枯れた蓮池と阿吽
紅葉した葉が落ち始めて・・・
すっかり枯れた蓮の葉っぱ・・・
冬仕度の池にさざ波が綺麗な波紋をつくっています。時間と時のたつのが早過ぎる・・・
言葉の使い方にソレゾレ慣れがあるのだろうが、受け取る側が言う側と同じに理解するとは限らない。息子とさえ食い違う。
たとえるなら江戸っ子と山の手では同じ言葉でもニュアンスが違うように使い慣れた言葉,聞き慣れた言葉も時としてユーモアなのにそうは受け取ってもらえない事もあるから気をつけよう。
従弟から魚久の粕漬けが届いたのでお礼の電話をする。
「何か気を使わせてしまって悪いわね」
に間髪入れず江戸っ子の彼は
「気、つかってまっせん」
「あ、そう?そうよね!・・・じゃ、遠慮なく!」
この江戸前の受け答え,ブッキラボウと取られるだろうな〜と笑ってしまった。
従弟も私も生粋の江戸っ子だからお互いお世辞が言えない、会話はいつも秒速で終る。けれど電話を切ったあと多分向こうも、もちろん私も笑ってしまう気短さなのだが、この阿吽!誰にでも通じるわけではない。
しかしまた、よりによって粕漬けだ・・・・・阿吽のとはいかないね。