百四才でお元気な西邑仁平さんが隠し保存しておいてくださった資料のお陰で、平和惚けの今、戦時下の役所に兵事掛かりという赤紙配達人のお仕事があり、お国のためとはいえ若い兵隊を戦地に送り込むために甲乙丙はおろか、様々な階級分けまで綿密に調べ上げていたかという資料は敗戦後、直ちに軍によって廃棄処分命令が下ったにも拘らず勇気を持って保存した西邑仁平さんに敬意を評したい。いつの時代も勇気と義憤と死者への礼を持って歴史を記録してくださる方は例外なく、普通に暮らす一般の人なのだが、戦争で死んでいった沢山の兵隊さんの為に証言してくださるために長生きしてくださった事が奇蹟のようでした。やさしい慈愛の眼差しが長い年月と信念をかけて育んだ目で印象的でした。ドラマもキャスティングが自然でとても気持ちが良かったです。戦地に5人の息子を送り出した母親役の風吹ジュンさんが自然で切なくて凄く良かった。
最後の赤紙配達人・・・104才の証言
地震が怖かった9日です。
6日も9日も心の中で黙祷して特別な事はもう記述しない、と決めて、ただサツマ芋だけは食べましょうと考えていたのに意に反しご馳走風になってしまう。そのせいかどうか、食べ終えて後片ズケして暫くしたら地震が・・・結構揺れました。既に2階へあがってしまった母に内線をしてみると流石経験者(関東大震災)「これは横揺れだったので、ジっとして祈ってた」と。千葉方面が震源地らしいがショックはお隣の千代田区が震度4だった。揺れたはずです。もし阪神淡路級の地震が来たら冷蔵庫がTVが天井の照明が飛んでくるでしょう。天井が落ちてきたら何を対処しても虚しいかもしれません。
ただ母の生ある内は、助けられないので2度と怖い思いをさせたくないな〜と願うだけです。好きなカルビーを食べさせておいて良かった!かも?と思うことにします。
3色丼でお祝い
午後から集まって母の訓練・・・若干一名がハプニングで抜けましたが、今まで直接2階へお出でに成るのでお会いする事のなかった、母専任の看護師さんと話あう。私のベッドを利用し、立つ動作を先ず看護師さんにして頂き、次に母。低いベッドにしてから膝をちょっとだけついてベッドへ、そこから腕の力だけで無事立ち上がれたので看護士さん大感激でした。私の思ったとうり母は筋肉の疾患が無いので腕の力で掴まるところさえあれば腰も浮いて大丈夫でした。もっと早い時期からリハビリをしていれば上手に動けたことでしょう。膝がやっぱり痛かったそうですが、これは膝の屈伸運動を全然しなかったので関節が硬くなったせいもありますね。ベッドの側、タンスの側や冷蔵庫の側は説明だけ・・・こうして何回も脳にインプットさせる事が老人には大事ですから・・・
皆に拍手されて嬉しそうな母でした。2階で一休みさせてからご飯へ。
母の好きな鶏ソボロと甘い炒り玉子とインゲンで3色丼にしてあげます。リクエストの心太とお澄ましは焼海苔と針生姜に梅干し、インゲンに焼き海苔を茶碗に入れて美味しい出汁をはった懐かしいおつゆ。鰹出しに梅干しの塩、味見してからちょっぴり塩。これは大昔のインスタントなおつゆです。
量もちょうど良く、箸休めのコンニャクも心太も美味しい。鶏ソボロを美味しく柔らかく造るコツは小鍋に味醂、酒、醤油、和風だしを全部入れて良く混ぜて、冷たい所に挽肉を入れて又混ぜてからゆっくりかき混ぜながら火を入れて行く事・・・鶏ソボロがくっつかずに奇麗に火が入るので柔らかに仕上がります。炒り卵は味醂と塩と和風だしの粉末少々…溶き玉子と良く混ぜて弱火の中火で,菜箸3本で撹拌しながらふんわりと。焦がしちゃ駄目。時々食べたくなるお弁当人気メニュウですね。丼のご飯には海苔が契って敷いてあります。