2010/1/22 金曜日

ひとり祝

Filed under: 家族,日々雑感 — patra @ 17:25:47

不興和音が著しいこのところの母と私。何を血迷ったか散々な言い掛かりを。曰くこの家が欲しいから親の面倒を看てるだけだ、と姉が言ってたとか。実に生臭い話に日々辟易しています。みかねたヘルパーさんが私の肩を持とうものなら1日籠城で部屋に籠ります。

今日は彼女の誕生日なのに息子達は友人達が来てるし、私は仕事。もういいかげんに甘やかすのも飽きたので、昨日のうちにフミちゃんの買ってくれたクッキー、私が友人から頂いたお大事ケーキを一切れ、お裾分けでお茶を濁そうと思ったが、やっぱり老人が不憫。思いついて息子達にお願いし便乗で鰻を取ってもらう事に。「お部屋で一人反省しつつ自分の長寿を祝いなさいって」そうヘルパーさんに伝言すると「鰻?うれしい♪」
「ぜんぜん反省どころか、食欲のみですよ」とヘルパーさん。

このほぼ40年に渡る老人との暮らしは、昔、出来たばかりの大型スーパーへ助手君と一緒に行った時の事を思い出す。奇麗で明るい店内は未だ人もまばらだったが、着物姿の後ろ姿が妙に草臥れたおばさんが目につき「野暮ったい」と思った瞬間、その婦人が振り向いた。声も無かった。実に母だったからだ。家で看ているときは全く気にも止めていなかった母は確実に老いた不安げな忘れ去られた存在に見えたのだ。

多分、第1回目の股関節の術後すぐだったろうか。彼女は60代後半、今の私だ。
スーパーの目撃がショックで、其れ以来3階から頻繁に1階の父と母の日常を管理するようになったのだ。人ごみで親を見ると、自分の愛が、自分の親孝行がいかに行き届いていないかを猛烈に悟らされる。
我が家が特別であったのか?其れ以来,来る日も両親の住まう環境を奇麗にしお風呂を直し考えられるあらゆる整備をしつつ彼等を護ってきたつもりだった。
床屋へ行かせる時も服に気を配った。
そして学んだ事は身ぎれいな習慣を着けておかないと,老人の晩年は悲惨だ、と言うことです。放っては置けなかった為の、仕方ない選択の同居なのに・・・
『子の苦労、親知らず』もあるって事ですね。
彼女のストレスも解ります。もうじき環境が著しく変化するからですが、それでも一緒に住むのはこの先きも変わりません。奇麗好きな私に慣れなさい。と、言いたい。
「しつれいだけど、この家は、いちださんで回っているんだから、とんでもないですよっ」
お願い、それ本人に伝えてくれます?な数日でした。


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