2006/10/11 水曜日

核を持たぬ国,日本。

Filed under: 日々雑感,時代 — patra @ 6:56:31

実はこのところ年齢のせいでしょうか、北朝鮮の核実験などのニュースにも鈍くなってしまっている自分に自己嫌悪なのです。至近距離のあの国から核が発射されれば日本はなくなってしまう、なのに心の奥ではマサカそんなバカはしまいよ・・とまだ人間、そのものを信じようとする甘い自分。

団塊の世代より年上なせいか相当に胆も座っています、何が起きても驚かないが、マサカの事態が起きた時に中国も韓国も勿論、アメリカさえも日本を助けはしないだろうと妙な確信だけはあるのが哀しい、そうなるがままに術もなく抑止力を放棄したままの国に暮らす勇気はない。

話せば解る・・・は錯覚だとは養老博士の論理だが、話しても解らない国もあるのを知った今、地球上で唯一の核被爆国たる日本は核廃絶を主張する権利があるのだから胸を張るべきなんだ、と遅蒔きながら。
どうせお先に失礼する世の中だから...と老母につられて、つい無気力になりかけな自分に喝!を入れながら考えました。

核を絶対に持たずして核を振りかざす国にどう対応してゆくのがベストか?今の所抗議の声を挙げ続けるしか手立てはないのだが、そうだ!安部総理に応援メッセージを送ろう・・・自信を持って抗議すべし・・・と。こんな小さいことでも疎かにしないでいこう。
拉致問題にしても氷山を切り崩したおかげで何人もの家族が戻れたのは事実なのだから、我々ももう一度気合いを込めて。


  1. 僕は嫌なニュースにはノーリアクションでゆこうと思っています。
    決してブログには書かないつもりです。(笑)
    立場の違いというものは、どうにもならないような気がします。
    人によっては、「目には目を」という考えもあるようですが。
    僕は理想を言わせてもらえば、「潔く死んでゆこう」と思っています。
    意味が無くても、無駄死にでも。

    コメント by 変人55号 — 2006/10/12 木曜日 @ 2:14:56

  2. そういえば前にも政治と宗教にはノーリアクションと宣言なさってましたね。
    私は、戦争につながる事には無関心ではいられないのです。
    書き忘れましたが核を持たない日本というスタンスでこそ世界にむけて発言してゆく価値があるとおもうのです。
    潔く・・・は同じ思いですが、すぐには死ねないものです。核には長い苦しみを伴うので絶対に、何がなんでも反対なんです。
    立場の違い,価値観のちがい、ほんと虚しい。永遠に解決しないのかな?

    コメント by patra — 2006/10/12 木曜日 @ 2:36:16

  3. 「核兵器を保有する」ことに価値を見出している人たちを変えることができるでしょうか。
    「話せば分かる」という言葉は、残念ですが信用できません。

    無関心ではないのです。(痛いのと苦しいのは嫌ですから)
    関心を示せばそれを利用され、反対すればまたそれを利用されてしまうことがあることに、臆病なだけです。
    言葉の使い方にはいつも注意深くなければいけないのです。
    正確に伝わるものではないのですから。

    まぁこのコメントにそんな意味は無いのですが。(^ー^)
    「核には核を」と言う人がいますからね。
    一番怖いのは事故による放射能汚染ですよ。

    コメント by 変人55号 — 2006/10/12 木曜日 @ 17:59:58

  4. >言葉の使い方にはいつも注意深くなければいけないのです。

    ア、私の書き方、表現問題ですね。反省。
    考えている過程を短く表現し途中を省略するという判じもの文章・・・誤解されますね確かに。核を決して持たぬ国、日本。

    原発事故は大地震でさえ起りえるわけですから、こんな話題はたしかに無意味なのでしょうが原発に携わる、どんな小さい部署の方々にも更なる自覚と知識の習得に全力を”宜しくおねがいしますね、とチャンスがあったら心から労いたいきもちが一杯です。
    (原子力発電の原子炉を核とは切り離してかんがえてます。分子は同じでも目的が・・)子供っぽくて自信無しですが(冷や汗)

    ラストチャンスと思っているのです、今回の政権で日本が再生出来るか否かが。だから・・つい
    >変人さんありがとう。

    コメント by patra — 2006/10/12 木曜日 @ 19:47:28

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