2010/4/29 木曜日

2色丼

Filed under: 料理,日々雑感,時代 — patra @ 0:04:23

CIMG6829CIMG6828仕事のメールを開いたら,私の森瑶子さんへのオマージュ、エッセイを読んでくださった、と添えてありました。彼女は52才の若さで癌に命を奪われたのです。生きていたら70才です。改めて年月の流れるのが早いな!と思います。闘病してる姉も来年70です。
でも若く奇麗で、とても病人には見えなかったので油断してました。手強いな〜癌は。近藤先生の信奉者の母は去年5月胃がんを宣告されました。
胃の全摘と言われたのですがしませんでした。元気で未だ食事が出来ています。命に対する考えは夫々ですから本人の意見を尊重しましたが、90代は兎も角として若い人の癌は勢いが早いのでしょうが治療によって体力が落ちることがあるようです。
難しい選択です。
今日は2色弁当風どんぶり。ご飯はカヤクご飯です。こんな丼を喜ぶ母、でも一口残すようになっています。
見えない時計が針を進めているのでしょうか?
見張るだけしか出来ないですが、本日も無事・・・


2010/4/28 水曜日

鱈とホタテの甘酢あん

Filed under: 家族,料理,日々雑感 — patra @ 0:30:21

CIMG6820CIMG6816母が怒ると「食べない」という事で抵抗します。老人が何に怒るかは大概、自分の不甲斐なさ、健忘症に依って起こるトラブルによる逆切れです。昨日は外回りの清掃をお願いしているシルバーセンターさんへの支払いを「自分で病院の帰りに郵便局で払う」と言いつつ、バッグにしまい込み奇麗に忘れたらしい。区役所から催促の電話があったのが屈辱だったらしいのです。すぐ払いに行って!とヘルパーさんにお願いするのを私が止めたら、もうお冠。雨が降っているしお風呂の日は母の部屋のお掃除日なのですから・・・他色々なもめ事があった日。
小さい事も重なるとお互いが不機嫌に成りますね。私は雨の日はお使いの人にも気を使ってしまいます。不味い鰻を取ってしまったのも不機嫌な理由でしょうか?
昨日は夜は食べなかった母、胃の手術をしていたらどうだったでしょうか?77才で胃の全摘をした宍戸游子さん(錠さん夫人)が亡くなった。
去年の今頃、母は胃の検査と告知を受けたのです。日々のストレスも多いには違いないが、こうして食べられるだけでも我々の選択は正しかったと信じたい。92で胃の全摘はありえない。
そこで晩は鱈とホタテ、昨日使う筈だった食材を一度に始末する意味で中華です。
一口大にきった生鱈は軽く塩胡椒、片栗粉をまぶします。ほんとは油でカラリと揚げてから野菜と一緒に炒めると本格的だけどレンジで2分、椎茸,タマネギ、インゲン、を炒め火が入ったらホタテも入れ軽く炒めて鱈を加えます。カップにお酢大さじ1味醂1日本酒2醤油1・5お水2片栗粉1を混ぜあわせたタレを初めに用意しておき、それを絡めてトロミが出たら出来上がり。
水菜を細かく切ってお皿に盛ってから・・・本当は香草が良いのですが。
甘酢あんが美味しくてご馳走でした。唐辛子を入れればもっと味がしまって本格的。
ムスっとした母の不機嫌は、やっぱりストレスなのでしょうか?引っ越しの話になるとアカラサマに嫌な顔をするこの頃です。元気を出させようとしても一度ヘソを曲げると引っ込みが着かないのか、強情なのが彼女の癖です。お皿を突つき回して残す、という無礼をしますが昨日は全部、しずかに食べました。母には半分の量です。
甘酢あんが絶品、でも野菜は炒め過ぎですが老人相手だからしかたないか(笑)
細かく切らないの?と言われそうですが自分で器用に切ってます。
夜が不用心なので朝までおきてますが、PCで申告する練習がまったく頭に入らないのです。
参っちゃう。


2010/4/27 火曜日

緑いろが消えた食事

Filed under: 料理,日々雑感 — patra @ 3:05:26

CIMG6808CIMG6812固い鰻のご飯のせいで食欲を無くした母。なので飲む栄養剤と味噌汁だけ飲んで寝てしまい、私だけ残り物。なので見事に緑の野菜が無い食事でした。大根の味噌汁に野菜の混ぜご飯。鶏牛蒡にポテトサラダと牛蒡のさつま揚げなのにです。小女子の乾煎りと炒り肉味噌をつくっただけでした。
考える事があり目下資料あつめに時間をとられています。
毎日寝不足.時間が足らないのはなぜでしょう。ボーっと考えてるだけの時間がとても多い。これも有る種の老化現象だな・・・


2010/4/26 月曜日

江戸前は何処?

Filed under: 日々雑感 — patra @ 2:44:43

CIMG6802いつも寿司を取るとがっかりするのだが、今夜は神田からの出前なので期待したが、裏切られたような気持ち。お好みで取ってもこの何じゃ?という代物には食欲も失せ,母が取った鰻もご飯が酷く,二人で溜息をついた。合の宿?このへんは本当に食べ物やが育たない。おまけにお酒を止めたので日本酒が切れていた。
でも喉に通らないので白ワインを開けて・・・ワインも泣いた。
だいたい寿司と鰻が同一に出前出来る店自体、怪しすぎるのだった。


2010/4/25 日曜日

ジャガ芋の芽

Filed under: エッセイ,料理 — patra @ 2:14:23

CIMG6800IMG_0159冬を越して春まで置いておくと芽がでてしまうジャガ芋を見ると切なく成る。
昔、はるか昔、私の回りには何故だか詩人が多く、皆一癖も二癖もある変人だった。何故私のような凡そ詩とは縁が無い人間のまわりに集まったのか謎だ。やっぱり面白みが無いと解ってか、今や詩人は一人も側に居ない。要するに我が家で飲み食いしながら時間をつぶすのに地の利が良かったのだと思う。
ユニフランスの映画を京橋で見た後、良く集まっていた。
フランス語が堪能でボードレールなんか暗誦するので目眩しながら端っこにくっついていました。一人、凄く奇麗な女性が居てどうみても私と同じテーンにみえる人が本当は30才で、どうりで諳んじる詩も桁違いに度胸が座っていた。
彼女が「ジャガ芋の芽」という自作の詩を披露した時、考えたこともない暗い淵を覗き込んだようで吃驚したものだった。子と母親の関係を詠った物だった。
女親は結局子を産み落とすことで我が身を萎びさせて行くジャガ芋のような物。親の養分を吸い尽くしニョキニョキ育つ芽は子供。ジャガ芋の芽は残酷。そんな詩だった。

春にすっかり芽がでて萎びる前のジャガ芋を見るたびに、その若く見えた詩人を思い出す。風のたよりにドイツ人の写真家との間に本物の子を産んだそうだが・・・もう孫もいてすっかり萎びたことだろう。

捨てるに忍びず、丁寧に芽を取り粉ふき芋やスープにすると、この萎びたジャガ芋はもの凄く甘く美味しいことに気がついた。
萎びた母さんがやさしいように萎びたジャガ芋もやさしい味だ。あの詩を聞いて以来ジャガ芋にワザワザ芽を出させます。
犠牲的精神の、このキラキラな澱粉質に変化する種芋のおいしさは尊いね〜と思いながら毒素のある芽を抉りしみじみと味わうのです。


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