2006/4/19 水曜日

ヴァンパイア・・父親業になる

Filed under: 家族,日々雑感 — patra @ 8:36:49

大吸血時代  デイヴィッド・ソズノウスキ著、金原瑞人、大谷真弓訳・求龍堂・1890円

きのうは母に振り回されて1日不愉快だった。
考えてみれば大昔からよく嘘をついて映画をみに行ってしまうので父が激怒していたっけ・・

母に何故黙って行くの?と聞くと「反対されるのが否だから」と答えます。叱られるのが否で嘘をつくらしい。子供時代からの哀しい習性?
(幼児に厳しく叱ると嘘つくようになりますのでしてはいけません)

でも来年には90になろう老人が家の者に行き先を言わず、帰る時間を言わずに出かけたとは一緒に行った親戚の叔母達さえ寝耳に水だったろう。病院へ行ったとばかり信じていた私だ。

こんな不良婆さんは言う事を聞かないので放って置いたら、豆大福とお豆腐に小豆の餡を載せて無気味な食事をしてました。ぎゃ!

「小豆とお豆腐が良いんですってよ〜簡単だし」ケロっとしてます。

どうりでこのごろお豆腐のパックがすぐ行方不明だったわけだ。

一億人が健康指向で変な嗜好になるのも時間の問題かしら・・・

もう負けていられない、この変な生命力強固な生き物と共存するには対策がもっともっと必要だな?
今、ニューヨークで大評判のヴァンパイアが父親になる話大吸血時代

でユーモア力をつけなきゃ・・真面目な私はとってもやっていけませぬ。

え、どっちが吸血鬼?それは聞かないで。イスズのように可愛く甘え上手ではない老人のお守はたいへんなのよね、どっちにしても。
世界中がヴァンパイア時代になる近未来、彼等は捕獲者から消費者へ・・と変貌した。生きた人間の血を吸えるのは金持ちだけで、庶民はスーパでパック入りの人工血液を購入するしかない。

食育とか・・老、老介護社会に何か通じるように想うのは私だけ?


2006/4/18 火曜日

ぼくセザール10歳半1メートル39センチ

Filed under: 感想 — patra @ 1:16:21

ぼくセザール10歳

夕食まで時間があったのでム−ビ−チャンネルで「ぼくセザール10歳半1M39cm」・・・と言う長いタイトルのフランス映画を観る。

この映画の主人公、パリに暮らす少年、10歳半、お菓子好きのポッチャリしたセザールの眼線を通して描かれる大人達は、決して優等生な大人じゃないところがリアルで好もしい。
セザールとクラスメートのリサとモルガンのちょっとした冒険のお話だが、しっかりと大人達を観察している様子が面白く、終には真剣に仲良く生きる事について深く考えさせられました。

セザールの父親は次ぎの出産を控えた妻を労る一方仕事が思わしく無い悩みを抱えての苛立ちからセザールの話を聞こうとしない。
セザールが憧れる美しい同級生、サラには、お銚子者で何事にも全力投球するのだが、結果は浮きまくるパパが居る。恋人を新しい母役としてサラに認めさせようと必死なパパ。セザールの恋敵でもあるモルガンは堂々として完璧な男の子なのに、実は雷が怖い。看護士の母に育てられ生まれてからまだ1度も父親と逢っていない・・その故か嵐の中、独りで留守番をするのが怖い弱点をセザールとサラの前に暴露してしまう。各々の悩みを知って仲良くなる3人。この3人組みが一致協力しロンドンまでモルガンの父親を探すべく旅にでるのだが、記者をしている事と名前だけしか知らない父親探しの3日間の旅。

ロンドンで出会う人々の設定が実に現代世相を反映していて興味深かった。食い詰めた同性同名の中年男、軟弱そうで暴力的な青年。
一見アウトローに見える実は親切なパンクおばさん・・・彼女の描き方の中に大切な「人」としての愛の基本が表現されていてうれしい。モルガンのお父さんの描き方にも救いがある。勿論再婚し子も3人も居るのだが、その家族の見せ方に説得力があるせいだろう。ラストのセザールの台詞の中に、映画で表現したかった全ての想いが凝縮されている粋な仕掛けになっている。タイトルもその台詞に因るものだった。

我々大人は、つい、子供時代に自分がどんな風に親を観察していたかを忘れ、自分達こそ正しいオトナのつもり・・・と図々しくも錯覚してしまう。けれど親になる動機はけっこう不純、つい気紛れな恋などから子を成し大慌てで親に成って行く人だってある。それ相当の自覚や覚悟が有って親になる人の数よりも、知らず知らず親に育ってしまった人・・・そんな無自覚な一人である私もセザールのような子供に因って育てられた親の一人かな。

既に充分に大人である息子を未だに子扱いし「それって、まるで悪いお母さんの典型みたいじゃないか、最近の君、お婆ちゃんそっくりになって来てるよ」と抗議されてグサッと言葉が胸に刺さり赤面したばかり。

世界中の子供達が良いオトナに育つには元子供だった筈の親が、記憶を呼び覚まし、何度も耳傾けて子供達の嫌った大人と自分自身が出会う訓練をすべきかも・・・同じ轍を践まないようにしなきゃ人として進歩する・・大事な意味がなくなってしまうもの。
とても楽しい、好きな映画でした。


2006/4/17 月曜日

筍づくし・・

Filed under: 家族,料理 — patra @ 2:09:58

筍ずくし

家で茹でる筍、ほんとに美味しいけれど1本消費するのは確かにたいへん。しかも昨日は3人だったので筍ばかりの献立でした(笑)
穂先きの柔らかいとこは酢味噌、筍のバター焼きは息子だけ・・
残った端ッコは千切りにしたパプリカと一緒に炒めてみました。

筍ご飯と・・
筍ご飯にお豆腐と筍のお吸い物、カレイの煮付けは一晩置いたら煮汁が染みて色が濃くなってしまいましたが味は濃くない。
「パリでは食べられないから・・」と機嫌良く箸を進めてくれる息子は、でもご飯は1膳だけ。この発芽玄米の筍ご飯はお婆ちゃん作。どうもお酒とお醤油の塩梅が今ひとつ、水っぽい味。

「もう何か手伝おうとしなくいいから」とハッキリ言うと「うん、スッカリ忘れちゃった」

こうして何もかもドンドン忘れていくのも可哀相だけど、きっと私も辿る道だろうな〜。
水かげんが大事な混ぜご飯は具の切り方やお酒、お醤油の微妙な分量がいちばん難しいのです。

孫に寄せる想いは熱烈で、朝、起きたらすでにお釜に仕込んでありましたもの。しかし筍の切り方が何とも??・・・他の料理ができないくらい中途半端で乱雑な残し方で、料理人泣かせな老母です。
「言われた事だけしてね!お茶!」「ハイ、ハイ」
苦笑する息子でした。


2006/4/16 日曜日

作業中

Filed under: 家族, — patra @ 1:48:34

花
本日は用事でお出かけするフミちゃんの代わりに息子のご飯を引き受ける日。
仕事が重なっている息子、いつ降りてきても良いように子持ち鰈、中華風スープなど煮てから
台所の灯りを消す・・・・


2006/4/15 土曜日

筍の皮の柔らかい部分も・・捨てません

Filed under: 料理 — patra @ 12:04:18

茹であがり

朝になって茹で汁にひたし冷めた筍の皮を剥きます。とっても良く茹であがって灰汁もありません。
下ごしらえ万全、と思ったら息子達が今日、友人の音楽ライブでお出かけだった(汗)。

筍の皮の柔らかい部分も

茹でた筍の剥いた皮の中側、下の部分は凄く柔らかい。少々えぐみがあるけど、この部分が美味しいのです。梅干しと練り胡麻と味噌、酢は甘い寿司酢で・・塩梅良く。
山椒があれば良いのですが、家のテラスにはもう枯れて無いので香草。

筍の陰膳

父に穂先きと皮を一先ず陰膳して・・・さて

ミニアスパラはニンニク味噌です。


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