2006/3/3 金曜日

ビシソワーズをホットで雛祭に

Filed under: 家族,料理 — patra @ 0:51:25


去年は和風な雛祭ディナーだったので今年は冷蔵庫の残り物で・・

芽が出てしまった男爵芋3コはスープにするとおいしいので小さく切って葱の白い所、1本と柔らかく茹でてからフードプロセッサーでポタージュにミルクで伸ばして生クリームを入れ塩だけで味付けします。
ビシソワーズの暖かいスープ。これは浅葱を散らすのですが葱の青い部分を微塵にして.うっとりする味。バターで葱を炒めづに創る簡単レシピ、母、大感激でお代り

冷凍庫で出番がないままのフォアグラ・・パリの鶏インフルエンザのせいで輸入禁止になるらしいので今日が食べ納めインゲンをシンプルにつけ合わせ。ビーツのマリネも。

稲垣足穂は「蛸と胡瓜」で酒を飲むのは品がない・・と申したそうだがここは洋風なので胡瓜揉みに塩をきかせ紫蘇風味にしたところへ山葵を擦り込んだ蛸、分量が何とも粋でしょうが?

そしてココアを生クリームの上から散らした(茶漉しで)大人風味のケーキは今風に苺やクランベリーで飾りたかったけどドライしか無かったのでラム酒で柔らかに・・
下側にバナナと苺のスライス、不出来な回りにはキウイーと苺で飾ってみる。

家にあった材料だけで創ってみたら苦味とフルーツが相性でとてもおいしい。

私はケーキもフォアグラも少し残したのに母はペロっと平らげてから

「フランス人は偉いわね、デザートのある食事って最高に満足なものよ」
「お腹ごなしにお皿、洗うわね・・」と上機嫌でした。

何の変哲も無い材料でも2時間弱でお洒落で満足なイヴ雛テーブルになりました。





2006/3/2 木曜日

ファーブルの生家再現,虫の詩人の館

Filed under: 人物,日々雑感 — patra @ 1:33:03


布巾を頂いたのだが、アメリカ産のお米の袋をリサイクルした布に可愛いキッチングッズの
イラストが書いてある。

水の吸い取りが良く、”これを1度使ったら手放せなくなったので!ここのバーに似合うと思うから..どう?”私の喜ばせ方をご存知です。
絵の柄と色をわざわざ事務所のカウンターに合わせて選んでくださった布巾です。

真四角の大判、使い易く重宝しています。カントリースタイルのキッチングッズと一緒に、お約束の写真にしました。

そうそうお知らせもう一つ・・・

昆虫愛好家の仏文学者、奥本大三郎氏が自宅を立て替えて虫の詩人の館を建てたそうで
地上4階地下1階の白い建物の屋根は繭のイメージらしい。

「昆虫記」の著者として有名なファーブルの生家をそっくり再現した部屋ができたそうです。
しかも文京区だ。
虫は苦手だけど再現された部屋のインテリアは私の好きなフレンチカントリー19世紀の南仏の自然や文化も標本の他に紹介するらしい。
楽しそう、子供とお父さんも一緒に楽しめる上に虫嫌いなお母さんにファーブルの生家を見せる!という女心をくすぐるアイデアが実にすばらしい。入場無料だと新聞には出てましたが詳しくはサイトで。
「虫好きの後継者を育てたい・・・昆虫採集は子供の精神、感覚を養う教育」と熱く語っている。

お子さんを持つお母さん達にお知らせします。

子供の時に何と出会うか!が大事だけどファーブルは昆虫だった。開館は6日から・・・!





2006/3/1 水曜日

変・・・なんか変。

Filed under: ネコ,時代 タグ: — patra @ 0:12:30


荒川静香さんが日本に帰ってきたので
思いきりシッポ振って歓迎しようと思ったら
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2006/2/27 月曜日

グラン・シャレ夢の刻(ひととき)

Filed under: 人物,感想 タグ: — patra @ 0:06:46

「これが本当の恋だったのか・・・今までは恋をしらなかった」

この何ともドラマチックな言葉を初めてバルテュスと出会った時に、勝新太郎さんがつぶやいたそうだ。
まるで磁石がひきつけあうように、出会うべくして出会う!とは人に限ることだけでは無いらしい。
画家バルテュスとその美しい、節子夫人にはある種、共通した魔法の力とでも呼びたい波動をお持ちのようだ。
グラン・シャレ・・と呼ばれる、スイスの最も古い木造りの旅籠を見学に行き節子夫人は一目みて後ろにつづくバルテュスを振り返り「この館に住みましょう」とまるで運命を予知するかのように言うのです。

その館の壁面には聖書の箴言が刻まれているのです。

どのような経緯でこのグラン・シャレがお二人のお住いになるかは読んでお楽しみください。
イタリアの古城との出会いも含めそちこちに宝石のようにちりばめられているエピソードの数々はまるで魔法のように我々の心を捉えます。


<バルテュスの愛猫ミツ>

お二人の手にかかると集まる全てが新しい息を吹き込まれて蘇るのです。イタリアでスイスで京都で運命の出会いが、バルデュスが92才で亡くなるまでの思い出を節子夫人の美しい日本語で綴られています。

御伽草子を開いているような「これが恋・・」そんな心地良さで溢れています。

側に置いておきたい1册ですが表紙は自分で造ってみるつもり。そんな気にさせる「グラン・シャレ夢の刻」世界文化社から著者 節子・クロソフスカ・ド・ローラ

グラン・シャレ夢の刻





2006/2/25 土曜日

メダリストによるエキシビション

Filed under: 日々雑感,時代 — patra @ 7:17:05

子供の頃からショウ好きだったらしく後楽園にサーカスがかかると何時の間にか私の姿が消えたそうです。昭和27年頃の日本は貧しくサーカスといっても木ノ下サーカスと柴田サーカスしか無い空中ブランコのスター瞳さんも一朗さんもバレエシューズ等持たずに足袋を履いてました。それからどんどん衣装が綺麗になって白いタイツやピンクのチュチュにバレエシューズも履くようになってゆくのを毎年見に独りで出かける私は変な小学生だったのだろう。
中学になった頃、アメリカン大サーカスが日本へやってきてその衣装の綺麗さに腰を抜かしたのがきっかけでハリウッド映画にも夢中になります。日本へ来るサーカスはモスクアもボリショイも全部観にでかけるくらいショウが好きなのは夢のある衣装のせいでしょうか。
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