早いな〜
時間の流れが速過ぎるので息切れがする。環境の変化も著しいここ3年間だった。
始まりは父が入院後、わずか20日で亡くなり、相続の処理が終り、ホットした2007年の息子と私の立て続けの骨折から姉の死まであまりにも早過ぎる展開の為に、何一つ実感がない。
休む閑が無い展開は悩む閑が無いのと同意語だが・・・。
姉に、今度こそ母の事をお願いしたいと考えた最初の骨折の退院後に姉の病気を知り、運命の重さを知り覚悟はしました。
でも本当に覚悟は出来ていなかったと思う・・・やっと杖で歩けるようになった1年半後、またも転んだのですから。この時は目眩でしたね。血圧が低かったのが主な原因。暑い残暑の日でしたから自分の年令を忘れていたのです。過度な寝不足も響きました。
2回目の入院中、既に4期の癌の闘病治療中だった姉は、ステーキの差し入れを5回もしてくれました。
病室から独特なヒールの音を響かさせ姉が入ってくるのが分るくらい楽しみになりました。
2回目は半分の3ヶ月で退院出来ましたが、1回目も2回目も退院した翌日から母のご飯つくりは、懸命に精を出しました。それが出来てしまうという所が人間,窮すれば通じる凄さですね。
3方向をビルに取り囲まれるという裏の会社の工事についての交渉も同時進行、これも難事業だった。しかもビル解体の騒音の最中に母が胃がん宣告・・・正に人生の終盤に踏んだり蹴ったり・・・とは此の事か、と思わず呆れて笑ってしまう。諸問題が同時多発は、正直悩む閑が無いので可笑しくなってしまうのですよ、みなさん。
2ヶ月と言われた母は1年半も食べる事が出来ています。
姉は今年の5月頃・・・とお医者様には宣告されていました。
もうしない!と決めていた抗ガン剤を再開してからは、急激に体力を落としました。
脳に転移したのです。そして亡くなりました。去年の12月以来、逢う事も無く・・・
一方、何も治療をしないと決めた母も、大分胃の閉塞感、食欲の衰えが顕著ですが未だ保っています。
治療の選択は年令や本人の意志だから一概には言えませんが私は何もしない派です。
休む閑も無いくらいに難題をクリアーしてきた私ですが、この先の難問も逃げずに出来る事だけ自分ペースでこなして行こうと覚悟だけは出来ています。
が、それにしても時間って早過ぎます。感傷にふける閑もなく次のプロジェクトへ突進せねばならない私の目下の悩みはビュウーを重視した転居先のUVカット問題です。
これ以上良い展望は無い、という為にはガラスに貼るUVカットフイルムが必要ですが、息子の意見はUVロールカーテンを推薦です。
ロールカーテンを巻き上げて外を眺めるだけで日焼けするのは、母も私も実は嫌なのです。
元々ゼネコンが飛散防止フィルムを各戸に義務ズケているならば、何故UV機能も併用しないのかが、どうしても理解できない貧乏性です。想像力をもっともっと鋭く研ぎすませないと、建築界の発展は望めない。
蟻づかの砂が崩れるように時間までが恐ろしい虚しさで日本社会を毒しているように思います。
最晩年人生に穏やかな時間を、と、これだけを切に願いながら生きてきたのに、何もかも怒濤の即決力が求められている現状です。
早いのはMacの起動能力だけでいいのに・・・・何も決まらないうちに8月1日。
生きてるかぎり、バカバカしい選択肢が続きます。