ごしょうかい。
私のココです。うしろは年金マッチョに出て来るショーンの写真の一部。ぶふふ。ココにゃんは美猫でしたよ、堂々として...。あんこが好きでした。
そんなことはどうでもよいけど若き日の森山大道さんのお話もここから読めます。
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私のココです。うしろは年金マッチョに出て来るショーンの写真の一部。ぶふふ。ココにゃんは美猫でしたよ、堂々として...。あんこが好きでした。
そんなことはどうでもよいけど若き日の森山大道さんのお話もここから読めます。
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愛する猫を亡くしてから元気が無い私は、ちょっと本気でめげていたんだと想う。
今までのように人と熱心に会話する、という事が億劫になっている。
去年の12月初め頃から父が退院するこの2月末までは気が張っていたのに、5月のココにゃんの1周期が過ぎても全然立ち直れていない自分を発見して更にメゲる。しかもここ数年で多くの友人を亡くしているから、一層の寂寞感がつのるのかもしれない。とくに高校の頃の頼りにしていた友人が亡くなって以来、約束だった残された奥様を電話で励まそうと受話器を取る度、ダイアルを回す前に涙が出てしまい、とても励ますどころでは無い。
猫ちゃんの死でも辛いのだ、まして御主人を亡くされているのなら、なまじな慰めなどかえって失礼だし、電話をするほうが泣いててどうする!と何時もクヨクヨと受話器を置いてしまう。あの励ましじょうずな私がこれだ...。
「夫の死後、まだ立ち直れずにおります。カナダへの散骨は無事にすませましたが・・・」ハガキの文字にもそう書いてある。暫くはそっとしておくほうが良いのだろうか。ぐずぐずしている内にとうとう半年も過ぎちゃった・・・。
そこへ昨日、大好きなネットフレンドからメールの絵が送られてきた。
私の昔のエッセイにあったココにゃんがピッタリと背中にはりついているベッドの上でマックに向かっているどうやら髪のまだ長かった頃の私だ!。お尻が台形になってます〜。
あぁ、こうした励まし方もあるんだな〜〜。
理由をつけて億劫になっている私だった。本来の私らしさ、まるで無くしているこの頃、そう気づかせてくれる絵だった。ありがとうみさちん。すごく嬉しかった。
今はちゃんと机に向かってココ椅子に座ってマックに向かっています。
髪は短いけど今風です(笑)両側にクララが椅子、チップがベッドにおさまっています。
繋がっていますねモニターのこちらと向こう。
やったね!イチロー
わぉ!彼の守護星の日、2日、星の威力も応援してくれたにちがいない。
嬉しくなってシャンパンを開けた。ヴ−ヴクリコ、小壜だけど、これは去年、吐血するまで寝酒用のウイスキーを自分で買いにゆく習慣のあった父が、なぜだか私に買ってきてくれたもの。勿体ない気がして飲めなかった代物を二人ともイチロ−ファンなので仲良く乾杯。「凄いね、イチロー、うまいねこれ」
去年の暮れに倒れた時は、ちょっと大変だ、と思ったけど、こうして親子でグラスを重ねる事が出来るなんて奇蹟みたいです。
3ヶ月も入院していたのに、惚けもせず自力で歩いて帰ってきたのには、びっくりして胸が詰まった。それ以来悪い癖の寝酒と煙草をすっぱり止めたのですが元気の秘訣は?と聞いたら「TV」と一言・・・。
部屋のベッドで熱心に朝から晩まで食事に降りる意外は観ています、特に野球がお好き。高校野球の甲子園へは補欠で選ばれなかったのが残念だ、と口癖です。
昨夜はまったく入れなかったので毎日更新にこだわって、ちょっと過激ネタの「笑い」についてのエピソードをUPしたら、「君って人は・・・!」とタイミングの悪さを早速息子から指摘されました。自由気侭じゃないと窒息しちゃうタイプなんですけど、一番恥ずかしいのは皆さんの中のイメージが膨らんで、何やら過大評価に???。歳だけ立派でも茶目子さんに過ぎませんので誤解のないように。
それにしても、読み難い文章を根気良く読んでくださった山川さん、誠に申し訳なくて、有り難い救世主のようなお方だ。私の気力の落ちているのを見事に察知なさいましたね。鋭い。
『新選組、敗れざる武士達』堪能しました。母と奪い合いながら読ませていただきました。永倉新八は大正4年に没し、わが老母は1月生まれなので大正6年になります。年表を照らし合わせてゆくと時代とは、意外にも手のとどくような近さで呼吸していることがわかり、心躍ります。
母方の祖父は会津若松の僧門出です。小学6年生の夏、祖父は私たち一族を引き連れて飯盛山の白虎隊討ち死にの跡地にお参りした事まで鮮烈に思い出せました。
徳川慶喜が政治的には勝利していた、と言う山川さんの解釈も好きです。後年武士にお茶畑を開墾させた策など愚鈍では出来無いですね。慶喜の居た地(明治元年(1868年)静岡に移住して30年間閑居)静岡が私のエッセイ「たまご愛」の静岡なんだ、とか。五稜郭に家の子郎党、引き連れて山口から渡った長州の子孫が私の友人なんだな、等々。歴史書を読みこむ時には血脈の気配を回りに探し楽しみます。
バナナと牛乳だけで素晴らしいお仕事をなさいましたね、完全食だけど心配です...。若者にぜひ!と熱烈推薦の書です。
土方の辞世の句の解釈、山川さん、実にお見事です。
<たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん>
東の君...への土方の想いは官能的ですらあります。説明はいたしません、いいから読め!です、ね。
さいきん、やっと慣れたブログ、毎日更新ということは、どんな感じなんだろうと興味を持ったので自分に課して続けてみたら、何とか埋めることはできても読み返すとか、文字のお直しがまるで追い付かない。パリの息子も心配らしく、誤字や表現の??に気をつけて。とメールの注意が来た。
>『コースアウトしても余裕の広さが安心を誘う。』
>「誘う」は若干ネガティヴな内容に用いる(眠気を誘う、とかね)ので安心は誘わないの。とか
>いつも「づ」が「ず」になってたり「話」が「話し」になってたりしますぜ。
>「”」なしでも意味の通る方が正解。
>「話」は動詞のときはおくりがながつくけど名詞ではつかないの。
>健闘を祈る。kyo
ホームページでエッセイを発表していた頃は息子の検閲が厳しく何度も書き直させられ
「何故、書くたびに悪くなるの、珍しい人だね」とまで言われ、その度に意気地なく泣くわたし。5年も続けたホームページの更新は息子任せ、一向に学ぼうとしない私に匙を投げた彼。終に移り住んだパリでの仕事が忙しくなり、いちいち助けてもらうわけにはいかない。そこでブログならば、掲示板のような感覚で難しい手順も要らずにお話が載せられる、とこの7月からライブドアのブログに切り替えたのです。
昔、賑やかだった掲示板も百人見てても3〜人がやっと書き込んでくれるだけの最近です。
私の人生の過酷さにも因るのだろうけど、自分ではちっとも辛いとか寂しいとか思わぬ、どちらかというと受けて立つ、発想の転換の名人(自分で言ってどうかとおもうけど・・)だから一向に気にならない人生。いっそ読んで頂くだけでコメントは消してみよう。息子はコメントがないと人気が出ないよ、と忠告してくれてトラックバックの持つ仕組や話題などを広げて行く面白さを教えてくれた。
虚ろい易いものを追うつもりは無い、どっこい、生きてるぞ!くらいの気持ちで遊んでいるわけだ。
「どこかで、シル君たちみたいに気のあう人達に、又、出会えるよ・・・」
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