2008/7/26 土曜日

暑い日がつづきますね。

Filed under: ネコ タグ: — patra @ 0:39:18

まだきれいお水を飲むチップチップクーラーは快適です。でも冷房に慣れ過ぎると骨折した足には良く無いらしい。なのでpatraはお客様がお帰りになると消してます。
僕はお客さんが居る間は我慢していたお水飲みをさっそくテーブルの上に乗ってゴクゴク・・・だって喉が乾くんだ。
昨日はカーペットタイルの色がベンチとマッチしてると誉められました。事務所からケーキスタンドを持って来たので又ちょっと便利になりました。冷蔵庫に物を終う時運べるし、色もお揃いだしね 。暑い日々がつづきます皆さんも熱中症に注意してくださいにゃケーキスタンドケーキスタンド


2008/7/25 金曜日

意外性

Filed under: 感想 — patra @ 4:10:23

英語でシャベラナイトを久しぶりにみて驚いたこと、女優の稲森いづみさん、常磐御前で人目を驚かせた美女,今は篤姫で大奥の滝山を演じ冷たい美しさに磨きをかけています。その稲森さん.何と英語の発音も喋りも実に奇麗・・・びっくりしました。凄みが出てきて中々の女優ぶりだけどただ者では無い印象です。

篤姫の共演者も「ただ奇麗なだけかと思ったのにおどろいた」には笑った。

平幹二郎さんも、流暢な息子岳大さんに負けじと英語が上手。時代劇役者が英語が得意なのは新鮮、意外だな〜


2008/7/24 木曜日

父性・・・

Filed under: 家族,日々雑感 — patra @ 15:30:51

夕べの記述に.関東大震災の時、母達親子が逃げた先は清澄庭園の池、と書いたがこれは母の父親が辿りついた先、母は母親や婆やと共に,清澄庭園に辿り付く前に父親にはぐれ、逃げ惑う群衆に押され州崎の海まで歩いて来たそうです。火の粉に追われそして海に入り,母親の手から離れ波に沈みそうになった時、見ず知らずの学生さんが担いでいた柳行李を投げ捨てて母を拾い上げて肩に担いでくれたそうです。物より子の命を選んでくれた学生さん、母、5才の頃、実にありがたいことですね。

沢山の愛に包まれて生きてこられた母、もう一つ好きなエピソードを話してくれました。 清澄庭園に逃げた父親はもちろん無事で、運良く再会でき、その後何かと母をそれは可愛がったそうです。小学校に上がった頃、小さい赤ん坊の居る自分の妻を患わせないためか、毎朝.私の母の髪をお下げに結うのは父親の役目だったそうです。するとお下げは下に下がらず横に向かって編まれてしまう。そのピンと跳ねたお下げ,黙って結い直してくれるのが担任の女先生だったそうです。

長女というのは男親にとって格別な想いがあるのでしょう。私の父も姉には滅法、甘かった。

年頃になった母の色黒を心配した父親(私からは祖父)は母が出かけるときは必ず玄関から大きい声で「傘、傘をさしていきなさい」と叫んだそうです。清澄庭園に逃げる時,娘の手を離してしまった恐怖を忘れなかった男親の心なのでしょう。お寺のお坊さんだった姿しか知らない私、そのお爺ちゃんが不器用な手つきでピンと横にハネてしまうお下げを結っている様子,今でも見えるようで父性が愛しいです。

結婚後,母が電熱器の不始末から出した火事について、祖父が夫殿へ出した詫び状にも胸迫る愛情を感じます。私の父が掃除洗濯料理がまるでダメな母を離縁しなかった背景には祖父の真剣な父性に畏敬を感じてのことだったのでしょうか、母に言ったら「ダメな子ほどかわいい」とケロっと答えてましたよ。


土用の丑の日前

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 2:07:42

「明日はきっと鰻屋さんが混むとおもうのよ、だから鰻、今日、とってくれない?」夕方母にねだられました。この間のカロリ–計算表でうな重のタレ・・・(味醂が特に)随分と高いカロリーだったので私は白焼きにしました。本ワサビが付いてきてピリっと甘くお醤油で頂く味は絶品でした。「あぁ美味しい」を連発しながら、でも半分だけ残す母に年齢が忍び寄る気配を否めない。「朝のたのしみ・・」といいつつラップして冷蔵庫へ

この記事をアップしようと思った時に(夜中の00:26・48秒)家が揺れました。また地震です。何がおきるか解らない此の頃です。前倒しのうな重でしたが食べさせてあげてよかった・・・母の関東大震災の記憶はお昼のおかず・・・卵焼きかなにか大事に最後に食べようと残しておいた時に大揺れ、結局焼け出され食べられなかったので、その後の人生では大好きなものは一番初めに食べる事に決めたのだそうな、4才くらいだったのかな。焼け出され清澄庭園に逃げた母達家族、池の中で火の手を避けたそうです。握っていた父親の手が人に押されて,離れ、もうダメ!沈むと思った瞬間、肩に担いでいた柳行李を投げ捨てた絣袴姿の書生さんが母を肩車してくれ,助かったそうです。何度も聴かされた大震災の話を思い出した丑の日でした。岩手県沿岸北部の被災地の皆さんが無事でありますように。

土用の鰻白焼きを本ワサビで肝吸い,胡瓜揉み,枝豆


2008/7/23 水曜日

研修という名目で社会復帰?

Filed under: 日々雑感,時代, — patra @ 19:45:51

薔薇と八重トルコ桔梗二つの花かご姫リンゴ感動した2時間弱、お昼からケアマネジャーさんの肝いりで,訪問看護師7人の皆さんが暑い中、飲料水を持参で我が家にお集りくださいました。今日で退院から丸1年と1日,記念すべき私のイベントを「研修ということで若い看護師さん達に,障害のプロとしての市田さんの意見を色々と話してください」との事でした。私が自らのハンディキャップにも拘らず無事1年を過ごすことが出来たのは福祉士の堀越さんのご紹介でミオパチーという病気に向かい合ってくださるケア,マネジャーさん.工藤さんと看護師の會本さんと出会えたからに他なりません。お礼に何かしたくても何時も頑に固辞されてしまう清廉の方々、ならば障害の目線から何か拾えるヒントでもお話できるならば・・・と実行しました。あちこち飛ぶ私の話、どれだけお役に立てたかは存じませんが,少なからず視野の狭く成った私への皆さんの思い遣りでしょうか?笑いながら熱心に聴いてくださって有り難かったです。

訪問介護のフィールドは全く新しい分野、来てくださった皆さん、それは熱心で,調子に乗ってお話している間、ア、、と思った事は,私の日常生活のマンネリを少しでも打破すべく、あるいは勇気づける意味で企画してくださった.本当は介護に携わる皆様の私への心からの思い遣りなのではなかろうか!?と言う事でした。嬉しかった。「講演料です」と私と母に見事な薔薇のアレンジを置いていってくださった。私の方こそ1年のお礼を伝えたかったのに・・・まるで反対ではありませんか。私の復帰に向けての粒さを見つつ励ましてくださったケアマネジャーさん達の奥深い人間観察に改めて舌を巻き.敬意を表さづにはおられません。

脱線だらけの私事のような話を「講話」に高めるための努力、しっかりしてゆきたいと憶いました。慈愛、という愛情があるとすれば私の担当の皆さんの心にこそ有り、勇気を与えてくださる方々でした。今後も介護する側される側の意識、一緒に高めていきたいとおもいました。母にまで可愛い姫リンゴの花駕篭、泣けました。

「わん。かわいい、このリンゴ,食べられるのかしらん?」と老母。

ヤダ,君って・・・もう。


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