家訓の裏側
自分の部屋がいつも後回しになってしまうので中々整理が出来なかったのだが。いくら何でも遣い勝手が悪過ぎなので整理をしていたら哀しくなっちゃうくらい不要品ばかり、しかも勿体ないのが靴、一度も履いた形跡がないまま布袋に大事に保管されていたお気に入り。もう履けません。
息子が戻る日が迫っているのに、ここ数年で慣れてしまったのか、間際まで何も準備もしないで今頃自分の部屋を片付けるとは随分と横着筋が発達したな〜と出したり捨てたりの途中、見つけた写真等見入って一向に捗らない。もの凄く怠けモノになった気分がする最近です。
更新しようと思っても何か重く開かないのでハテ!息子殿はどうしてるかな?とkyoの so whatを覗いてみたら、何ともうパリ滞在5年も経っているのだそうだ。
どうりで慣れちゃったわけね。しかもグリーンカードのような Carte de résidentという10年分の実質的永住権が降りたというではないか?ラッキー!彼も言うようにハンデキャップの身なのに支えてくれたフランス・スタッフのお陰です。
仕事をするのも大変なのに言葉、習慣も違う海外へ出て行く気になったのは,悩むより行動しろ、という楽観主義の彼の性格を見抜いたからですが心配じゃなかったというと嘘で結構心配ではありました。長い年月家の母は口癖のように「あんたダメよね、脚悪いから」と端から障害の私を庇うつもりでかお題目のように悲観論を繰り返すタイプでした。内心むかついた私です。母性って塩梅が本当に難しい。けれど私自身も悲観論母から学んだのですよ、心配されても何も始まらない事を。息子を留学させる時も同級生のお母さんから無謀だ、と電話を頂いたくらいですから・・毎日祈るわけです、こっそりと。
「ダメなんて誰が決めるの?当人がダメと決めない限り人生は可能性に満ちた冒険ものがたり」強気と弱気の繰り返しの中で本人が価値観を見つければいいのさ・・。
とは言うものの
フミちゃんがお祝いのシャンパンで涙を流した気持ち、ようく解ります。苦悩や苦労のない人生は無いのだから1歩2歩とたゆまぬ努力したんだろう二人。朝起きた母に伝えると「え。十年だけ?」
お黙り老人!
とにかく乾杯。