パパ・タラフマラの事をご紹介していたらあの頃、(20年前)アルバイトに来てくれていた男の子は車の運転ができることを条件に日大芸術学部の学生さんが多かったことを改めて思い出した。その中で名前も思い出せないけれど色々な学生さんが居た。家具を借り出すためにショップで待ち合わせた初対面の学生はシャイで店内に1っ歩も入らず店員にも声もかけずに外に硬直し突っ立っていたため、お陰で私は半時間も店内の奥で待ちぼうけ・・・そんな社会生活の基本ができていない不器用な子が結構多かった。
そんな中、監督志望らしく、思ったことをハッキリ言う太めの青年が居た。えらく私の事務所を気にいってくれて
「ここ探偵事務所にしたらいいすよ、」と真顔で言う・・「え?」と訝るとどうも松田優作やショーケンのTVドラマ「傷だらけの天使」かなんかをイメージしたらしく部屋のそちこちを見回しながら悦に入っている。
「俺とナカジマと松島で探偵やりますから、パトラさん,その辺で気取っててください」
当時働いてもらっていたアシスト君の友人がほとんどだったので名前を聞いただけで笑っちゃうほど何だかそんなイメージが目の前に広がった。
もちろん冗談だろうが本気にされたら困るのでその日限りで止めてもらいましたけど。私の最大の欠点は真面目過ぎ(笑)
その時名前の出た松島誠君は飛び抜けて勘が良く真剣な眼差しの青年だったので荷物運搬だけで無く撮影にも同行してもらった事があるのだが、私からの一切の指示がなくとも撮影用の花をセットに上がって器用に活けていた姿を思い出す。そんな自発的なアルバイターは一人も居なかったのでカメラマンも「良いね」と私を振り返った。
松島君はその当時からパパ.タラフマラの舞台をやっていたので何度か観にいくと作るオブジェが実に感性豊かで素晴らしいものだった。錆びた歯車やチェーンなどに電球等の仕掛けが海の底の生物の様に動いていた。早速、友人の美術デザイナーに報告すると「才能のある奴は放っておいても大丈夫、俺達が心配しなくちゃいけない奴は自分の生き方が解らないやつらだよ・・・」とアッサリと言われ確かにそのとうりだった。今や海外でもパフォーマーとして立派に活躍しているのだから栴檀は双葉より芳しい、まさにそんな青年だった。
その映画監督志望の青年がその時「松島の部屋、みたことありますか?」と唐突に聞いてきた。そんなのあるわけないでしょ、どこに住んでるかもしらないのに!と怒って答えると「凄いですよ、オートバイだらけで絶対見る価値あり」と残念そうに答えた。
映像の世界に興味を持つ人間は常に頭の中でファインダーを覗く習性がつくのだろうか、私の事務所は探偵事務所にリストされ友だちの松島君の部屋は一体何に使いたかったのか・・・
しかし誰の真似でもない独自の生き方、暮らし方、話し方が出来る若者ってクリエイターとして生きる必須条件だとおもう。もう今頃映画を撮ってる監督になってるかもしれないが、皆40代半ば・・きっと未だに走り続けているんだろうな。