2006/9/28 木曜日

わたしの城・・・作家・城夏子

Filed under: 人物,時代 タグ: — patra @ 1:57:33

東京オリンピックから9年目・・・まだサラリーマンの初任給が10万未満の時代、小説家城夏子さんは持ち家を売ってここ、千葉県流山市の協栄老人ホームへ入られた。

この写真は何かの週間誌の取材に小文とともに載っていたものを台紙に貼って母が大事に取って置いた切り抜きです。
昭和48年10月18日・・・と母の字で日付が記されている。
城夏子さんのファンだった母が大事に日記にはさんでおいたものを出してくれたのです。書かれた夏子さんの文章を抜粋すると・・・

 領地は3万坪(には欠けるけど)ある。その中の松林や芝生や、神秘な朝霧や林のかなたに落ちる大きい夕陽を、朝夕ながめて暮らすわが城は,残念ながら私だけのものではない。
300人近くのさまざまな性格の老人たちが。画一的な個室をめいめいの好みに飾ったり飾らなかったりして住んでいる。
 領地は3万坪でも私の城なんてまあモミジの葉ぐらいの大きさでしかない。しかしとにかく、前述の風景のまっただ中にいるのだから,私にとっては幸せの限りである。室内はヨーロッパ産の小道具で飾る。
仕事場兼寝室は花壇を象嵌したかと見える広い芝生を見下ろす窓が2つもある4帖半。客を通すのは,座ったまま松林の見えるサンルーム付き6帖。そこに季朝の飾り棚を模した山陰民芸品のビュロオをおいてある。姿が華奢だから。引き下ろした書き板に、原稿用紙を置くより、便箋をおいて愉しいてがみをかくのにふさわしい。

写真・小久保 善吉・・・となっています。
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2006/9/27 水曜日

カボチャパイ・・・

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 0:16:54



シナモンの香りが・・


エビとホタテを茸と炒めるいつもの・・

丸のままのカボチャが欲しかったのに近所のスーパーは、みな半分に切ってラップしたのばかりです。
ハロウィンのランタンを作ってみたかったけど、まだきっと早いのでしょう。

カボチャが半分切ってあると、長くもたないと思いミモザ鍋で蒸してみました。
蒸し器の蒸気が上がってから入れて18〜20分
甘くて美味しいクリかぼちゃ・・良く潰して
バタと卵2個とアーモンドプルーフ(粉)混ぜて天火で焼きました。下地はパイシートじゃなく薄い食パンを小さく切って敷きます。バタが染みておいしいの。
スライスしたアーモンドが焦げないように途中でアルミ箔。

それだけで疲れていいかげんな組み合わせのランチ。
残りは三角に切ってラップして冷凍・・・





2006/9/26 火曜日

ふしぎ味

Filed under: 料理 — patra @ 14:16:17

中華ソバPatra風
何時ものお惣菜、鶏の煮物を食べ終わると
スープがあまります。

これで何をつくろうかなっ?
鶏を煮た汁に中華スープを入れて胡椒を効かせて、ちょっとおっかなびっくり焼きそば用の麺をラーメンの代用に入れてみました。
サット一煮立ちさせて・・・これがツルツルして腰があり中々なのでびっくり。

しめじとニラ、鶏笹身たっぷりの、中華風ソバのできあがりです。
「食べたかったのよ、ラーメン、断然インスタントよりおいしい、へ〜焼きそば麺でも出来るのね、」と母が大喜びでした。

無駄無く一挙両得メニュー(笑)。





お彼岸の菊の残りとか

Filed under: — patra @ 2:25:01



小さいブーケがきました。





2006/9/25 月曜日

大仏に挑む平成の仏師

Filed under: 人物,時代 — patra @ 0:01:16

大仏に挑む平成の仏師 技と心松本明慶仏師を見ることが出来ました。私の手元へ縁あって届いた香合仏、勢至菩薩さまを彫っていただいた仏師安田明玄氏の先生なので、心待ちして拝見、とても良い表情の方だった。
安田氏が弟子入りされた頃の年齢は詳しく存知あげませんが明慶師に出会ったのは何と13才、と伺い明慶師の亡くなった弟さんと年齢が重なるので、きっと仏のご縁だったのだろうな!と想像しておりました。

大きな仏像を1本の木から,一体どうやって彫りあげるのか?の予てよりの疑問が画面を見ていて良くわかりました。
小さく5センチ角に切った木材を枡目に線を入れ張り合わせてから、仏像の頭部を彫りあげ、その頭部を熱い湯で煮て膠(接着剤)を溶かし1度バラバラにしてから、現れ出てくる5センチ角のパーツ状の枡目を元に原型を2度3度と大きく作り直して巨大な仏像にしてゆく行程を、手、足、胴体、様々なパーツに繰り返し行う忍耐作業と知り、成る程な〜と、その根気に感服をしました。とても一人で出来る技では無い。沢山のお弟子さん達の協力があってこその大仕事なのだと感じ入る。

4年の歳月をかけて,無事不動明王を創り完成されたのは今年4月だが、ご住職に要請されてからは実に40年もの歳月が経っているのだそうです。
依頼した寺院側のひたすら待つ姿勢も、一方研究する時間を充分に取った仏師側にも歴史に「残す」という正しい仏像の概念を理解し信頼しあう縁(祈り)があってこその、40年間もの時間が必要だったのだ!実にすばらしき長き持続の阿吽ではなかったか、と感激でした。

明慶師が常に拝観なされる六波羅密寺にある 運慶の地蔵菩薩が画面に出て参りましたが、凄かった。一筋の目が運慶の凄まじいまでの情念で彫られているのだと解るからであります。明慶師曰く、<表情が対面する毎に変化するのだ>とのことです。
見る側の今の気持ちを写すような表情に・・・時に厳しく時に慈愛深く、なるほどそう思わせるようなお顔に彫るのが仏師の祈りなのですね。

思わず手をあわせたくなるような仏像を彫りあげる!並み大抵の技術だけではいかないお修行だろう事を1番良く知ってらっしゃるのが仏師さん達だろう。
単にご本人の心構えに因るのだから・・。

堅い白檀を彫られている時の表情は厳しいと言うよりもむしろ穏やかでした。仏、来い・・と心の中で呟いていなさるせいでしょうか。

本日の夜中26日から再放送が有ります。





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