まじめは正しいか?
世界観を狭くしてしまっているような最近の暮らしに、よそのブログを読むことでなるほどな〜一理ある!と頷く事が度々。昨日の猫にかこつけてサラッと書いておいた北尾哲学も、おおまかに言うと、そんな考えもあるのか?という程度のことだ。最近とにかく短く書くので(ほら、素人の文章なのでせめて短く、と思うのだが)、よく意味するところが伝わらない。去年すっかりご無沙汰していたサイトを覗いて又また目からウロコ。さとなおさんの「正しいことを言いだすと、決まって人は悪いことをする」と書かれた文章を読んで頷いた。モノの見方を柔軟にすることがいかに大切か!をこうして長い文章でもきっちり表現できるなんて、流石にプロだ。引用されていた河合隼雄と山本夏彦の言葉・・・時々私も思い浮かべる必要があるな。なぜなら真面目にさえしてればケガが少ないと思いがちだったから・・・度が過ぎては何事も悪になる例を,戦争へと駆り立てられた日本人の国民性、狭量で不寛容、窮屈になりがちを正義を追い求める結果と表現してあった一行に、心底ハっとさせられた。勉強になるな〜。
ところで昨日、母の部屋の天井の周りブチ廻り縁の落ちた個所を直しに来てくださった、我らが心やさしきケアマネジャーさん達。彼等の紹介の業者さんの施工のミスだが,職人を頼むまでも無い、とワザワザ両面テープ持参で直しにきてくださった・・・しかし、今朝、もう全部、剥がれ落ちてしまった!と母。重力の法則で言えば天井から両面テープで貼る行為は周りブチ廻り縁の重さで剥がれるに決まっている。そもそも天井の壁紙を貼った際の始末、周りブチ廻り縁を釘止めしてない方がおかしいのだ。せっかくの親切が無駄になり此処でも真面目が正しいとは限らない結果に。壁紙職人を昔の施主のように呼びつけて、なぜ不具合なのか?を当人に確認させ、直させるほうがお互いの成長のため、かえって親切というものだろうに!。素人目に簡単に見えても方法論がすでに間違えているようなことが多すぎる昨今、人々の動きにさえ無駄が多い。親切を無駄というのもしつれいながら、ひんしゅくを買う覚悟で言う、餅屋は餅屋。我々が職人を育てる覚悟で、しっかりとモノの本質をみきわめるべき、ダメなものはダメ。付け焼き刃はどんな世界でも通用しない。