2009/9/1 火曜日

防災の日

Filed under: 日々雑感 タグ: , — patra @ 11:06:54

さとなおさんのここ今まで何回読んで来た事でしょう。守れている事が少ないけれど、阪神大震災級の地震がきたら終わりだと諦めています。
ベッドロームに大きい家具が無い。お水はペットボトルが何時も常備されてる。靴は室内でも履いている。家の両側の通路を整備した。天袋にはちり紙だけ・・・簡易トイレを各自の部屋に用意した!このくらいで力尽きてます。
家で心がけて用意してることは腹巻き状の地震バッグだったんだけど,重くて続かなかった。ハテ、どこにしまったかな?

そんなことより今日、クララかな?お部屋に粗相、カリントウ状だから紙で摘めて捨てたから良いけどこれって?クララの造反です。何か文句があるんだな?と見回したら・・・あらら空っぽ。お皿にカリカリが一粒も入ってなかった。猛然抗議のときにあらぬ所に粗相しますから注意してたのに。

地震になった時、猫ちゃんたちはそれこそ大変だな、と改めて思う。


秋ですね

Filed under: ネコ — patra @ 2:10:18

CIMG3038雨が止んだとおもったら、肌寒いよ〜
タオルケットだけじゃ寒い・・・

体重分散型のマットレスは調子が良いみたい,大の字になれるって…


2009/8/31 月曜日

肉じゃがの匂い

Filed under: 料理 — patra @ 20:46:41

CIMG3302CIMG3310CIMG3297薄味でも味を染込ませるために昨日の夜に仕込んでおいた肉じゃがに火を入れる.台所中によい匂いが充満する。しあわせな匂い。次いで、新牛蒡がシンクに放り出してあって気になっていたのを料理する。泥つきの細い部分、良く洗って薄くスライス、シリコンのパピオットに入れ酒、鰹だし,醤油に味醂少々と香りの胡麻油を2滴でレンジで4分蒸し煮にしてみる。もう油を極力使わないのでキンピラ牛蒡なんかは滅多に作らない。
茗荷の醤油漬け・・・酒と味醂と醤油と昆布だし。小女子のから煎りしたのに茹でオクラ等の夕餉です。「2階でお水を汲んでたら良い匂いが漂ってきたので楽しみだった」と母。この牛蒡に炒りごまを散らし・・・とても良い箸休めで母も大喜び。「噛める?」と聞くと「大丈夫、牛蒡の香りがすごく良いしパリっとしてて,牛蒡はこのくらい堅いほうが美味しいもの」とご機嫌です。父はこうはいかなかった。何でもとにかく柔らかに煮ないとだめでした。ヒジキも小1時間は煮させたものですが、今の母は未だ大丈夫です。


日本の未来

Filed under: 人物,時代 — patra @ 4:36:42

定番のお惣菜、ヒジキを作り,小女子のちりめんをせっせと炒め、明日用の肉じゃがなんかも作って,選挙結果を見る。
どのみち自民が惨敗するだろうとは思っていたが酷過ぎる。しかし「選挙に行こう」と呼びかけていたさとなおさんも言うように選挙を棄権した身で何かを言う権利はないのだ。私の住まう地区では選挙カーの騒音さえ全く聞こえてこなかった。民主党は理解できないので将来を思うと暗澹としてしまう。共産党は,もう時代錯誤な名前を代えるべきだし。文京区には入れるべき候補者さえ不毛だ。TVから蓮舫の声が聞こえてきたので暫く番組をボーっと見てしまう。彼女のデビユーしたクラリオン・ガールのキャンペーンを一緒に手伝ったのだが、あの19才の可愛い少女が今や参議院議員なのか・・・。CIMG3287CIMG3289彼女を政治の世界に踏み入れさせたものの兆しのような何かを思い出そうと思ってもわからない。連日、大変なんだろうな〜声が擦れてました。


2009/8/30 日曜日

2回目の顛末

Filed under: エッセイ,骨折日記 タグ: — patra @ 7:35:12

退院1年目に思う・・・というエッセイを、去年夏に載せたわずか1ヶ月後に又も転んだ私は相当の罰当たりかなんかですね。
靴は不具合だったので使ってませんでしたが、つたい歩き、杖が使えるようになってました。用心のためにピックアップ歩行器を併用していたのです。

その日は凄く蒸し暑く、家に来て下さるへルパーさんは体格が良く汗かきなのでクーラーだけでは足らないだろうと自分の寝室のデロンギ乾燥機を付けてから戻る所で、僅かな引き戸のレール(5ミリ)に弱い足首が乗った瞬間によろけたのです。訪問看護士さんの目の前でした。後で聞いても何故よろけて尻餅をついたぐらいで骨折したのか解らないくらい静かにズルっと床にお尻をついたそうですが、なんせ狭い通路なので足に全体重がかかってしまうと、筋肉の障害(ミオパチー)がある私は自分を支えられないのでしょう。とっさに掴んだ植木鉢ごと倒れました。

前からお直ししないといけない廊下、去年とほぼ同じ場所ですから本当はいの一番に直すべきでしょうが母の環境を直すのが、私には先決だったのです。

運良く看護師さんの目の前で転んだので、すぐに整形の先生が順天堂に連絡をしてくださいましたが、ここが大問題です。当初は受け入れ可能だったのか、レントゲンを沢山写し診察室で見ながら、既往障害の話しなどし診断する内に部屋が5万しか空いていないとの事、まさか整形で日に5万もかけて3ヶ月入院したら破産ですから困る!と言いますと「じゃここでは看れませんので元の手術した先生に頼みなさい」とニべも無い。
おぉ、世間で噂のたらい回しの根源は部屋代も有りか?

去年、退院する時に「2度と転ばないでね、もう来てはダメ!!」と言われたばかりの逓信病院に行くのは面目無いし恥ずかしい。果たして受け入れてくださるか不安な私に順天堂の先生が連絡をしてくださる。「すぐ来なさいと言ってますよ、救急車呼びます」
「来ちゃダメって言われてたんですけど・・」「そんな事言ってませんでしたよ」と苦笑する先生。
「再起出来るかしら?」しょんぼり呟くと側で着替えを手伝ってくれていた順天堂の看護師さんが「あなた、しっかりしてるから大丈夫!」と声をかけてくれたので、すぐその気になるゲンキンな私。

救急搬送された日は若い知らない担当医でしたが「良く来ちゃダメと言われた病院へ又来ましたね!」と笑いながら止めをさされるし冷や汗で平謝りしました。

去年と違う6階へ運ばれる。この6階の担架風呂を借りていたので其の方が便利と思ったのですが早とちりでした。あの優しい7階の看護師さん達と違いなんか?言動に刺が在る感じ・・・ついて来てくれたケアマネジャーさんや看護師さんは婦長さんまで勤めたベテランなので首をかしげて、でも黙ってましたがどうも救急で運ばれる人間には邪険な対応の様な気がしますが受け入れて頂けただけでも感謝しないとですね。

入院した日は1晩中、雷が轟くように鳴っていました。真っ黒な窓に光る稲妻をみながら、いくら脳天気な私でもへこみました。万事窮すなり。
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