2005/1/13 木曜日

堕落のほころびは・・・

Filed under: 日々雑感 — patra @ 2:46:55

あっという間に忍び寄るから怖いものですね!床に落ちた本が丸1日そのまんま下に転がっていました!
ひとつ予約がキャンセルされただけで、急にぐったりと気分がなまけ病になってしまって、何もかもが疲れに感じてしまう。緊張感も生活の特効薬なんだった。

お花が枯れてきたのでフミちゃんが可愛い花篭をアレンジしてくれました。乙女チックなお花で飾られて、心無しか照れたふうな遺影。

ム−ビープラスでジャック・ぺランのWATARIDORIをやっていたので、明日も早いのについ見てしまう。
「わ」とか「お」とか声をあげっぱなしでした。何度みても素晴らしい。旅の終わりころになると、鳥たちの翼が痛んで来ているのまでハッキリ写っている。汚染された工場の廃液に翼を取られて動けなくなった鳥の姿は、残酷で哀しいが必要不可欠なショットだろう。あれを見てハッと我に返る。そうだ人間が写している映画だったのだ。渡り鳥と同化して空を飛ぶ気分だった。
しかしdeep-blueとかこの映画はどうやって撮影したのだろうか?根気と根性が凄ぎる。
子役だったジャック・ペランの「ぼくの伯父さん」を見ていたので、好きな事へ執念を燃やす彼の人生の極め付けの1本を素敵だな〜〜と思う。

落ちた物くらいその日のうちに拾わないとな、鳥の飛ぶための努力と筋力に悪いや、とあらためて反省のお粗末隠居。


2005/1/12 水曜日

やってみたかった手抜き。

Filed under: 日々雑感 — patra @ 0:20:32

朝、整形外科へ行っていたお婆ちゃんが帰ってきたのでヘルパーさんが買って用意しておいたお弁当を出すと
物凄い食欲で全部平らげ、その上バナナも食べながら「よ〜し、これからはもりもり食べるぞ!」と自分に気合いを入れていた。なんだかやる気がでてきたみたい。
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2005/1/10 月曜日

「うんめいの子」

Filed under: 家族 — patra @ 2:49:36

亡くなった人の夢を見ることは一体何日くらいで見られるものなのだろう!?と予々思っていたら何と父が12日目にして私の夢に元気に現れてくれた。たくさんの驚きをここで述べても仕方がないのだが、新聞を見ろ!と言ったように思え、起きてすぐにピンときたのでTV欄に目をこらすと「義経」のサブタイトルが「運命の子」となっていたのを発見し強く納得した。
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2005/1/9 日曜日

義経に繋がるダイアナ靴店

Filed under: 人物 — patra @ 0:54:40

銀座の裏道のダイアナ靴店は小さいけれど高級な品揃えだった。その美しいカップルが静かに店内に入られた時から、私は目を奪われた。棚に陳列された靴を見るともなしにこちらを振り返られた瞬間に私は彼等がだれだか分かったのだ。音楽家の黛敏朗氏と奥様の女優さん、桂木洋子さんだった。ほっそりとしたお姿に細身のベージュのコート、ウエストをベルトでキュッと締めたスタイルの完璧な着こなしは、まるで外国の女優さんのように洗練されている。不躾とは思うのだが目が離せない、それは見事な美しさだった。柔らかくウェーヴした栗色の巻き毛が肩まで垂れ...爪先が黒皮の、今思えばシャネルの定番、当時日本人はほとんど穿くことが出来なかったベージュ色のパンプスのこれも見事に細い足首にみとれてしまった。すべてが繊細でこの世のものとは思えない精巧なバランス!フランス人形を見るようにしげしげと。
少し恥ずかしそうにされながら御主人の方へ肩をよせて私の目から視線をそらせた夫人は、でもそれが、少女の賛美と感嘆の眼差しである事を充分に承知しておられるかのように、今度はその美しい横顔を凝視するだけの時間を私に許し、ゆっくりと棚の上から横、斜下へと視線を泳がせては店内の品定めをなさった様子をはっきりと今も思い出せる。

ツイードの上着にアスコットタイを締めた黛氏はダンディで雑誌で見るより遥かにハンサム。当時上映中のオードリー・ヘップバーンの「緑の館」に出て来るバーバリアン役のへンリー・シルバーに似たエキゾチックな風貌で日本人離れした背丈、ほんのかすかに猫背で、けれどスラっとしたスラックス姿の足の長さといいバックスキンの靴といい、お二人の組み合わせは絵としても<お似合い>だった。「こんなにも美しい組み合わせの御夫婦が本当に日本にも存在するのだ!」と・・・。
店内に立ちすくみ、憧れの眼差しを放ち続ける私は文化学院の美術科に入ったばかりの18才で美しいものに貪欲な画学生だった。昭和34年頃の銀座に毎日くり出しては目に入る美しいものを全て吸収しては楽しんでいたのだ。

気に入る靴がなかったか、あるいはあまりの視線に困られたのか、お二人はそのままダイアナ靴店を出ていかれた。胸の所で曲げた黛氏の腕に手を差し入れるようにして掴まり洋子夫人は細い足首を軽やかに運び、先の森英恵店のほうへ消えていかれ、その後ろ姿まで記憶にとどめるように眺めては、美しさを心のシャッターで何枚も連写してみた。

なぜこのようなシーンを深く脳裏に刻み込んだのだろう、後にも先にもあのように人様をマジマジと凝視してしまった事はなかった。魅力的なカップルの出現にまるで呪文にかけられたように若い私は完全に我を忘れたのだろう。漠然と思い描いた理想のカップル、憧れのカタチが目の前に突如現れたのだから興奮したのもやむをえまい。

お洒落で知的で洗練された都会的なカップルが実は理想だったのに、数年後に恋をした私は、銀座を散歩するにはおよそ似つかわしくない人を選んでしまっていた。お手本があまりにも素敵すぎたせいだろうか、と思い出すたびに残念、と笑ってしまう。

人生の巡り合わせとは不思議なもので、まさかあの40数年前にポカンと口を開けて見とれた御夫婦、黛敏朗さん・桂木洋子さんの御子息が知人の紹介で御夫妻で我が家を尋ねて見えるなんて露も想像できなかった。

奥様である、女優、平淑恵さんの紹介で見えた紳士は若々しい中年、といっても50歳くらいの、いかにも芸術肌タイプ、無口でシャイなNHKの演出家として映画「RAMPO」や朝ドラ「すずらん」で有名な黛りんたろう氏だった。私がたった1度だけ銀座ダイアナで遭遇した頃は、きっと小学校3年生くらいの坊やだった事になる。多分、御留守番をされていたはずだ。あの憧れの御夫妻の・・・そのお子さんが40数年後に飄然と中年になって立ち現れるなんて・・・感無量だった。
既にお亡くなりになっていた父上黛氏がどんなマジックを天上からお計らいなのだろうか。

最もダンディで自信に満ちていた頃のお父上と眩い美しさのお母さまの目撃者であるところの、この私の前に唐突に座られる御子息夫婦。導かれる運命を何とも不思議だと思いつつ、ちょっぴり親嫌いでもあったらしい黛りんたろうさんへ、どれほど若い御両親が素敵なカップルだったか!を熱意を込めて語る私だった。

偶然の糸がどこで、どう繋がるのかは定かではないが、一度たりとも忘れなかった私の記憶の糸を辿ってまで伝えたい事が、きっと父上、黛敏朗氏にはお有りだったのだろうと私は確信しつつ・・・・

「本をぜひ、お書きなさいよ、」と闇雲に言いつづけ、それに応えた黛りんたろうさんは今年の大河ドラマ「源義経」の演出と撮影の合間、さまざまな困難を克服し、終に書きあげ、脱稿した!と電話で知らせが届けられました。

春風社さんの三浦社長の肝いりで出版される本、何を隠そう、我が父が大の大河ドラマファンだったので、こっそり私流の親孝行の便乗でもあったのですが、間に合わなかったのが残念至極。

「大河ドラマをただ見るだけではなく裏側の作り手の苦労を知りつつ見るのも一興でしょう?」そんな不思議な縁だけでも今年の大河ドラマ「源義経」は興味深いものがあるのです。


2005/1/8 土曜日

きもち・・・繋がる。

Filed under: 友人 — patra @ 0:43:08

なんだか非常に自分は幸せ者なんじゃないか?そう思える1日だった。このところ気持ちの良いお客様ばかりで、すこしの緊張もあって充実した日々だが、そこへ又沢山の応援をいただけて胸がいっぱいになる。若い友人から絵本の「みみをすます」 が届き感激する。なぜって私より40歳も年下の若い感性が選んだ絵本が長新太さんの新しい絵だからだ。大昔、長さんと新宿のバー「ナジャ」で遭遇し、お願いして似顔を交換した事のあるくらいファンなのだ。思い出も含めてうれしい懐かしさ。もちろん谷川俊太郎さんの詩は言う間でも無く素晴らしく、冴えをますばかりだ。

  ♪ 

                

みみをすます
じゅうねんまえの
むすめの
すすりなきに
みみをすます

ね!ほんとにすてきな詩、ありがとう>空さん。
英訳はウイリアム、I.エリオットさん、朗読も心地よい・・・
  
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