2004/10/13 水曜日

バジリコ・スパゲッティ

Filed under: 時代 — patra @ 5:37:46

キャンティ物語』を読んで当時の雰囲気を思い出せる人は業界の人々が多いだろう。特殊な職業の人々のサロンという感じ。あの、お店の醸し出す独特な空気は上質な大人っぽさと、ある種の意地悪さを併せ持ち常連のみを大切にしているようなお店だったから素人は入りづらかった。豪華と言うほどでは無いのに入店する前に、なぜか胸がドキドキする。文化人御用達のせいだろうと思う。
学生時代、東京のイタリアンは庶民的な『シシリア』が出来、次が『ニコラス』、この両店へはよく遊びに行ったが、1960年に出来た『キャンティ』へは行くチャンスが無いまま家庭に落ち着いた。1965年からは子育てが始まり、夙に有名になっていくのを雑誌で読むだけ、反対にシシリアは寂れ、いつしか完全に消えていった。
1970年代に仕事をするようになって、当時の売れっ子カメラマンやデザイナーに連れてゆかれたキャンティで、何故かバジリコのスパゲッティを頼むのが粋らしく、皆が一様に「バジリコ!」と言うのでつられて頼んでみる。
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2004/10/12 火曜日

楽しみはつづく

Filed under: 日々雑感 — patra @ 6:19:29

いかんせん、話題が噛み合わないほどの年齢なんだな〜と実感する今日この頃。
rosemaryさんの父上が嵐の日に産まれそうに成った彼女に、危うく嵐子!と名前をつけるところだった、と書いてらして、私はすぐ戦後のラジオ放送から連日流れるタンゴバンド・・・の呼び掛けるタイトルが耳に甦った。♪ラン子、フジサワ〜のバンドネオンと情熱的な歌声、を思いだしたのだけど、
“全然わかりません!”で終わりました(笑)。それはそうですよね。ブラジル移民を奨励していた頃、毎晩のように流れていた番組です。昭和29年〜38年くらい昔の事だもの。化石過ぎな話題でしたね♪。

でも絶対に共通な話題はこれ!ついに届きました。
山川さんの「幕末武士道、若きサムライ達」と「希望のマッキントッシュ」。
もちろん昨日から読みっぱなしです・・・なんでこんなに読みやすいのだろう!それくらい引き込まれる魅力のある文章です。

後書きから読む癖のある私は、「幕末・・」の執筆に関わった沢山の人々に感謝されている山川さんから、息子さん剛人君へ感謝の言葉を述べている健全な父親像の山川さんからも謎を解く鍵をみました。とにかく情熱が凝縮されているのです。この2冊、面白く無いはずが無い。
あんでる泉さんの赤も好きです・・・2冊揃えて良かった〜。パリ組も今暫く待つように。

2004/10/11 月曜日

兵馬傭にみる「無名」

Filed under: 感想 — patra @ 5:18:11

きのう、また「英雄 HERO」を見て再度、感激する。※ネタバレ注意!
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2004/10/10 日曜日

ごはん中

Filed under: 日々雑感 — patra @ 2:43:00

あんまりデタラメな時間帯を生きているものだから、私へ電話する人はとても困るらしい。
携帯を持っていないし(壁のせいか一部の機種しか通じない)壁際の電話機までちょいと時間がかかるからすぐに出られない。そんなこんなで終にさっぱり電話が来ない、みなメールで事が足りるしね・・・と思いながら、夜のごはん、ひとりでゆっくり食べましょう、と牡蠣の味噌汁(大好物、葱のみじん切りにあれば柚子入り七味)ほわ〜んと湯気が立つころあいのお椀、牛筋肉の味噌煮込みを盛って、小さい缶ビール!キュウリの糠づけで、とにんまりテーブルに着いた途端に電話が鳴った。ギクッ。
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2004/10/9 土曜日

諦観する人生とは

Filed under: エッセイ — patra @ 2:22:37

わたしの両親はお見合いである。母方の伯父、宗教家の友松園諦の所へ出入りしていた読売新聞の記者が非常に面倒見のよい殿方で、年頃の姉妹が4人もひしめく正本家の様子を其れとなく見ていたのだろう、長女である母が淑徳女学園を卒業するのを待つとすぐ、これも懇意にしていた名医、武見太郎先生の元へ相談に行ってくださった。
母親同志が同郷というだけの縁だが、伯父友松の仏経講演に熱心に通っていた浅草小島町に住む袋物問屋の次男、父を紹介してくださり伊豆でお見合いをしたのだ。なぜ伊豆か?というと父は前年(昭和13年)東京帝国大学建築科を卒業したのはいいが、当時の日本はものすごい不況の就職難。官僚には成りたくない父は就職口が見つからないまま、酒ばかり飲んで遊び暮らしているうち肺に影が出て、武見太郎先生の勧めに従い伊豆で初期療養していたからだ。
嫁とりの条件は「身体が弱い事を承知で、看護婦のつもりで来てくれる人」が必須だったらしい。ずうずうしい条件だ。
一方母は器量が悪い自分が売れ残ると後につづく綺麗な妹たちに迷惑がかかるから、適当な所でサッサとお嫁に行こう!と秘かに決心していたようで見合いは即決した。
母を選んだポイントを、大人になってから父に尋ねたところ、前を歩く母の首が細かったのが良かった・・・だそうである。母は尊敬する伯父や先生方の推薦だからと見合い写真を見ただけで嫁ぐつもりで、断られるかもしれないことは考えなかったそうだ。目出たしな話である。

以下このお話は長いので
エッセイのページに移動しておきます。

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