2007/9/18 火曜日

アキレス腱炎になる

Filed under: エッセイ,骨折日記 — patra @ 7:49:50

4/24日
靴の型どりをしなおす。
頼んでおいた看護師さんが来なかった。不誠実だとおもう。
石膏のついた包帯を水で濡らし足に巻き付けて、固まりかけた所でカッターで切り
それを元に原形を作るらしい。ヒールを履いた状態にして型を取りました。
私の書いたデザイン画と同じヒールの高さで型が取れた!と感心される。

4/25日
担当医が来て「右足の膝にボルトが当たっているが、取るにしてももっと1年先じゃないと手術できないから我慢して!」と言われる。
実は何ともなかった膝が、立って居る練習を始めたと同時にリハビリ療法士が「立つ!って言うことは立ち上がる!ってことだから車椅子から立つ練習が大事ってことです!!」と立ち上がり練習を強要したせいで膝を捻ってしまったからです。

論理は分かるけど、筋肉の弱いミオパチー障害は立ち上がる行為が一番苦手、ズボンの後ろを持っていただき立たせてもらってやっと立っていられるだけが今の状態なのに、45センチの低さの車椅子からは今までさえ、立てたことは1度も無い。
家にバースタンドを作ったのも、一々低い椅子から立ち上がるのは体力を消耗するだけ無駄なので立ち上がり易いバースツールにしているくらいだ。
何度説明しても今時の語尾を上げる口調で「で〜も、立つ!!と言う事わぁ!立ち上がるって事がぁ出来なければぁ」を繰返すばかり。

内心、前に出来なかった事が急に出来るわけないじゃん、戯け!と若い療法士の遣り口に腹が立ってしかたが無かったがせっせと苦しい練習をしている内、完全に痛めてしまったようだ。これは退院した今でも痛い。

4/28日
骨はモヤっと出来かけているらしい。
前後して部屋の人達が退院、とうとう骨折組み2人だけになる。連休中に何としても立ち上がっりが出来るようにしよう!堅い決心をして、アビリテーズ社に電話を入れる。この整形外科のどの設備も私には不備で家に居るより不便極まりないからリハビリにもどんどん信頼性が失われつつあったのだ。エレベーターまでセンサーが効かずに挟まれるアクシデントが2回もあった。

5/5日
柏餅がついたのが愛嬌だった。ノリがローストビーフを持って来てくれる。

5/7日
帰るために頑張ってリハビリをしていたが膝が痛くてたまらない。
この侭、金具を入れっぱなしにしたい先生は「我慢して・・」と言うばかり。説明が今一つ納得がいかないので看護師に伝えると「じゃ先生を変えますか?」に呆れる。そんな事で責任を摺り替えられるのは困る。私の障害が治療に邪魔なのは確かなのだが、問題意識を高めて欲しいだけなのに・・時間が無くてコミュニケーション不足。

5/8日
夕方突然部長先生が回診で見え「どうイチダさん!リハビリの成果、見せてよ!」と元気な声で「左足はしっかりついたけど右は未だ無理、このまま付かないと再手術も考えなきゃな、無理しないでね」に仰け反る思い。他の先生方にも「今まで出来なかった事は無理させないようにね、元々筋肉が弱いんだから!」と念を押してくださる。家から高い椅子も持って来て良いとのこと。

5/9日
ついに満室になる。

5/10日
骨がつきつつあるのが分かったので大分リハビリに精が出る。腰揚げ練習も前屈みだと上手にできるようになった。今日で丸3ヶ月過ぎたわけだ。

5/11日
何となくだけど担当医が愛想が良く成った気配・・大好きな可愛い天使看護師さんが「もっと良く話を聞いてあげてください」とカンファレンス時に直訴してくれたそうです。可愛い子が気立てが良いんだから、そうで無い人は意地悪だったら浮かばれないのに・・と独り言を言ったら前の御夫人が吹き出していました。
その夜は看護の日とか・・下のロビーで音楽会がありました。筋肉自慢なのか二の腕を何時も出してる強面のおじさんが車椅子を会場まで押してくれました。
ふしぎに皆さん足が悪くなる経験をすると、とたんに親切になるなぁ・・・

5/14日
靴は呆れてモノが言えないくらい酷かった。何の為の見本、デザイン画?しかも踵13センチで指の先しか着地しない不安定な足裏。突っ返す。
担当医はあのままちょいと直すだけで行けると考えているので大激突。

5/16日
ダイレクトに靴屋に電話し、型を取り直して欲しいと懇願すると、あれは酷いです!とアッサリ了承された。息子からもメールでたとえダメな靴屋さんでもモチベーションを高め、持てる能力を発揮させるかが大事!と言ってきた。全くそのとうり。
丁度その頃、看護学校の実習生が一人ついてくれる事になり、熱心にリハビリ室で号令をかけて励ましてくれました。

綺麗でやさしい笑顔の人、鋭い観察力を持っていたと見え、私のリハビリの順序が膝に負担を与えていると思うから順番を変えたほうがいい・・そう提案してくれました。まさにその通りである。立っている練習からすぐ膝曲げでは益々膝が痛い。ボールを挟むなど軽いものに変えて慣らしてあげて欲しいと言ってくれる。ムっとしたようなリハビリ療法士だが仕方ない、いつの時代でも職種でも、生徒と言えども優れた観察眼の子はいるものだから。
その看護学校の優秀生徒さんは立つ練習の時、ベッドの足元に滑り止めシートを持ってきてくれました。可愛いサクランボのアップリケまで手作りです。
上で立ち上がれる高さがリハビリ室では出来ないので不思議に思って計ってみたら上のベッドはマットレス分、7cmも高さが余計だった事が判明。がっかり48センチはまだ出来ない。たった2センチの壁。

5/24日
担当医が「順調だよ!でもまだ靴が出来てないので無理しないでね、痛かったら止めてね」と軽く言われるが痛さの限界が自分では分からない。
看護学校の生徒さんが明日で終わるので頑張って歩く。

5/30日
平行棒で立つて歩く練習を5往復したせいか左のアキレス腱が痛く歩けなくなった。リハビリ室では全員、痛がる私を見てるだけで何の示唆も説明もない。レントゲンに写らないかぎり何とも無いと答えるばかり。アキレス腱がレントゲンに写るのかしら?

6/2日
ついに立つ事も出来なくなった。
用心しお風呂も止める。この激烈な痛みにどうすれば良いか、誰に聞いても答えが無い、担当医と部長先生は出張で留守なので代わりの先生も負荷がかかるせいとしか仰らない。

冷やしてみると更に痛くなった。困って息子にメールで検索を頼むと「冷やして痛い場合は、アキレス腱炎の疑い有り、慢性化する危険があるので2週間絶対安静にする事!と言って来た。

治して頂いてる身でこんな発言は本来憚ることだが、どうも私の担当医とリハビリの療法士の指導は患者に対して説明不足のように思える。アキレス腱が負荷により炎症を起こす危険は医者なら予知できるはずだ。「痛かったら止めて下さい」と言った漠然としたモノ言いでは無く「筋肉がストレスで痛みを生じた場合、慢性化する危険があるのでそんな時は立つ歩くを休止するように!」と原因と結果の因果関係をハッキリと伝えるのが医療に拘わる職業人の義務だろう。
療法士に至っては「痛いですか〜?」と顔をしかめてみせるだけで「止めるぅ?」と曖昧な言葉で決して中止とは言わない。止めちゃいけないのか?自分が努力足らずと咎められているのか?皆これしき我慢してるのかも!?と自分を責めてしまうような物の言い方なのだ。
挙句に担当医は「やり過ぎだよ」と私のせいのように言う。
「元々アキレス腱が悪いんだからさ〜」
「守るのはご自分ですから」とシラっと療法士は言う。

6/4日
部長回診で骨が付いた!と言われる。「嬉しい誤算だけどさ、付かないと思ったよ、痛み止め飲んでもリハビリ頑張って!」と宣言される。
「痛いからって弱気にならないでっ!」と担当医。
「お言葉ですが慢性化したら後遺症として血行障害が現にもう起きてるし、もっと堅くなって危険ですので暫く休みます。来週靴合わせで立てないと困りますから」
看護師さんも「休んだほうが良い」と私の造反を認めてくださる。

(2週間、休んでみたらあの激烈な痛みが嘘のように消え去った。
息子にお礼のメールを出す。)


  1. patraさんの、壮絶な戦い、時々医者や療法士に怒りを覚えながら読みました。
    それにしてもpatraさんは前向きなひとです。
    息子さんに検索してもらうというのも、悲しいですよね。
    そんなこと病院で説明するべきですよ!!
    看護学校の生徒さん、このような看護士さんが増えるといいですね。
    ひとはみんなそれぞれ違うのだから、マニアル通りにいかない。
    このことを知ってもらいたいですよね。

    コメント by sakura — 2007/9/18 火曜日 @ 9:46:09

  2.  一部の外科的な疾病や慢性疾患といったような、今日明日命に関わるという分けではない場合、純粋な医療行為と同じくらい、あるいは、それ以上に、医者−患者関係におけるコミュニケーション(会話の有無・多寡・ものの言い方等々)が重要だと、昔論文に書いたことがあります。
     しかし、医療従事者は「狎れ」のため、患者をワンノブゼムとしか診ることができないのでしょう。困ったものです。

     一点、コメントの訂正。
     文藝春秋の福田氏の記事「筆を擱く」でしたね。
     読み方は、先のコメントと同じく「おく」です。
     失礼をばいたしました。

    コメント by 酔仙亭 — 2007/9/18 火曜日 @ 17:30:25

  3. sakuraさ〜ん
    そんな悲壮感は全くなくて、ただヤレヤレ・・・そんな毎日でしたよ。
    だから可愛くない患者だったのかな〜
    軟膏一つ出されても何の成分が入っているか調べてからでないと使かわない私の慎重ぶりに、相当辟易されたきらいはあります(笑)
    だって人間のやることだから「絶対に正しい」なんて考えるほうがおかしいですよ。間違いもありうる、と思って何事もチェックしたほうがお互いのためです(笑)
    息子こそ随分心配したでしょうね、「一体その病院は何?医者はいないの?」
    転職組で次の人生に看護師を選んだ人でしたが、真剣そのもの・・立派でした。新たに勉強し国家試験を受けようと言う気迫が柔らかなんですが全身から溢れ出てました。尊敬しちゃいました。

    コメント by patra — 2007/9/19 水曜日 @ 0:13:29

  4. 酔仙亭さま
    文字をお調べくださってありがとう存じます〜♪
    「筆を擱く」コピーして、やっと載せられました。
    産まれてはじめて知った漢字・・福田先生の文章にはこの文字でないと、確かにおさまりませんね。

    患者に個性があると対応がやりにくいのでしょうか?
    論文に選んだテーマがとても興味深いですね、きっとお仕事にも生き方にも「思いやる」「推し量る」といった優しい眼差しが活かされているのでしょう。

    人生に無駄なことは何ひとつない・・、三輪さん風に呟いてみる(笑)
    いつもコメントくださってうれしいです。

    コメント by patra — 2007/9/19 水曜日 @ 0:49:42

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