの声音、ひそませるでもなく、裏につないだ船、みせるのは良いとしてもすぐ戸を閉めるでもない、あたりを憚る気配もない隙きだらけでずさんな演出に嫌気がさしたわけですが・・・今回流石に黛さん!良く考えられた細やかな展開でした。
静の情報を運ぶ郎党の出入りも必ず戸を閉め、あたりを憚るように声をひそめる・・
こうした当たり前の所作一つでも隅々まで注意が行き届くのとそうで無いのとでは、同じ役者でも雲泥の差、基本を疎かにしていると「絵」は決して立ってきません。
磯の禅尼が尋ねてくる所は、重要な布石になっていて台詞も生きています。義経とのやりとりに女親の気持ちが良く表れているからです。「静の気持ちをどうぞ無駄にせぬように・・厳しい詮議に何も答えなかったのは皆様方の身を庇ってのこと・・」
それでは男が廃るとばかり尚、助け出そうとする義経を「そのお言葉だけで充分でござります」に泣けました。
この時の義経さんの「・・」無言で反芻するような眼差し、辛い男の目になっていました。
佐藤忠信が輿に切り込む姿、これも泣けました。唯一人の武士である忠信が誰をも頼まず、乞食と見紛う姿で連夜の探索をつづけていただろう事が、その扮装からも容易に想像でき「男」の心情が狂わんばかりの責任感となって切り込む姿と重なります。たった独りの孤独な闘いこそ武士たる美学と言うもので忠信らしい最期でした。
傷つき倒れた忠信を翁の機転で運ぶ繋がりも自然です。
「平泉へ行くぞ」と言う声を聞き一瞬輝き、そして死んでゆく姿に泣きました。それにしても何と綺麗な死に顔だろう。
鎌倉でいよいよ頼朝に詮議される静、涼やかで厳しい目、石原さとみさんに終に静が降臨しました。
見事です。ここの無駄のない演出、たたきこむような緊張感。
「是非にお尋ねしたい事が・・・」「聞こう」「御弟であり、平家追討に功ある義経殿をなぜ討たねばならぬのでしょうや?評判への妬みでしょうや?憎しみでしょうや?」それに答える中井頼朝の完璧な間と表情の「・・弟ゆえじゃ」
二人の演技、鳥肌がたつくらい出色でした。
この静の台詞に込められた重さをよくぞ表現出来た天晴れなさとみさん。
出産のシーンも迫真で妖気せまりしかも美しい、舞う姿もこれ以上綺麗に静を撮ることは不可能であろう・・それくらいの緻密さが光る演出でした。
「しずやしず、しずのおだまき くりかえし・・」
今の今まで画面では静と義経さんが「愛のことば」といったようなものを交わさずに居て一体どこにあの狂おしくも有名な恋の歌を詠むことが結びつくのだろうか?
二人の何処にこの歌のような情念が・・といささか心配だった隠居、この歌い舞う静の恋がいかに命がけであったか、しっかりと観てとり又も泣けました。
政子や頼朝の演技を越えた見事な表情などから沢山の想像が膨らむ今回は素晴らしいの一語に尽きる。
山中で追っ手と闘う義経さんに降る紅葉、静御前の舞台に舞う紅葉、あらゆる所に黛演出の冴えが光ります。
我慢に我慢を重ね役の中で育ってくる役者の閃きを信じ、「辛抱の美学」に賭けた黛監督の勝利した石原「静御前」でした。滅茶苦茶泣けました。
無精髭の滝沢義経がどんどん男の顔になるのも楽しみです。