素麺が贅沢だった時代
今の若い人はきっと知らないかもしれないが、東京では夏の冷や麦や素麺は子供は滅多に食べさせてもらえなかった。大人の嗜好品だった。
流通が今のように発達していなかったのでどの店にも置いてあるなんて事は無くデパートの贈答売り場に箱詰めにされて、勿体ぶって売られていた。
大好きだったが自由に食べられるようになったのは年頃になってからでした。
人には夫々の記憶があるけれど、夏にうどん屋さんから冷や麦や素麺の出前が頻繁に取れるように成った時,我が家が一番景気が良かった頃だった。たかが素麺の出前がだ。(笑)
その時まで家で素麺を茹でた記憶が無かった・・・。家事が苦手な母親だ。
そんな私達に父がぽつりと
「こんな物まで出前で取っているようでは、この先き立ち行かない」
その言葉が耳に刺さりました。ケロケロしてた姉と母とは大違いな私は億病だったのか、その言葉に怯えた。
結婚してからも今も、出前で素麺を取る事を止め、日々手をかけて作ってみるが
何の事は無い、今や出来合いのほうが遥かに倹約できる時代なのだから
時代と共に臨機応変が望ましいのかもしれない。
いつもUstreamの講演を拝聴してる川崎先生が包丁で手を切るのは包丁に言い含めないからだ!とお話してて興味深かった。包丁を日常使う女性の方が包丁より偉い!と因果を示す意味で床に置いた包丁を跨ぐのだそうだ。
昔はそうして躾けられたというお話は、非常に面白かった。
私は父の母親、お直婆さん(日本初の女性のハンドバッグ職人)に「包丁を使うには包丁に有り難いと感謝しながら研ぐことが肝心要(かんじんかなめ)」と6年生になった時,砥石の使い方、水で濡らす大切さ刃の当て方等を教わりました。ボーっと聴いていた尽くが今、活きています。
始末とか養生とかやり繰りとか、たくさん教えてもらいましたね。活かして暮らせているのでしょうか。