納豆ご飯
玄米だとお腹の相性が悪いという息子と久しぶりの白米。美味しいので食べ過ぎないようにしないと・・・
パリでは生卵を食べられないので納豆に入れて、フミちゃんの留守を預かる朝・・・
ついにエゾアムプリンを注文できた!
うれしい♪。父の三回忌のデザートに決定(笑)
玄米だとお腹の相性が悪いという息子と久しぶりの白米。美味しいので食べ過ぎないようにしないと・・・
パリでは生卵を食べられないので納豆に入れて、フミちゃんの留守を預かる朝・・・
ついにエゾアムプリンを注文できた!
うれしい♪。父の三回忌のデザートに決定(笑)
お婆ちゃんは偉いかもしれない、と改めて思った日・・今朝はフミちゃんも九州へ従姉に逢いにでかけ留守なので何十年ぶりかで息子と二人お留守番・・・
新聞を取ってきてテーブルに置いてから食事の準備、息子に新聞を渡す時、ア,っと気がついた事は新聞の中の広告を抜かずに部屋まで持って来てしまっていた。
いつも母には新聞を木戸から持ってくるときに必ず邪魔な広告を抜いてゴミ篭に捨ててからにしてね!其の方が能率が良いから!と言い置いてあった。
忠実に広告を抜いてテーブルに置いてくれていた新聞のある日常。ところが言い出しっぺの自分が広告を抜き忘れているのでは・・・・何だかなぁ〜忠実に言われた事を守る母の能力って凄い、と改めて思う。
ちょいと離れたお陰で母の偉い部分を発見です。
「ほんとだね・・」と息子。。鯵の干物、秋刀魚をフミちやんと食べたばかりなのに下でも紅鮭・・「お魚三昧で悪いわね」そう謝ると「日本はやっぱりお魚だよ」とニッコリ。
鰹出汁の香りが食欲をそそるみそ汁は大根とタマネギの田舎風・・糠味噌がおいしい。
5月に40年ぶりで逢うことの出来た小学生時代の仲良しMさん!8月の訃報が年賀状欠礼のお知らせとともに送られてきて絶句する。
目の問題は抱えていらしたがお元気そうで、私の母の長寿をことのほか喜んでくださった友・・・ご主人に伺うとやはり2000年より患っていた癌だったそうですが死因は誤嚥による肺機能麻痺。
私には何も病気については知らせず、ただお別れに逢いに来てくださったのだと知って泣きました。再会から3ヶ月後とは・・・
これで小学生の時の親友も高校のときの親友も亡くしました。
5月にお会いした印象からは良き母、妻の充実した印象を感じ嬉しかったので保存しておいた文面からも伺えます。
母を早く亡くした私は、自分の体験から
二人の娘の子育てを楽しみました。
おかげでのびのびと明るいだけが取り柄の二人ですが
うらやむばかりの本当に仲良し姉妹で
いつも私が仲間に入れてもらっています。
母が亡くなった年齢をとうに通り越し
来月6月4日は母の、7日は父の命日、
そして9日が私の誕生日、65才です。
私にとって6月は悲しい月でもあるのです。
Patraさんとの再会がかない本当に嬉しいです。
思いがけず目の具合から○×病院へ行ったのですが
まんざら何か不都合が起こっても、必ずしもマイナスばかりでなく
”こんな素敵なことが起こった”と感謝の気持ちです。
昨日は私ども夫婦の結婚記念日38回目、
所沢ミューズ音楽ホールで、すばらしい音楽会を楽しみました。
モスコーチャイコフスキーシンフォニーオーケストラの演奏
フェデセーオフ指揮のチャイコフスキーバイオリンコンチェルトNo.1
若きソリストはロンチボーコンクールで最年少優勝の樫本大進、
ムソルグスキー、ラベルの組曲「展覧会の絵」
それは心を震わせる演奏でスラブの色濃い音色に圧倒されました。
写真もお送り下さり有り難うございました。
私のは未だフィルムが残っていますので
きっと忘れた頃にお送りすることになりそうです。
いろいろなことあるのが人生ですが
ともかくこうしてお会いできたこと
なんて素敵なことなのでしょう。
変わらぬ独特な、個性豊かな素敵な雰囲気のpatraさん
明るく前向きなお姿にお力をいただいたような気持ちです。
お元気そうで何より嬉しかったです。
後お疲れが出ませんでしたか。
きっと又再会出来ることを心に念じつつ
今日はこれにて失礼致します。
お孫さんがお産まれになる頃、きっとお知らせがあるだろう・・・と考えていたのに
無事お生まれになった男の子のお孫さん、見る事無しに逝かれた彼女を思い電話口のご主人にかける言葉がなかった。
彼女のお母様は凄い美人で有名で我が母の憧れの方でした。やはり脳腫瘍で50才か48才くらいで亡くなられています。
息子がボソっと「我が家は長生きの家系だけど僕より長生きしなくていいからね、それは親不孝だから、気楽に好きな事だけして暮らしてね」と呟いた。
私の周りの時間はゆっくりと変化しているようにみえます。映画が好きになったのも彼女のおかげ、小・中学校頃、よく上野まで歩いて二人で観にゆきました。
思いでにブログにのせることを赦して頂こう・・・母と一緒に写した笑顔の素晴らしい今は亡き友人です。高校の英語教師を定年までなさってました。
プリントアウトしなければいけない仕事、不具合で出来なかったのだが、息子に調べてもらったらどうも機械が1部分壊れてしまっているようです。
お待たせしてしまって申し訳ない、車も壊れ何だかな〜。部品が届くまで焦ってもしかたがないのでお八つに紫芋アイスで落ち着いて考える。今日手作業で片たずけるので後数日、お待ち下さい、っと誰にともなくここにしるす。
野生児だったクララが私の腕の中についに収まる姿を見ながら「そうだ、もう一つ大事なお土産が有ったの忘れてた」と息子。
夕べ降りて来て手渡してくれました。
シックなリボンが奇麗だったのでまず開ける前にパチリ・・「チョコレートでしょ?♪」
「うん、これ薫子さんからpatraに!とプレゼントを言付かったんだよ」
薫子さんは有名な写真家植田正治さんのお孫さんで、氏のヨーロッパ回顧展のためにパリに滞在していらしたので息子も何度か自宅でお会いしたそうです。
去年暮れ私も楽しくお話しさせていただき素敵な出会いをさせて頂いた友人です。
「話すと長くなるんだけど、このチョコレート実は薫子さんと我々も1度、開けちゃったんだけどね、これは絶対patraさん向きだ!!と彼女の意見と一致したので預かってきたんだよ」
そういって器用に復元されたパッケージを開いてくれました。
「きゃ〜、何と猫ちゃんがチョコ色のお水を飲んでる図〜〜」
「ふしぎだよね、変わったチョコを作る人らしいよ」
これは嬉しい、実に嬉しい〜でも問題も・・絶対に食べることができないと思うなぁ、私には(笑)。
幼児時代、疎開先で買い出しに行った母の帰りを待つ間、お腹を空かせた我々姉妹に七輪とフライパンで父が作ってくれたうどん粉を溶いただけの生地を焼いてくれたのだが,何を思ってか、「これがお父さんとこれがお母さん!」と言いつつ人を形どったものに焼き上げた。
若き父の遊び心の人形パン。お母さんには丸いオッパイが二つお父さんにはチン棒が1本・・というケッタイナ代物。
姉はお母さんパンをちぎって無頓着に口に放り込んだものでした。
私は?というと、そのお父さんパンの何処も腕も足も頭もちぎる事も齧ることも出来なくてパンを握ったまま到頭、母が戻るまで下を向いて涙ぐむような3才児だったそうで父は「こいつは気むずかしいから子守りするのが面倒だっ」と母に愚痴ったそうですが・・・。
私を思い出してくれた薫子さんも,チョコ猫ちゃんのどこも齧れないタイプの感受性の人に違いない・・作った人もきっとそこを狙ってでもいたのでしょうか。お水を飲む猫の姿は生命力さえ感じます。
ようこそ私の所に来ましたね♪、大切に永久保存するつもりで写真を写してから冷凍庫に収めました。人生ってこんな些細なことにも思いでや縁が生じるのが楽しいのです。
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