2008/1/23 水曜日

暖かくな〜れ

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 8:13:11

砂肝のコンフィーキャベツ丸ごと砂肝のコンフィーと丸ごとキャベツスープ、母の好きなシャウエッセン・ソーセージ

「小学生にお母さんの作るもので何が一番好き?とアンケートで聞いたらシャウエッセン・ウインナーだったって、うふふ」
母が嬉しそうに小話をおしえてくれました。


2008/1/22 火曜日

影・・・祝膳

Filed under: 家族,料理 — patra @ 0:07:02

鰈の煮つけ鰈の煮付け母は数えで計算すると91才になりました。
お祝いごとは数えで祝うのですから今年は影でも良いのですが、先週の木曜日、病院の中のローソンで長崎チャンポンが招いていたらしく買って戻りお昼に食べて全部モドシテしまった!という失敗をしたので計画していた好きな物大会は中止。暫く老人らしく養生食ばかりでした。
お風呂に入れた日なので、それだけでご満悦の様子なので胃に優しいお粥さんと鰈の煮付けだけの誕生祝いでした。
私の見落とした新聞に福田恆存さんの奥様のお話を息子さんの逸氏が書いてらした事、86才でお元気らしい事などを久しぶりにお喋り。「え?読んでないの?切り抜いておいたから明日もってくるわよ」
この所忙しく新聞も読まなかった私だ。いつもは母のスクラップ好きを苦々しく思う私だけど・・つまり家族が読まないうちに切る癖と整理しないまま膨大になるまで積み上げる癖を叱るのですが・・
誕生日の昨日はフンフンと静かに話を聞いて上げる。

魚やの鰈が真子ガレイじゃなく卵が不味かったので,嫌〜ねぇと愚痴ると「吉兆だって偽装するくらいなんだから、小さい魚屋だって偽装するでしょ」とアッサリ切って捨てた。
子持ち鰈の卵を見分けられる主婦が、もう居ないのもいけないのだろうが,ワザワザ聞いてもらってこれだもの・・・

お花もあまりの寒さに部屋温度を23に設定してるので持たないから無しね!と言ったら大丈夫、でも誕生日を気がついてくれるのって何時も貴女よね〜とシミジミしてたのでちょっとセンチになった。


2008/1/21 月曜日

ギターに魅せられた魂、ふたつ。

Filed under: 人物,日々雑感 — patra @ 2:45:09

ロバート.ベネデットアーチトップギターの名人この熱く語っている人はアコーステック・アーチトップ・ギター作りの神様・・と呼ばれているロバート・ベネデットさん通称ボブ・・・、日曜日に見たうるるん滞在記に役者でミュージシャンの山本耕史が憧れ続けた彼の工房で念願のギター作りを指導してもらうお話でしたがすごく良かった、何が良かったか?と言うとボブさんがギターと出会った時は10才、その時に手をギターに触れさせて貰った瞬間から、虜になったんだ!と語りながら思わず涙する瞬間を視れたこと。
職人の一途さ、純粋さがそのまま普段の日常生活にも息ずいている少年のような姿、ニョッキを粉で煉るところから始める食事まで一切の手抜きがない生き方を知ったこと・・・「彼は私の天使よ」側で見つめているだけの幸せな奥さんは、ボブに毎晩食事を作ってもらうのだそうです。
「何か手伝う?」と奥さんが聞いたら即答で「いや、いい!」には笑いました。イタリア移民のボブさんですからこれは譲れないのでしょう。
山本もギターを野口五郎から貰った頃が同じ10才・・二人で夢中になってギターを作り、夜明けまで弾き合う姿はまるで本物の親子でした。
山本マイギターを作る山本耕史面白かったのは山本クンが,折角作るギターなので、ココは自分らしさを出したい!と
ギターの中側を赤くペイントしたい、自分とボブさんのサインも入れて,外側も赤くしたい!
そう希望を伝えるとちょっとビックリしたように「赤が好きなんだね〜」、でも笑ってOKしてくれたんですが見てる側の私も「赤??」と一瞬思うのです。
後日,番組に間に合うように送られて来たそのギター、驚いた!赤が実に効果的、穴から二人のサインも見える。
山本耕史の負けていない感性、若さの感性が見事にボブのアーチトップギターに新鮮な意匠を吹き込んでいたのです。
老練な技術に無鉄砲ともおもえる若さ、実に感動のコラボレーションでした。いいな〜音楽が共通の言語の人々、国境も年令も無い。
野口五郎が悔しがるのも解る、臆せず言う若者が頼もしい。


2008/1/20 日曜日

chip、ぼくのお気に入り

Filed under: ネコ,日々雑感 タグ: — patra @ 2:47:24

チップが喜ぶ時chip


2008/1/19 土曜日

生命力溢れる絵

Filed under: 人物,時代 — patra @ 0:19:13

遺品の絵絵

赤タマネギの出所が

前にもブログでご紹介したCMディレクターの東條氏も去年、帰らぬ人となったのですが
私の友人である奥様から遺品となった数々の絵が、スポンサーだった大手会社、数社のご協力で絵ハガキになったので・・とお分けいただいた。

多岐に渡り才能に溢れる方だったので、陶器や絵に最期まで楽しくお暮らしだったそうです。どの絵もリアルに躍動感にみちています。いつもスケッチブックを手放さない方だったそうで、病に倒れても平常心の、それは見事な終り方だったそうです。

しみじみと絵はがきを眺めていたら、私の現役時代の尊敬する師、カメラマンの国房さんの名前が・・・赤タマネギの絵の横に東條さんの鉛筆で”国房さんの赤タマネギ”と記してありました。お二人はコンビで良くお仕事なさってらしたそうです。千葉にお住まいの国房先生が赤タマネギをお造りになってたのか?と想像したら昔では考えられないので、すごく嬉しい発見でした。

見えない縁の糸・・は今日もありました。
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