2008/7/24 木曜日

父性・・・

Filed under: 家族,日々雑感 — Patra ICHIDA @ 15:30:51

夕べの記述に.関東大震災の時、母達親子が逃げた先は清澄庭園の池、と書いたがこれは母の父親が辿りついた先、母は母親や婆やと共に,清澄庭園に辿り付く前に父親にはぐれ、逃げ惑う群衆に押され州崎の海まで歩いて来たそうです。火の粉に追われそして海に入り,母親の手から離れ波に沈みそうになった時、見ず知らずの学生さんが担いでいた柳行李を投げ捨てて母を拾い上げて肩に担いでくれたそうです。物より子の命を選んでくれた学生さん、母、5才の頃、実にありがたいことですね。

沢山の愛に包まれて生きてこられた母、もう一つ好きなエピソードを話してくれました。 清澄庭園に逃げた父親はもちろん無事で、運良く再会でき、その後何かと母をそれは可愛がったそうです。小学校に上がった頃、小さい赤ん坊の居る自分の妻を患わせないためか、毎朝.私の母の髪をお下げに結うのは父親の役目だったそうです。するとお下げは下に下がらず横に向かって編まれてしまう。そのピンと跳ねたお下げ,黙って結い直してくれるのが担任の女先生だったそうです。

長女というのは男親にとって格別な想いがあるのでしょう。私の父も姉には滅法、甘かった。

年頃になった母の色黒を心配した父親(私からは祖父)は母が出かけるときは必ず玄関から大きい声で「傘、傘をさしていきなさい」と叫んだそうです。清澄庭園に逃げる時,娘の手を離してしまった恐怖を忘れなかった男親の心なのでしょう。お寺のお坊さんだった姿しか知らない私、そのお爺ちゃんが不器用な手つきでピンと横にハネてしまうお下げを結っている様子,今でも見えるようで父性が愛しいです。

結婚後,母が電熱器の不始末から出した火事について、祖父が夫殿へ出した詫び状にも胸迫る愛情を感じます。私の父が掃除洗濯料理がまるでダメな母を離縁しなかった背景には祖父の真剣な父性に畏敬を感じてのことだったのでしょうか、母に言ったら「ダメな子ほどかわいい」とケロっと答えてましたよ。


土用の丑の日前

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — Patra ICHIDA @ 2:07:42

「明日はきっと鰻屋さんが混むとおもうのよ、だから鰻、今日、とってくれない?」夕方母にねだられました。この間のカロリ–計算表でうな重のタレ・・・(味醂が特に)随分と高いカロリーだったので私は白焼きにしました。本ワサビが付いてきてピリっと甘くお醤油で頂く味は絶品でした。「あぁ美味しい」を連発しながら、でも半分だけ残す母に年齢が忍び寄る気配を否めない。「朝のたのしみ・・」といいつつラップして冷蔵庫へ

この記事をアップしようと思った時に(夜中の00:26・48秒)家が揺れました。また地震です。何がおきるか解らない此の頃です。前倒しのうな重でしたが食べさせてあげてよかった・・・母の関東大震災の記憶はお昼のおかず・・・卵焼きかなにか大事に最後に食べようと残しておいた時に大揺れ、結局焼け出され食べられなかったので、その後の人生では大好きなものは一番初めに食べる事に決めたのだそうな、4才くらいだったのかな。焼け出され清澄庭園に逃げた母達家族、池の中で火の手を避けたそうです。握っていた父親の手が人に押されて,離れ、もうダメ!沈むと思った瞬間、肩に担いでいた柳行李を投げ捨てた絣袴姿の書生さんが母を肩車してくれ,助かったそうです。何度も聴かされた大震災の話を思い出した丑の日でした。岩手県沿岸北部の被災地の皆さんが無事でありますように。

土用の鰻白焼きを本ワサビで肝吸い,胡瓜揉み,枝豆


2008/7/23 水曜日

研修という名目で社会復帰?

Filed under: 日々雑感,時代, — Patra ICHIDA @ 19:45:51

薔薇と八重トルコ桔梗二つの花かご姫リンゴ感動した2時間弱、お昼からケアマネジャーさんの肝いりで,訪問看護師7人の皆さんが暑い中、飲料水を持参で我が家にお集りくださいました。今日で退院から丸1年と1日,記念すべき私のイベントを「研修ということで若い看護師さん達に,障害のプロとしての市田さんの意見を色々と話してください」との事でした。私が自らのハンディキャップにも拘らず無事1年を過ごすことが出来たのは福祉士の堀越さんのご紹介でミオパチーという病気に向かい合ってくださるケア,マネジャーさん.工藤さんと看護師の會本さんと出会えたからに他なりません。お礼に何かしたくても何時も頑に固辞されてしまう清廉の方々、ならば障害の目線から何か拾えるヒントでもお話できるならば・・・と実行しました。あちこち飛ぶ私の話、どれだけお役に立てたかは存じませんが,少なからず視野の狭く成った私への皆さんの思い遣りでしょうか?笑いながら熱心に聴いてくださって有り難かったです。

訪問介護のフィールドは全く新しい分野、来てくださった皆さん、それは熱心で,調子に乗ってお話している間、ア、、と思った事は,私の日常生活のマンネリを少しでも打破すべく、あるいは勇気づける意味で企画してくださった.本当は介護に携わる皆様の私への心からの思い遣りなのではなかろうか!?と言う事でした。嬉しかった。「講演料です」と私と母に見事な薔薇のアレンジを置いていってくださった。私の方こそ1年のお礼を伝えたかったのに・・・まるで反対ではありませんか。私の復帰に向けての粒さを見つつ励ましてくださったケアマネジャーさん達の奥深い人間観察に改めて舌を巻き.敬意を表さづにはおられません。

脱線だらけの私事のような話を「講話」に高めるための努力、しっかりしてゆきたいと憶いました。慈愛、という愛情があるとすれば私の担当の皆さんの心にこそ有り、勇気を与えてくださる方々でした。今後も介護する側される側の意識、一緒に高めていきたいとおもいました。母にまで可愛い姫リンゴの花駕篭、泣けました。

「わん。かわいい、このリンゴ,食べられるのかしらん?」と老母。

ヤダ,君って・・・もう。


キーマ・カレー

Filed under: ネコ,家族,料理 タグ: — Patra ICHIDA @ 0:00:00

さっそく占拠
さっそくチップに占拠されたベンチ・・・

レスラーの北斗さんが作っていたキーマカレーが簡単そうなので前日作った蕪と鶏手羽のスープのスープだけを利用して鶏ひき肉200gとニンニク,生姜で単純に煮てカレールウを入れ微塵に切ったホウレン草で仕上げ。ご飯は胡椒ライスこれ家の定番(冷やご飯を炒め塩、と味の素と黒胡椒で、)にかけて、母はカレーだとは思わずにでも喜んでました。キーマって挽肉ってことなんだけど・・・老人向きかも。残ったカレーに豆腐を混ぜアボガドやトマトを挟みタコスにするアイデアが素敵だった。

料理にマンネリが漂うので外部情報を・・・ホウレン草を入れるのも私好みでした。

キーマカレー北斗流キーマカレー


2008/7/22 火曜日

退院一年目に思う

Filed under: 家族,日々雑感,骨折日記 — Patra ICHIDA @ 3:15:56

去年の今日、私は介護タクシーを予約し、文字どうり一人で病院を退院してきました。前日に姉が自分の小さいミニクーパーに乗るだけの荷物、といっても二つくらいを持ち帰ってくれました。その他の荷物は病院内の郵便局からゆうパックで2回にわけて6個の袋詰めを自分で自宅にだしました。これはテストでもありました。たった一人で入院したらどれほど困る事があるか?を知りたかったのですが、ほとんど何も困らなかったのは発見でした。困ったのはむしろ自宅に帰ってドアを開けて介護タクシーのオジさんに押して頂き、車椅子から中を見た瞬間、久しくみなかった母がもの凄く想像以上に老けていたこと。家の中が半年でメチャクチャに汚れていた事、「歩けないなら退院してこないでよ!!」と心配するあまり叫ばれた時でした。母も相当に自分の体調を我慢していたのでしょう。開口一番がおかえりなさい、でもお疲れさまでもありませんでしたから、実にヤレヤレでした。

やっと上がりがまちに立ってピックアップ歩行器につかまり自分の椅子に座った瞬間から・・・手は無意識にその辺のゴチャゴチャした書類の束を片付け始めていましたもの。悲しかったのは2月に倒れた当時のままの冬のカーテン、冬のテーブルクロスが,埃っぽいまま暑苦しく垂れ下がり、「あんな部屋でどうやって市田さん、これから暮らすのかしら・・」病院でお会いし、その後御世話になるケアマネジャーさんの声が脳裏に浮かびました。病院から電動トイレの工事の手配のため下見に行って頂いた時の言葉でした。あぁ、これでは心配されるのも無理からぬ話だな・・・。姉が昨日,病院の帰りにでも寄って奇麗好きの私のためにお掃除でもしてくれている、と期待した私は甘かった。埃だらけ荷物だらけのテーブルにお花だけが可愛く咲いていたのはパリに居る息子たちからの退院祝い。

なにもかもバランスを崩してしまった秩序の欠落してしまった部屋は埃にまみれて、ヘルパーさんの手が届いていない結果を如実に物語っています。言われない事はしない・・・主義の彼女達を90の母には指導できないからです。猫はまとわりつくし、第一もの凄く猫のおしっこの匂いが立ち籠めていました。

姉がお昼ご飯を買ってきてくれて初めて彼女も大腸癌に冒されていると聞き,”掃除どころじゃないわよ、命がかかってるのよ!”と言われて絶句。今まで、時々でしたが無理して病院に来てくれていた!と知りました。テーブルの位置だけ直してもらって兎に角 無理しないように早めに引き取ってもらう。車で世田谷まで帰るには渋滞になってしまう時間帯を避けねばなりません。

それからの1年、くる日もくる日も整理、整頓、家の修理はブログに綴ったとうりです。相当に奇麗好き、と自分を自負していましたが木戸の納屋といい父の部屋,母の部屋は人様にお見せ出来ませんでした。私の意志が働かない部分は荒れ果てていました。人生は何時、何が起きるか解りません、がもうソロソロ死を見つめて生きてゆく覚悟が必要なのでしょう。心置き無く老後を迎えるには、我が母の無手勝流では最早到底,済まされない時代です。そう心がけ準備していた諸々を一気にこの骨折入院のお陰でクリアーできた最近です。特養しか入れないのに特養嫌う母、ならば家で看取るしかありません。その為には私こそが気持ち良く暮らす必要があるのです。

あともう一息の所でガス欠気味の私ですが最晩年準備は整いつつあります。ちょっと一休みして、筋肉の運動に取りかかり更なる明日へ向かいたいものです。

「お母さんの面倒なんか、君の身体では危険すぎるよ」と部長先生に言われましたが、運命があるとしたら、それを克服するのが私の生きる道・・・何とか平常心で日常をこなす事が出来ています。母のケアマネジャーさんが替わったお陰で全てが気持ち良くスムーズに動き始めたことを感謝しながら,熱心な人々に出会えて頼もしく有り難かった1年でした。


© 1999 - 2026 Patra Ichida, All Rights Reserved.