2013/6/20 木曜日

蛤のスープとペンネ

Filed under: 料理 — patra @ 11:14:54

DSCN1590DSCN1583本格的では無いけれど蛤のスープでパスタ・・・おいしかったので書いておきます。
貝の型ちのパスタだったらピッタリでしたね。
良く洗って砂を吐かせた蛤を6個小鍋にいれて、玉葱の薄きリ、ローリエで煮立て、口があいたらワイン(無ければ日本酒)塩、セージ、胡椒で味を整え、足らないと思ったらチキンブイヨン(顆粒)を加えます。

別鍋にペンネは塩多めにいれたお湯で茹で、茹で上がりに小さじ1杯のフレッシュバターを落とすだけ。お皿にペンネを敷き、上から蛤スープ、イタリアンパセリを散らします。
この一皿は香草を散らしています。しっかりしたスープが美味しく、あっさりとした大人向けのペンネです。


白い芍薬

Filed under: 日々雑感,未分類 タグ: — patra @ 1:32:04

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DSCN1605思い切りまだ笑えません。来週の皮膚科の往診で、いま薬でおさえているアレルゲンが何か?を果たして調べられるかが問題です。

薬が原因だとしたら?今まで飲んでいた全ての薬、カルシュウム剤からDHAやヒアルロン酸まで止めています。しかし同じカユミを読み物にまで高める、十文字先生の「茶毒蛾」読んでるだけで痒くなりそうw

明日は木曜日なので私とクララさんはのんびり寝坊します。幸せな一時です。


2013/6/19 水曜日

蒸し暑い日の冷やし中華

Filed under: 料理 — patra @ 0:05:29

DSCN1575極楽ですね。蒸し鶏で簡単に造れるのでとっても便利・・・でもFB友達に教わった桜えびと香菜のエスニック冷やし麺が最高だった。アレルギーのチェックに海老も蟹も出なかったので今度また造ります。
此の夏は冷やし中華の出番が多くなりそうな予感がします。


2013/6/18 火曜日

ヘルパーさんより大忙し

Filed under: 日々雑感 — patra @ 17:45:04

DSCN1574毎朝8時に起きて支度してからドアのチャイムが鳴るまで休み無く身体を動かしている私、滑り落ちそうで具合の悪いロホクッションを止めて直接に車椅子に座っている事が半年以上、ついにお約束の腰痛がやってまいりました。スライド式に身体移動するためにもっと固いカポックのクッションで座面の高さ調節をしようと、昨日看護師さんが買ってって来てくれたレンガや30センチ四方のカポック・・・またもっと腰を痛めるかな?

椅子と風呂場のベンチの高さが合っていない失態は、私がまさかクッションが危険、とは夢にも思わなかったせいで座面+クッションの高さを風呂場のベンチの高さにしてゼネコンに注文してしまったせいです。

スライドして乗り移るのにベンチの方が高くなってしまった。
朝、どうしても出来ないベッドメイキングとお風呂場、お客様トイレはヘルパーさんがしてくれます。
その間に買い物リストをかき出して渡します。
戻って来る間に、朝出来なかったときは猫に注射、リビングの掃除はクイックル、床拭きは棒雑巾、勉強部屋の拭き掃除等、出来る事をします。朝一番でした洗濯物を取り出し畳で仕舞うまで私がします。
薬屋さん、郵便局の時間もヒネリダスのが難しい総計1時間30分内で効率良くお買い物して頂くにはメモに細かく書き出しておくことが重要です。
買い物が一番大事なので、出来る他の事は時間がかかっても全部自分でやります。

お花の水かえもお願いするのでヘルパーさんも私も大忙しです。

戻って来たヘルパーさんが記帳している間に買い物を冷蔵庫にしまい、パッケージをゴミ袋に分別しコンビニ袋をキチンと畳み、お花を生けて、ゴミ出しの袋を缶や壜類と一緒にヘルパーさんに渡してから「ご苦労様」とドアの電源を入れてお終いです。

此処まで休む間なし、やっとお茶を入れて一息いれます。ついでにPCの電源も入れる。
もう時間がなくてTwitterはもちろん、エッセイも絵も描く閑がない。きっと要領が悪いのだな・・・と思いながら、益々痛く成った腰を「やばいな〜」と思いながら起きてる時間、ずっと車椅子ってのは過酷だな、って思い始めてます。FB離れ加速するかも。


2013/6/16 日曜日

父の日

Filed under: 家族 — patra @ 23:20:18

姉に期待をかけていた父は、戦後、まだわら半紙に印刷したような粗末な建築雑誌の本に姉の名前で図面を投稿しました。採用された図面には「わたしのお家」しげた のりこ・・・そう記載されていた。
東大も出ている自分の名前では恥ずかしかったのだろう・・・
その後大きく成長し姉は桑沢へのインテリア科に進学、遊んでばかりいて、尽く父の理想からは離れたお銚子者に育ち、期待どうりには行かなかったが、父は溺愛し、車を買い与え、無理して巴里にも遊学させた(1ドル360円の時代だ)。阪急デパートで巴里行きの衣装を誂え有頂天になっている姉は、何処から見ても大金持ちのお嬢様、それくらい趣味も良く、高価なものが似合っていた。
建築科同窓会にも姉を連れて行くほど内心、相当に自慢な娘だったと思う。

ところが姉は父の期待に応えるどころか、迷惑ばかりかけていたが、一向に恥じ入る事もなく、好き放題二度の結婚をし、遂には父の建築事務所を後足で砂をかけるようにして去り、廃業に追いやった。

見向きもしなかった妹の私に、流石に咎めるのか何も言いはしなかったが、明らかに父は失望しているようだった。
客観的に見ていた私は、自分が建築の勉強をしてなかった事を悔やんだが、姉が父の元を去ってからは、なんとか父の窮地を救わねば・・・と必死に家族の再生だけ願って、家に家賃を入れ少しでも安心させたかった。
其の時父は「お前だけだよ、お金を家に入れてくれたのは・・・」と眩しそうに呟いた。

姉だって親不孝だったわけではないのだろうが、余りにもチヤホヤされて育ってきたので、「地球は私の為に回っているのよ」と冗談にも言う人だったから仕方がない。父がそうしたわけだから・・・
もう姉も、父も母もいなくなった今、心配性で家族の顔色ばかり見ては我慢していた、15歳なのに晩年の老婆のように疲れた子供だった私だけが残った。
父が残してくれた知恵を遣い一人で暮らしている今、鏡に写る自分には、あの苦労が滲み出たような「晩年の子供」のような不安げな顔が消えていた。人生は何処かで辻褄が合うものだな・・・そんな事を思いながら、チヤホヤを全くしてくれなかった、遠い存在だった父に、「ありがとう〜」とシミジミお礼を言った日なのでした。


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