何もしない至福のひととき
お腹が空かなくともご飯の支度をする、という義務感に苛まれず残り物でノンビリというのは至福。
至福ついでにチヤン・イーモウ監督の地味だけど心がジンとくる映画『至福のとき」を見たり、大昔に見てこわい!と震えたオーメンを再度見てたら朝になっちゃっいました。
至福のとき
善人のオヤジさんばかりが出てきます、皆、貧しく力不足なのに、盲目の少女を懸命に励ますおはなしです・・・可笑しいくらいご都合主義の嘘をつきまくり、目が見えないから安心!とばかり廃材の寄せ集めで悪戦苦闘しながら、少女のために心を砕いて廃墟の工場の中にマッサージ室を作るのだがお客も勿論自分たちの回り持ち・・・支払うお金が足りなくなると紙を切って偽札にしてみたりと無い知恵を絞ります。
本当は、少女には全部解っていたのに皆の親切が嬉しくてじょうずに騙されてくれていた!というちょっとホロ苦いおはなしでした。
我は海の子・再説
先日「我は海の子」を書いてから、気になつてゐることがある。七番までに出てくる漢字の幾つかを正確に読めない若者がかなりゐるのではないか。
二番の「浴して」はまづ間違ひなく「ゆあみして」と読むだらう。それは、さう歌つて記憶したからさう読めるといふことだ…
トラックバック by 福田 逸の備忘録―独断と偏見 — 2006/10/22 日曜日 @ 18:11:05
百尋千尋
ももひろちひろ、まず読めないでしょう。私でも千尋は読めても百尋は何だっけ?と百瀬のもひろ?声を出して歌うまで思い出せませんでした。情けないです。
福田先生のお話はいつも耳が痛い私です。TBどうもありがとうございます。
コメント by patra — 2006/10/22 日曜日 @ 21:22:42