義経「静よさらば」
朝型に決めたのに腕組みしながらマック画面を睨んでおります。というのも
どちらへ伺っても義経の感想は・・・もう皆さん脱力感のみ。
さもありなん、見せ場の能狂言「船弁慶」より頂いた知盛が怨霊となってまで義経郎党の行く手に立ち塞がる肝心のシーンの台詞「西国は我ら平家の海、九朗判官!そなたに渡してなるものか・・一人残らず海の底に引きずり込まん〜〜」が聞き取れないし亡霊となる必然性が台詞からは希薄で船弁慶の表面上をなぞっているだけに過ぎない。
これでは小学生にも飽きられてしまいそうな浅い展開にため息しか出なかったからですが、せめて怨霊鎮めるための読経は全員、それこそ必死で手を声をあわせするくらいの緊張感ある演出にしないと・・・
それは学芸会以下だろう。と心配になった。
全員一致で読経をあげる事で亡霊、または怨霊たる知盛が苦しみのうちに最期の妖力で船をひっくりかえすことでも結構だが肝心なのは
「人の恨みを買うとは斯様に恐ろしいもの」と伝承され続けてきた怨みは怖いと言う文化的な教えがゼロなのには実に参る。
現代人から観てこの「義経」の最大の欠点は伝承されている文化さえ謙虚にその本質を受け止め描こうとしていない薄っぺらさにあるようだ。
ならば能の世界から歌舞伎からのイメージだけをお手軽に借りず現代的解釈で斬新に挑むべきだったろう。
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