青年の精神
おとなを恥じさせるような純真さ、
若々しい情熱と気魄(きはく)、
不羈奔放(ふきほんぽう)な理想と
寝食も忘れる勉強ぶりと偉大な人物に私淑し、
万巻の書を読み、
師友を求め、名山大川に遊び、
酔生夢死(すいせいむし)にあきたらず、
何か感激に死のうとするような
やむにやまれぬ魂こそ
青年の尊い精神である。
『安岡正篤一日一言』より(致知出版社刊)
おとなを恥じさせるような純真さ、
若々しい情熱と気魄(きはく)、
不羈奔放(ふきほんぽう)な理想と
寝食も忘れる勉強ぶりと偉大な人物に私淑し、
万巻の書を読み、
師友を求め、名山大川に遊び、
酔生夢死(すいせいむし)にあきたらず、
何か感激に死のうとするような
やむにやまれぬ魂こそ
青年の尊い精神である。
『安岡正篤一日一言』より(致知出版社刊)
お誕生日でもないのに毎日切り花が・・・とFBのお友達のコメントだった。
そう,思い出すと働き盛りは部屋に居ない事が多いのですぐ枯らして駄目にしてしまい、切り花は買わなかった。
鉢植えや観葉植物が精々で、懐も寂しかった。本当に貧乏だった。
一人暮らしの今、やっと少し自分を甘えさせています。
けれど愈々厳しい時代です。老後に向けて更なる覚悟がいるとおもう日本,合算でどれだけ物価や税があがるか計算したら・・・危ない。溜息です。
何が正しい生き方か、老後を模索中・・・万一病気が長引くと日本の現状で老人病院が無いに等しい
高木敏光君が訳した・・・いや高木さんと呼ぼう・・・から贈呈された森鴎外の現代語訳「舞姫」と「うたかたの記」「文づかい」を読んだ。現代語であるという事と、たぶんリズムを重視したであろう現代語訳でスルスルと読める。
が頭を擡げる疑問は「え、こんな簡単なお話だったっけ?」だった。
読む前に「舞姫」は面白く無いです・・・と高木さんが言切っていた。
もちろん時代背景自体が閉鎖的で面白い恋愛等を知り得ないのであるから、行間に並ぶ注意深く行き届いた語彙選びで十分に完結しているのが原作だ。
「面白く無くて良いのであるよ」と私は冗談まじりに答えて置いた。
でも十分に面白かった。
遥か昔、文化学院英語科の読書の授業で読んだだけ・・・記憶も薄れてはいるが。「舞姫」はドイツを舞台にしたあまりにも有名な小説である。明治時代の特権階級に属す青年の異国での経験、苦悩と後悔が書き出されている悲恋物語だが、後に鴎外を訪ねて来た「舞姫」の実話エピソードのやるせない理不尽な時代背景の方が夙に有名で印象的だった。原作の醸す時代感が兎に角好きであった。
スラスラ読めるという事は其の時代の温度まで稀釈されているので、あっけない印象ではある。
もう一つ「少し自由に高木イズム流に訳を試みた!という「うたかたの記」を読んだ。
初めの数行で「え!!」と思った。
「うたかたの記」を鴎外の原文で読んだ記憶が無かったが、実は読んでいたのが解ったのである。
少女時代から一つの確固とした夢があり、それは17歳の時には完全に設計図となって私の頭の中で膨らんでいた妄想計画のネーミングがこの本から出ていたのだ!と発見したのだ。
常に自立を脅迫観念のように強いられていた私の幼い頭で考え出した夢の仕事は芸術家のたまり場のような店、其の名も「ミネルバの館」という店を持つ事だった。
「うたかたの記」の冒頭に若き画学生が集う「カフェ・ミネルバ」として同じ名前が出てきたのだから驚いた。そうか!ここからだ。
芸術の女神「ミネルバの館」というネーミングをどうして17歳で思い付いていたのかを、サッパリと失念していたのに(笑)。
もちろん其の夢は果たさなかったのだが、「ミネルバの館」計画の為にお茶の水のニコライ堂側のビルの地下まで下見し予算までたて、余りの高額に父へ借金を言い出せずに中途挫折したのだった。
そして鴎外はこの小説に当時スキャンダラスなイメージで世相を賑わせたバヴァリア王,ルードヴィッヒの水死のエピソードを上手に織り込んで小説に仕立てていた事も、この本で初めて理解出来たのだ。作り話とだけ思っていた小説が俄に狂王ルードヴィッヒと繋がり歴史小説として成立していたのに驚いたのだ。
後にビスコンティが映画にしなければ狂王ルードヴィッヒの名前は知らなかったのだが、母世代が詳しくルードヴィッヒを知っていることも不思議だった。王と従医の水死の謎は世界中にニュースとして流れたのだろう。
鴎外先生も中々やるではないか・・・空想と史実の撚り合わせがスケールの大きい物語にしていたのか。
感想を書こうにも高木敏光さんの仕事は躊躇いも無くリズミカルに物語って行くので突っ込み様が無い。
原文と比較しながらニュアンスを楽しむのが我々世代には存外、面白い読み方かもしれない。
参考までに鴎外の原文をリンクして置こうと思います。
読み比べて解る事は、何と言っても明治時代の圧倒的な空気感の重さ・・・私はこの難解な原作を15・6才で読んでいたことになる。
今の若い子達は果たして興味を持つのかは大いに疑問が残るが、版権の切れた鴎外作品を現代語に訳して若い人に読ませよう!という巧みな商魂には魂消ます。
しかしあの鴎外の青年時代、海外に出て同等に貴族と交わる社交性は、天晴で、そんな部分を今の中・高校生には是非、興味を持って読んで欲しい。女性の描き方も非常に現代的で当時としては斬新だったと思うが、これは現代語に訳した高木さんの手柄?かもしれない・・・。
「文づかい」のイーダ姫に至っては森茉莉さんと重なってしまう。
「現代語で読む名作シリーズ1理論社から・・・」
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今の日本が駄目になった理由の一つに「本物」を受け入れ提供する場を無くしてきたマスコミに相当な責任があるように思う。
優れた歌唱力と美を兼ね備えた歌手,晩年はその姿も歌も我々には届かなかった。残念としか言い様がない。
「本物」のアーティスト、「本物」の役者「本物」の物書きが不遇だという現実は実に情けない恥ずべきことなのだ。日本に文化も芸術も育たない・・・ひたすら不毛へと突き進む似非文化に勝手にしやがれと言いたい。
もう昔過ぎて何のCMでご一緒したのか記憶が曖昧だが確か車の仕事で尾崎さんとご一緒した。打ち上げで歌を歌っていただいた。若かったその頃より90年代の尾崎さんは熟成し芳香を放つブランデーの様に美しい。日本人はこんなにも見事な歌声を失ってしまったのだ。ご冥福を祈ります。
彼,高木敏光君は息子夫婦の友人だ。小説家になるのが夢、そんな高木君から予て執筆していた森鴎外の「舞姫」の現代語訳が出たので届けたい、と連絡があったので、奥さんも同伴でなら・・・とお誘いする。漫画家の奥さんはクール美人、少し高木君より背が高い。
すごく可愛い優秀なお嬢さんが二人も居るとは思えない少年心が残る高木君と奥さん,前途を祝し応援宴会でした。娘に嫌われないようにね、オヤジは大変なんだぞ!あらゆる意味で・・・とエールを送った。
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