今度も良い文章、最後の締めが特に気に入ってしまった。
今も修学旅行気分の息子達なんですね、素敵なことです。
親子で感じる事も一緒でした。
常に他者への愛、そうして生きてきました。
いよいよ7月です。
今年は長い長い半年になってしまった。
蓮池にまだ蓮の葉も茂っていない頃だったのに、もうじき花が咲く頃です。
今回ほど忍耐を強いられた闘病はありません。
自宅療養を選択せざるおえない独居暮らしだったので、入院は先ず無理、完全看護のメニューで介護保険を利用しましたが、ネックはやっぱり費用でした。介護4になっても点数内では収まらず自費が相当にかかりました。
運の悪い事に家作のお直しが重なり、屋根に続きこの3年間で出費がうなぎ登りです。
借り手に有利な今は、汚したら出て行く不届きばかり、昔のように借り手が出来るだけ汚さないように拭き掃除を朝晩するような心掛けは皆無ですから、深〜〜いため息を付いています。
気持を落ち込ませないように極力元気に奮い立たせていましたが、来年も赤字です。
どうやら腰だけは治りかけています。
痛くない。
けれどゆっくり慣らして行きます。これだけ頑張ったのですからね。
嬉しかった事は息子からの毎晩の電話、この電話でお互いがより理解できたのが一番の収穫でした。
人参畑塾・高場乱という女性
30年もお名前を勘違いをしたまま資料を探そうとしていたお人、高場 乱というのが正しいお名前だった。
調べても出る訳が無い。高畑乱 と思い込んで必死に探していました。
医療用の朝鮮人参の畑の中にあったので人参畑塾と呼ばれていた私塾を知ったのは中村天風の自伝の一節だったと思う。或いは?
乱という名前、男とばかり思うのに実は女性であり、大勢の強者に師として仰がれていた人物に興味を持ったのは、自伝の一行足らずの記述に目が止まったからである。
西郷と私塾の若者が拘った西南戦争では、西郷は大敗を期し自害したのですが、その争いで囚われ獄中に繋がれた乱の私塾の弟子達に精をつけるべく牛のソップを差し入れたその塾の名称は、興志塾が正しく、通称人参畑塾、その塾長が女性、高場乱とあったからでした。
この時代に女性で儒学者とは?
ソップとは今で言うスープ?
俄然、猛烈に興味が湧いたのです。しかも20歳の頭山満が敬愛し塾生となった塾長、乱が女性とは?
調べようとしたのに名前を間違えて記憶していたのでは分かろうはずも無かったのですが、やっと長い療養中に人参畑塾で検索、名前の違いを知りました。
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萩原健一さんの眼
この写真はとても惹きつけられる。一番はじめのカメラの前に立ったショーケンの最初のワンショットだそうな。
これを写せたカメラマンは幸運だと思った。
その様子をGQの記事に書いてあるが、彼がこのようにカメラマンを観察しながら受け入れる鋭い感性に驚いた。
脚本家志望だったことが、なるほど、演技に深みを持たせていたんですね。