真の意味で成長するためには国民一人一人が他人まかせではなく、自己責任において将来への設計図を引き直す必要があるとおもいます。視点を変えなければいけない所まで来ている日本。良く情況を分析し惑わされないようにしたいものです。しかし小泉さんと言う方はドライですね。改革するにはこの方くらい非情じゃなければ、変化は見えて来ないものだろう。独裁というのとも違っている悲壮なる決断!あるいは覚悟にみうけられます。
8月21日付けの産経新聞の片隅に載っていたコラム「断」の中で宮崎哲弥さんが<堀江氏出馬と保守の変威>とタイトルを付けた記事を全文ここに転載してみようと思いました。モヤっとしたまだ釈然としない部分を理解し考える力になるかも知れない!と記録としてです。
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『ライブドア社長、堀江貴文氏が、反郵政民営化・反小泉自民党の総大将、亀井静香氏の地元、広島6区から出馬する事が決った。
当面無所属とはいえ、対抗馬を立てない確約を得、かつ追加公認の含みを残した事実上の小泉自民党の候補者だ。
この「究極の刺客」に関して語るべきことはいろいろあるが、最も深いレヴェルの指摘をしておきたい。
自民党は郵政造反組を排除することによって、その軸足を新自由主義の方向に大きく移動させた。伝統的な社会共同体重視の保守主義から、アメリカ共和党な個人の自律と市場競争を最重視する社会哲学にシフトしたといってよい。
これが小泉自民党の政策思想的「純化」の意味である。この保守政治の変成に気付いている人は驚くほど少ない。
ホリエモン出馬はかかる勢力変動と無関係ではない。私は以前から堀江貴文氏こそが日本におけるリバタリアニズムの象徴的存在であると示唆してきた。
リバタリアニズムとは、新自由主義をさらにラジカルにした、国家権力を最小化し、社会の粗方の機能を自由市場のメカニズムに委ねようという思想だ。
アメリカにおける保守主義の最右翼の一つと考えられており、日本では「自由至上主義」などと訳される。
堀江氏の一連の言動をみれば、彼が自覚せざるリバタリアンであることは明らかだ。
新自由主義に「純化」された小泉自民党は、逐に自由至上主義にまでウイングを広げた。
この政治的、思想的意味は限りなく大きい。
日本の保守の転機である。 評論家・宮崎哲弥 』
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一方こちらの方の問題提起も当然のこととして頭を過ります。
政治は無駄だからやらない・・・と言明していた堀江さんの変化を我々は自分の尺度をもってしっかり検証する義務があります。政見放送などで意見が聞けないのは全国区から出馬しないためですが、此の選択は男らしい、と言うより奇妙に写る。ほんとに真剣なのか?と疑われる要因じゃないでしょうか?。
お二人とも良くいえばザックバラン、意地悪な見方をすると無礼!礼節が欠如している所を一番、善しとしない私だが、選挙は頭を下げるのが仕事、この事だけ考えれば素晴らしい経験になる筈なのでその決断は楽しい。
時代が変わるか日本が沈むかの瞬間を国民が問われているのは確実です。若い人にこそ真剣に考えて頂きたいとおもいながらのご紹介です。