2007/10/5 金曜日

見積もり・・

Filed under: 日々雑感 — patra @ 1:02:23

ウサギのライダーなるべく安く!と値切ったら、とんでもなく生な色のペンキを塗られてしまった。

ショック、と伝えたら塗り直してくださるとの事、でも其の分もしっかり追加予算を取られてしまうのだけど・・・。

昨年、水道タンク撤去を計画し見積もりを取り寄せたが、あまりの高さに二の足を踏んでいた件を、その時の水道屋さんではなく、この間ケアマネジャーさんから紹介頂いた、トイレに上下電動ウオシュレットを付けてくださった水道屋さんにお願いした見積もりは、以前の壊すだけの値段よりも安い、しかも迅速工事でアッという間にポンプも撤去し直結にしてもらえました。。朝からお昼まで水が使えなかっただけなので感激・・・。現場を見て必要最低限の方法を提案してくださったのだ。

前の水道屋さんは”タンクが鉄の塊だし,重いから,壊すだけでも高いよ!”と散々脅かされた事をお話すると「水を抜けば軽いよ、鉄はタンクのフレームだけだしね」と事も無げに言う誠実ぶり・・・
どうしてこう職人さんで違うのでしょうか?、去年はその見積もりが納得行かず1年待った甲斐がありました。

リホームは希望を言う度毎に値段が上がるのが曲者だが、面倒な壊し作業が多く、全然儲けにならないだろうに、と済まない気持ちになってしまうが、良い職人さんとは誠実である事が次ぎに繋がる一番のポイントだと思う。

全員,良い職人さん達でホっとしました。
「ご自分のお母さんに親孝行するつもりで宜しくお願いしま〜す」と,最初の私の一言も利いたかも。図々しくも言えちゃう年齢に成って来たってことです。


2007/10/4 木曜日

旧制水戸高時代の英語

Filed under: 時代 — patra @ 8:11:46

1931年英語の日記
父の残した二竿の洋服ダンスを解体してもらい、沢山の和服と背広を数点のみ残し処分をした。何だか数度しか着用してない物もあったがほとんどが似た色ばかり,結局長い人生に於いて彼の選ぶ色は濃いグレイ系ばかりが目立つ。重いし型は古いしで全部処分。

書きかけの英語の原稿も思い切って捨てた。生前、もう捨ててもいいぞ!と言われていた民俗学や気象の資料など、躊躇していた本と一緒に本棚ごときれいさっぱり・・・「死んだら・・万事終わり」

但しこの1931年・・という父が19才?頃の英語で綴った日記は大事にしようとおもう。きれいな文字に几帳面だった性格を忍びながら,文面はたわいもない蒼き青年の日常だが,帝国大学を一浪したあたりまで英語で熱心に書き綴ってあった。
大学に入ってからは遊んだみたい・・・どうりで勉強しろ!とは言われなかったな。


2007/10/3 水曜日

物置を壊したら出て来たおもちゃ

Filed under: 日々雑感,時代 — patra @ 0:38:45

ブリキのおもちゃペコちゃんの自動車

エアポートカーゴレア物のおもちゃ

ブリキのおもちゃとミッキー猫とウサギのオートバイ乗り

息子からメールが来て物置壊すなら、白いドアの方に入ってる今は無きパンナムロゴ入りのブリキのおもちゃはちょっと勿体ないけどね・・・そんなこと言ってたらきりないししょうがないね。
と書いてあったので髭のお兄さんに<ブリキのおもちゃ>とマジックで書いてあった箱を救いだしてもらった。「見てみますか?」と聞かれたので蓋をあけると、忘れていたけど懐かしいブリキのおもちゃが沢山でてきました。わお!
ミルキーの例のペコちゃんが描いてある自動車も今やレアもの・・・

ブリキのおもちゃとキューピ人形
こんなかわいいキューピやアヒルのおもちゃも出てきました!ペコペコと鳴ってクチバシが紙ばさみになってます。
しかし、良く覚えていましたね。他に大事なドラムも息子の宝物も救出しました。
ミニカーを全部捨てて叱られたので今度は慎重に・・外から確認のために一々見せに来てくれる職人さん♪
台所のドアに立ちぱなしで「ソレは要らない!、ア、これは要りま〜す!!と叫んでいたので、お陰で脚がちょっと痛い。


2007/10/2 火曜日

肌寒い夜

Filed under: ネコ タグ: — patra @ 0:23:24

チップに占拠されたベッド堂々とベッドの真ん中で眠るチップ!
すこしでも肌寒くなると,器用にシ−ツの下へ潜り込みますが、今夜は何とも気持ち良さそうに枕までして・・・どうも最近、ドンドン猫離れして、人マネがうまくなってきてますな。

外は雨・・・


2007/10/1 月曜日

個人的な歴史

Filed under: 家族,日々雑感 — patra @ 0:35:12

life
[劇的リホーム」を見ていつも泣いてしまう私、この父の建てた古い家は鉄筋とブロック積みの構造なのでちよっと壊すほうが大変なので内装だけのお手入れで何時も済ましているのが辛くなる番組だからです。

母の退院に備え父の居た部屋を直しているのですが、大工さんに「このドアをどうしますか?」と尋ねられ感慨深かった。

父の居室はほぼ8帖の和室だが壁はブロック石、南側は天井から床ちかくまで大きい窓、東側の窓は建てた直後、車の音が煩いと,ワザワザブロックで外から塞いでしまったくらい雑音に煩かった父の考案した防音ドアである。厚いフラッシュドアの中側に砂がギッシリと入れてあり、外側はブリキで張り塗装が施されていて、部屋側は厚いテックスのような防音ボードが貼られた重い重いドア!閉める時も力まかせにドン!と押す代物だ。

「ドアが重いせいですかね、閉める時、ちょっと持ち上げないとピッタリ閉まりませんネー。それに上が下がってきてますよ!」

あれほど嫌っていたドアの閉まる音が、何故だろう、このドアの中の静寂な部屋で父は読書をし図面や本を書き、飽きるとギターを鳴らしていたのだ、と懐かしい。

生前、私と母は一階の台所から昔はスチームの通じていたパイプを叩いてご飯やお風呂を知らせると、父も手元にある孫の手なんかで部屋のパイプを叩き返して返事をくれたものです。インターホンの無い時代の工夫だった。

歴史なんだな〜アチコチが・・・
息子からも「あの家は想い出深いからなるべく残してね」と言ってきました。
ドライな姉は「何で執着するのか解らないわよ、こんな家!」と言います。
人様には理解出来ない事でしょうが、私にはこの家と闘って何十年も手直しを重ねた歴史が在り、その努力を愛しているのかもしれません。

金具をしっかり取り替えればまだ大丈夫だとの事、ならば其の侭にして置いて!と頼みましたが何故執着するのかは母の歴史の為でもあります。


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