2019年腰痛事故からの報告
2年前のポストを読むとまだその後の腰痛圧迫骨折に至った原因が書いてありませんでした。
この頃、車椅子で移動し、洗面所で洗髪や足浴などをしていただき、動け、動けと言われていました。
自分でも今動いておかないと大変と必死でしたが、おかしい事にどんどん違う痛みと遂には吐き気まで出てくる始末。
これは骨に異常がある・・・と思い始めレントゲンを要請したいとお願いしても出前のレントゲンがあるかも把握していない当時のケアマネさんで、一向に調べもせず拉致が開きません。
リハビリの先生もまだ決まっていません。
自分でネット検索し、往診でポータブルレントゲンがある事を調べ、その病院に連絡つけていただくまで1ヶ月もかかったのです。
結果、第二第五腰痛の圧迫骨折と2019年5月30日にわかりました。
コルセットも出来ない場所です。
予定のリハビリは論外、絶対安静が8月まで続いたのでした。
筋肉のダメージはこの期間で酷いダメージを被りました。それでなくとも弱い筋肉です。
手さえ、上がらなくなってしまい、ペットボトルも、持ち上げられません。
ミオパチーのリハビリは経験の無いスタッフも完全に腰が引けていました。
骨が付くまで根性を決めて、騒がず諦めず寝たきりの療養を自分に課しました。俎板の鯉、或いは捕虜になった気持ちで歌ばかり唄って過ごしました。
人を恨んでも自分のカルマが悪いのだから、受け入れますよ、という覚悟です。
慣れないヘルパーさんの手があたり左足の膝に傷が出来、さらに強い薬で皮膚がただれてしまう!という事故は当時の担当医が皮膚科では無かったからです。これも自分の恥ずかしさの躊躇のせいでした。
様々なトラブルと担当を変えてリハビリにこぎつけるまでは事故から1年後です。
8月に要請していた浴用椅子、自走の車椅子は翌年2020年の3月にやっと届きました。一月に看病に来たお嫁のふみちゃんの入浴介助に間に合わず、可哀相に緊張のあまり彼女は泣いてしまいました。
そして2年経ち、今では自炊出来るまでに回復出来ましたが完璧とまでは行かないのは難病のベスレムミオパチーのせいです。
この病名が判明したのも採取した血液を東大で遺伝子検査した結果、3年目に入る今年春に明らかになりました。
ありがたいことに去年、1月から出会う先生方、ケアマネジャーさん、ヘルパーさん達、看護師さん3人が皆さん優秀で良い人ばかりが集合し、おかげで落ち込む事も無く、元々楽天的な性格なので今できる事を楽しみながらやっています。
明るく健康的なリハビリの男女先生との運動も着実に効果が出ています。
筋肉疾患は治療法がないけれど、精神は健全なので頑張れます。
諦めていません。ここまで良くなったのですから・・・・何より事故後、パリの息子から毎晩ネット電話がある事です、何よりの薬でした。感謝しています。