2009/6/27 土曜日

甘い誘惑、アップルパイ

Filed under: 日々雑感 — patra @ 18:14:03

cimg18191お八つに母はブルーベリータルト。私は折り込み式パイ生地のアップルパイ。バターの香りとフジのリンゴが懐かしい昔ながらのお菓子。私としてはシナモンが入ってないのが微妙にもの足りませんでしたが・・・近江屋の今の季節だけのアプリコットパイを,明日の為に買いにいってもらったついでに1個だけお味見でした。





知識と智恵

Filed under: 日々雑感 — patra @ 0:56:01

此の頃口癖になっている言葉を使うと人は大概あきれ顔で「自分で言ってどうなのよ!」と笑う。その口癖は「私って頭が良いから・・・困っちゃう」です。そんな事を自ら言うのは相当にうぬぼれているか、図々しい人と見られるのですが、ここで私が言う頭が良いから!の意味は勉強の出来る知識での頭の良さではないのですよ。知識は理解力、記憶力、判断力、推理力など訓練しだいで誰でも上達することができます。知識の学問について安岡先生はこう教えてくださっています。↓

【知恵の学問】

知識の学問と知恵の学問では非常に違うのであって、
知識の学問は、われわれの理解力・記憶力・判断力・推理力など、
つまり悟性(ごせい)の働きによって誰にもひと通りできるものだ。
子供でもできる、大人でもできる、善人もできる、悪人もできる。

程度の差こそあれ、誰でもできる。
その意味では、機械的な能力である。

しかしそういうものではなく、
もっと経験を積み、思索反省を重ねて、
われわれの性命や、人間としての体験の中からにじみ出てくる
もっと直観的な人格的な学問を知恵の学問と言う。抜粋。」

私が口癖で、ついつい口走ってしまう「頭が良いから!」の良い意味はこの創意工夫の智恵の事。ついおふざけで言うようになったら怪訝な顔をされたり鼻で笑われてしまうから「あれ?」とヨクヨク考えたら一般論の頭良いは勉強の知識の事で私の使う意味は,智恵・・・糸口を見つけたり,困難を打破したり、創痍工夫の閃きの事だった。勉強の知識とは全然ちがう様々な困難や苦悩から発想する活学の事です。

知識がある!と言いたいならば私は多分こう言ってるはずです。「私、勉強できるから・・・」

勉強はしなかったので
「きっと智恵はあると思うのです」・・・と謙虚に言い換える事にしました。(笑)考えてみたらどちらも人の感じる所であって,冗談といえ自分でj公言することでは無い。智恵はあっても知性的にはほど遠い,というお粗末でした。





2009/6/26 金曜日

マイケルのBillie Jean

Filed under: 人物,感想,時代 — patra @ 23:28:40


ムーン・ウオークを最初にステージで見せたマイケルの作詞作曲になるビリー・ジーン。初々しくて何度みても泣きそうになる。この歌で彼を大好きになったのだが、この動画は歌詞が表示されるので、やっとこの歌の全文がわかりました。1983年、マイケルが25才・・・この頃はMTVで黒人の映像を頻繁に放映すべきでは無い・・・といった議論があったそうで,驚きですが26年経った今はオバマさんが大統領。このステージが放送された時、エリザベス・テーラーやキャサリン・ヘップバーン、ソフィア・ローレンがマイケルの才能を絶賛している映像もありました。

少年のような眼差しを持つ稀有な才能を認めたのもアメリカ。スキャンダラスなゴシップで,追いつめたのもアメリカ。この歌を聴いてるとふしぎに胸が詰まってきます。次の年1984年はCM撮影で火傷を負っています。悲劇の序曲・・・この移植手術あたりから体調に異変?があったのか色が異常に白くなったきっかけも↑このMTVの差別などが深い蔭を落としているような気がしました。ビリー・ジーンの頃のマイケルは圧倒的に可愛いのに・・・大女優さん達が褒めちぎっても、愛する人じゃなければマイケルにとって十分じゃなかったのか,変化して行ってしまう形相が哀れでなりません。





幸せだったのかな〜

Filed under: 人物,時代 — patra @ 16:55:13

いちばん美しい頃のマイケル・ジャクソン が見られます。昨日に引きつづき哀しい死。この20年くらいマイケルは一体どうしちゃったのだろう、とどんどん白くなる分心配でした。彼の生涯はしあわせだったのかな〜

もう一人ファラ−・フォーセットメジャーズさんが亡くなった。傍らにライアン・オニール。きっと幸せだったと思う。
今日は歯医者の先生と彼女達の話になって「チャーリーズエンジェルズのあのファラフォーセット・メジャーズさんが62才だったのも驚いたけど、ペーパームーンのライアン・オニールが68才ですよ、驚いちゃう」と話してらした。
驚くなって誰でもいつか歳は取ります、だって私が67才、もう自分で呆れていますから。

自分の肉体年令を忘れ果て精神年令で自分を未だ若いと錯覚して生きている人、(これ母と私もなんですが)を性同一性障害のように同一性年令障害と呼ぼう・・・と萩原朔美さんが書いてらしたが・・・気がついていないだけで確実に肉体年令は年相応、あるいはそれ以上なんだとおもう。

マイケルにしてもファラ・フォーセット・メジャーズさんにしても我々ファンに素晴らしいエンターテイメントをいっぱい見せてくれた人。神により愛されて、こんなに早く召されたのだと思う。エーメン。

ps.↑踊っているマイケルの映像に流れているのは,ご存知、シアラとジャスティン・ティンバーレイクとのデュエット「ラブ・セクシ−・マジック」です。もう次世代のスターが誕生しているのがちょっと皮肉で時代を現しているな〜と思ったのでした。





消しゴムと鉛筆だけ?

Filed under: 仕事,日々雑感 — patra @ 0:31:59

あぁ、儚いな〜
いのちって・・・

伊丹十三記念館 の通販で買った猫Tシャツを着て書いています。選んだのは睨み猫。母が一目みて「うわ、こわい顔の猫!!」と言ってましたがネ、私は大昔から伊丹さんの本で色々学んだ人。死に方についても友人のスタイリストと話した記憶がある。彼女は現場の近くに住んでいたので「あれは、自殺じゃない」なんて・・・言ってましたっけ。その伊丹さんの事はあらためて書くとして、さとなおさん も書いていらっしゃるコピ−ライター真木準さんの訃報に、ぼんやりしちゃいました。早いけど安心も。かねがね私もさとなおさんと同じに、鉛筆と消しゴムがあれば成り立つ職業のコピーライターを,世界で一番楽な仕事と羨ましく思ってましたから・・・
糸井さんなんか1行1千万と言われてましたからね。必要経費が最も少ない仕事だなんて,失礼にも羨ましがってました。
でもコピーを生み出す力、ってそんなに簡単じゃないのかも?と思った瞬間に居合わせたことがあります。時代をキャッチするのは偶然の確率、たまたま若かったり興味の視線の延長上にぽっかり浮かぶ言葉が受けるだけじゃない?なんて思っていた。でも昔、大御所の土屋耕一さんがデパートの新聞広告のコピーを何回も書き直させられていたのです。時代の変わり目の時でした。若くないと思いつかないコピーもあるのです。注文されていたテーマは若い夫婦を現す言葉でした。「同級生感覚・・みたいな事ですかね?」とスタイリストごときの私が呟くと、土屋さんの目がギラっと輝きました。

広告の世界は若ければ若い程勢いがある、長くは続かない職業かもしれない、と漠然とその時、思ったものです。
だから、真木さんの職業としての訃報年令はちょと早かったけど良かった、と思いたい。前線で闘う人は太く短くも似合います。





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