2005/3/23 水曜日

お土産にいただいた物♪

Filed under: 友人 — patra @ 23:51:30

キルフェボンのタルト
魅力的なお嬢さんがワシントンから遊びに見えた。
そして美味しいタルト、かの有名なキルフェボンのホールを頂く。芸術品だわね、流石に美味しい。もう下手で時間ばかり係る自家製は止めにしよう。

ジャム

そして今ニューヨークで人気の自然食品のお店のジャム・・・おお、実物を拝めました。
「甘いからヨーグルトにまぜてね」はい、そうしますとも、明日の朝が楽しみです。

お母さま、マダム・サガンも魅力的だけどお嬢さんは・・・スペシャルな感じ!お見事。家庭に仕事に趣味のバレーに、と感性を全開になさってて頼もしい。
ハッキリしている所が何だか私と同じなのね。2人とも正直で前向き、と盛り上がりました。
娘を持つなら絶対にカレンさんが良いよ〜〜〜とサガンさんが羨ましかった、おっと私にもスペシャルな良いお嫁さんが居るからオアイ子だな。

一皿盛り・・・

Filed under: 料理 — patra @ 2:53:00

牛蒡の炊き込みご飯と鶏
大急ぎの時は大皿に一緒に、鶏のセージ・スパイスを利かせた手羽元(これ大好き)と
笹がき牛蒡の炊き込みご飯。貝柱のお出汁とお醤油、酒で堅めに炊きます。発芽玄米混ぜてあります。パプリカのマリネがあると、レタスだけでも美味しくて手ぬきでも便利。
最近、牛蒡をとにかく良く食すようにしてます。癌予防に絶大な効果が有るんですって、好きだから、嬉しい。

そのマリネ。
マリネ

熱湯に半分に割ったパプリカ、赤と黄色を6分茹でます。冷水に漬けてから、つるりんと皮を剥く。此の作業がすごくセクシーでとても好きなのですよ。つるりん、きっと嵌まりますぜ。細く切ってから、お酢、塩、セージ、赤唐辛子、スライス大蒜にオリーブ油の特製マリネ液に漬け込みます。翌日から食べられますが保存も効きます。冷蔵庫に入れると
オリーブ油が白く塊になるけど、常温にだしておくと溶けます。

父の好物の蒟蒻のピリ辛煮をつくっていたら丹下健三氏の訃報が届く・・・
蒟蒻

父の大学の同級生だ。去年、偶然にも病院が同じ、主治医が同じで感慨深いものがあった。91才か・・浪人した父より一つお若い。金時計をいただいた秀才だった丹下さん。ダンスホールにばかり入り浸っていた父(笑)なんだか可笑しい。

せっせと1週間分の地味なお惣菜をあれこれ作る。大根の皮までキンピラにしました。

2005/3/22 火曜日

向こう側の貴女に・・・

Filed under: 友人 — patra @ 10:43:27

伸びた茎

時間が止まってしまったような閉息感をかんじていたら、きっとそれは新しい勇気が湧いてくる前兆です。
からっぽにしたコップにだけ、あたらしい水が、なみなみと注がれるものです。

勇気を!

2005/3/21 月曜日

地震お見舞い申します。

Filed under: 日々雑感 — patra @ 11:38:54

滅多に来ない地方への地震、本当に心配ですね、九州、福岡のみなさん、大丈夫でしょうか?遅くなりましたがお見舞いもうしあげます。地震で壊れる事の怖さ、家の不具合を改めて検証しようと思います。

実は今朝、早く、息子が初めて17年前にスペインから買ってきてくれたドンブリ風茶わんを割ってしまいました。思い出の品なので接着剤で貼りつけていましたら、手まで張り付いた。もう大変・・・くっつけるために手で押さえていたんですけど、やっと輪ゴムに代わりをしてもらい手を剥がして洗いました。無事・・・。

延命した桜と泰山木。
桜

エッセイをお読みの方はご存じの裏の彼岸桜・・・が咲くには咲いたのですが、もう大分樹が弱って15年前に伐採されるのを助けた当時の満開にはほど遠い姿です。
花の色も褪せてしまって樹の五衰・・・が哀しかったです。

近所のお嫁さんが枝を切って以来、急激に衰えたのですが、何度もいいます。桜は切ってはいけない。梅は切らなきゃいけないのです。

六義園の有名なしだれ桜・・・今月末か4/3日頃が見ごろだそうです。息子たちが戻る4日にはそちらへ満開を観に行くつもりです。
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2005/3/20 日曜日

お彼岸に想う

Filed under: エッセイ — patra @ 6:26:35

東京大学学友会ニュース創刊のお知らせが父の名前で届いた。生きていれば工学部木葉会の、卒業生名簿か「13年会」の僅か数人の列に加えられるのだろうが、いや、もう何も欲する所のない父は存命であっても、きっとこの手の通知をゴミ箱へ放り込んだであろう。
名も無いかわりに欲もなく、誰をも泣かせない生き方を貫き通し、見事に覚めた人であったからあらゆる柵を捨て去った晩年だった。

『礼記』(坊記篇)のなかで孔子は、「死は民の卒事なり」(死は人生最後の一大事である)と解いているが、案ずるより本当に呆気無い幕の下し方だったので墓石もそれに習う事として、予てより選び置いた文言を一字彫ることにした。

浄土宗では亡くなると、まず戒名を授かり仏弟子となって、阿弥陀仏のお導きで極楽浄土へ行き、更に修行を重ねて悟ることで良き転生を計る・・・と教えています。父は生前、忍のお修行を充分なさったので、さらなる修行は懲り懲りとでも考えたのか、生前、葬式無用、戒名無しと歌うように繰り返すのです。そのせいで浄土へ行かれないとしたら、それこそ一大事である。
そんな事のないように選んだ文字は『恕』すべてのものを赦す。という意味を含む一字です。
孔子の弟子、子貢が「ただ一文字、選ぶとして終生行うべきものは有りや」と尋ねると「それは恕なり」とお答えになる、かの有名なる『恕』です。これを墓石に彫る事は大分以前から密かに決めていた事ですが、それは私個人の願いでもありました。
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